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朔夜【直江編】

序章 第一章【】 第二章【】 第三章【】 第四章【...】

「じゃあ次はあたしから。事情が色々とあるのよね。ちょっと長くなるけど、いいかしら」

 綾子が口を開いた。
 ついに本題へ入ろうというのか、その瞳は真剣に冴えて、頬が締まっている。
 ―――しかし、肝心なことを忘れているではないか。
「それよりまず名乗ったらどうだ。俺たちは旧知だが、高耶さんとは初めてなんだから」
 口を挟むと、綾子は、ああと思い出したように肯いた。
「そうだったわね。―――何だか、懐かしい感じがして、初めて会ったって気がしなかったのよ」
 不思議な表情をして、呟くようにそう言うと、綾子は彼をまっすぐに見て名を名乗った。
「では、初めまして。あたしは宗家の占術師・柿崎の現当主、晴家。その前は門脇綾子を名乗ってたわ。長を継ぐときに名を改めたからね。でもまあ、普段はこれまでどおり綾子と呼んでよね」
 その視線がちらっとこちらへ向いたのから察すると、最後の一文はどうやら自分と長秀に向けられたものらしい。
 このお転婆でも、女なのに『晴家』と呼ばれるのはさすがに嫌なのだろう。
 彼は二つの名をしばらく舌の上で転がしていたが、肯くとこちらも名乗った。
「晴家、綾子、か。わかった。
 ―――オレは高耶。……仰木、高耶」
 姓を口にするときに、その瞳が少し曇った。思い出したくないものを思い出したのだろう。
 しかし綾子は敢えてそれには深入りせず、あくまで明るく話を続ける。
「高耶ね。そう呼んでいい? それとも、少し気が早いけど、景虎って呼んだ方がいいかなあ」
 小首を傾げるが、
「景虎……?」
 彼には初めて聞く名だ。
 ―――そういえばまだ名前については話していなかった。
「あぁ、まだそこまで話してなかったのね?」
 彼の瞳の訝しむような色を見て取って、綾子は合点したようにこちらへ目を走らせた。すぐに彼に向き直り、
「『景虎』っていうのは、前王・謙信公が王を継ぐまで名乗っていた名で、次の王が即位のときに受け継ぐことになってるのよ。
 だから、あんたは王を継いだら景虎って名乗ることになる」
 王の幼名は次の王が即位するときに継がれる。
 そういう仕組みなのだと綾子は彼に説明した。
「へぇ……」
 素直にふんふんと肯いていた彼だったが、
「どうする?」
 問われると、考え込んでしまった。
 未だ国を継いだわけでもないのに、王の名を名乗るなんて、という風である。
 多分、それは遠慮。
 宗家の血について実感もない状況の彼にとって、自覚もないそんな血に甘えて、設えられた椅子に掛けることなど、出来はしないのだ。
「……」
 彼は思い余ってか、こちらを見上げてきた。
 やはり、その瞳に揺れるのは小さな不安。
 無意識に自分を頼ってくれたのが嬉しくて、笑みが浮かぶ。
「高耶さん。
 どちらの名を呼ばれようとも、あなたはあなたです。景虎を名乗ったからといって、あなたの負う物に何かが加わるというわけではないんですよ……あまり気負わないで。
 この先のことを考えて、皆には景虎と呼ばせるがよいでしょうが、だからといって何が変わるのかという問いは必要ありません。
そんなに固くならないでいいんですよ」
 多分、何もかも背負わなければと難しく考えて構えてしまっているのだろう彼に、ゆっくりと説いて聞かせる。
 そんな言葉で、男は彼の中のためらいを取り除いてやった。
「ん……じゃ、景虎で呼んでくれ。皆」
 ようやく肯いた彼は、吹っ切れた様子で皆を見渡した。
「御意」
 八人は一様に肯く。綾子も肯いて、口を開いた。
「じゃ、景虎。あたしのことは『綾子』で呼んでね。女の子なのに『晴家』は悲しいもの」
「オーケイ。……ねーさんて呼んでいいか?」
 彼は少し躊躇した後に、そんなことを言った。綾子が顔を崩す。
「あら、可愛いこと言うのね。いいわよぉ、勿論」
 楽しそうである。兄弟のいない彼女のことだ。姉と呼ばれたのが新鮮だったのだろう。
 長秀にちらっと目をやって言うことには、
「あんたもにーさんて呼んでもらえば?少しは責任感ってものが芽生えるかもよ」
 からからと笑われて、長秀は憤然と身を乗り出す。が、すぐにその方向を変えたらしい。
「ふ〜ん……景虎、お前俺をにーさんて呼ぶ気あんのか。ほー、せいぜい可愛がってあげようじゃないの」
 そう。この男は性懲りもなく彼をいじめる方向に転じたのである。だが、
「誰が。お前みたいなの兄貴にしたくねーよ。お断り!」
 彼は取り合わない。少し成長したようだ。長秀は非常につまらなさそうな顔になっていた。
 笑ってしまう。
 だから、やめておけばいいものを……
「一本取られたな、長秀。諦めたらどうだ」
 言ってやると、ため息をつく。
「へいへい。つまんねーの。俺が虐げられてるばっかりじゃん、これじゃあ」
「虐げられてる?何言ってんのよ。あんたがふざけすぎてるだけでしょ、いつも」
 綾子は容赦ない。
 このままではあらぬ方向へ話が進んでしまう、と八人が、あるいははらはらし、あるいはため息をつきながら見守っていると、
「もぉいいから、話を進めてくれ。日が暮れるぜ。あんたらいい大人のくせに、子供じみてるよな……」
 と、御大のつっこみが入った。
 おぉ、さすが、と感心すると同時に、自らの直接の主たちを思ってため息の止まない八人である。
「はいはい。お待たせしました。じゃ、説明に入るわね」
 綾子が彼に向き直った。
「ん。頼む。でもできるだけゆっくりな。まだ頭がついていかない」
「大丈夫よ。直江たちだって知らないし、あたしもまだよくわかってないのよ」
こちらへ目をやって言うので、肯いてやった。
「ああ。わかるように話してもらおうか」
「ええ。長秀でもわかるように丁寧に話してあげる」
 胸を張る綾子の横で、引き合いに出された長秀は憮然とした顔だ。
「何でそこで俺の名前が出てくんだよ」
「あぁら、結局あたしの方が星一つ先に取って卒業したのに、お忘れ?第4956期卒業生さん」
 綾子は第4955期の卒業なのである。長秀はとうとう黙ってしまった。
 目の前で繰り広げられる実に面白い遣り取りに、彼は半ば呆れつつ、目を見張っていた。
 全く、この二人ときたら……
「お前たち、いい加減に本題に入ってくれ。高耶さんが呆れているぞ」
 額を押さえるより、他にどうしようもない。
「あー、ごめんなさい。今度こそ、本題に入るわ」
 さすがにすまなさそうに笑う綾子だった。

「景虎は直江の知ってる範囲のことは聞いたのよね?つまり、叛乱が起こってからのことは。
 じゃあ、どうしてあんたが―――上杉宗家の血をひくあんたが、ディアにいたのかってことまでは当然知らないわけだわね。
 そこから説明しましょ」

「あたしはついこの間、柿崎の長の『力』を受けた。それは、代々の長が抱いてきた全ての記憶と力をこの身に受け継いだってことなの。―――そうして、あたしは直江たちの知らない幾つかのことを知った。それを話すわね」
 綾子の表情が、沈鬱なものになる。
 ―――俺の知らないこと、それは多分……
「……俺はあれ以来、色々なことを思い出し、考え合わせてきた。その中で、消せない疑いがある。
 乱とその前後のことを考えてゆくと、どうしても、ある一つの線が浮かび上がってくるんだ。
 ―――多分、お前が話そうとしているのはそれだな?」
 そう口を挟むと、はたして相手は肯いた。
「ええそう。あんたが思ってるのはきっと、こういうことね。

 ―――あの乱は、その勃発が、一部には予知済みのことだった……」

―――――――――――――――――――――――――――― 、、、、
「そのとおりよ。越の中枢は―――つまり、公と三家の当主たちは、知ってたのよ。
 乱は起こる。それは定められた流れで、誰にも曲げることはできないということも。

 ―――ことの起こりは、あたしの先々代にあたる柿崎当主が得た予見だった。
 およそ二十年のうちに、越の国には全土を巻き込むレベルの叛乱が起こる、と。
 そしてそれを打開する術は、探しても探しても全て崩れてしまった。防ぐことは、できない、と。
 ……そう、景虎のために補足しておくと、あたしたち柿崎は先を観ることはできても、それに直接干渉することはできないのよ。歴史の流れは猛る奔流そのもの。流れてゆく方向を知ることはできても、それを堰き止めるとか、曲げるとかいうことは、不可能。
 だから、乱が起こることはわかっても、起こらずにしむけることはできなかった。
 ―――予見を告げられた公は、直江・安田両家の当主を呼んで一室に篭り、三日三晩話し続けたわ。
 そして、決めた。
 起こる叛乱を許し、そしてその後で完全に叩き潰すことを。
 それが唯一最善の策だったの。叛乱を起こさせて、それと同時に、積もりきったあらゆる澱みを一気に洗い流すことが、公たちの決断だった」

 公はやはり、知っておられた……
 知って、そして俺たちを逃がして自らは城を護って逝かれたのか。
 次の世代に全てを託して、自らは古い澱みを共に抱いて滅びたのか。もろともに滅したか。

 気高い白竜のあなた。
 その輝きは今でもこの中に鮮明に像を結ぶ。
 そのあなたは、濁りきった国の闇を一身に抱いて、浄化したのか―――

 ……公……っ……


「そして、公たちは起こるべきそのときに備えて、着々と布石を敷いていったのよ。
 その第一歩が、宗家の血を護ること。
 サーラに残っていては滅される。だから、公たちは相談の結果、血をディアに潜ませることにしたのよ。
 当時の柿崎長がそれを引き受けて単身ディアに下りたのは、今から十八年ほど前のこと。彼はここ京都を仕切る仰木の家に白羽の矢を立て、当主の妹にあたる女性に、宗家の遺伝子を殖えつけたの。
 ……それが」
 彼の顔が、凍りついていた。
 悟っている。
 その瞬間に。
「――― ……オレか」
 唇が、氷のような冷ややかさを孕む。
 この空間は、既に時を忘れていた。すべての者が、息を止めて凍りついている。
 ―――それでも、このままにしてはいけない。
 そんな風に冷ややかなまま、あなたをおいてはいられない……
「高耶さん……」
 声をかける。
「直江……」
 こちらを見る瞳は、冴え冴えと冷えていたが、そこには決して慰めを拒絶する光はなかった。―――求めることを抑えようとする葛藤は見えたけれども。
 彼はどこまでも弱さを憎んでいるのか。頼ることを、縋ることを、必死で抑制する姿が、甘え方を知らない彼の痛々しさを却って強く訴えていた。
「……」
 何も言えなかった。

 自分は正真正銘、魔界の者だと……人ではないモノだと知らされて、あなたはどんな気持ちでいることか。
 これまでどこかで無意識に自分の『人間』を信じようとしてきただろうあなたは、この現実の前に、何を思ったのでしょう……

「……いいよ」
 ぽつりと、彼はこちらへ向かって呟いた。
「……これでやっとオレは自分の根源を知ることができたんだ。
 何にもわからずにただ不安だったころとは違う。とんでもない現実だけど、それでも、見えない恐怖に悩まされるより、ずっといい……」
 彼の言葉は肯定的だったけれど、その肩は、裏腹に硬く張りつめて震えていた。
 ―――高耶さん……
 手を伸ばした。
 言う言葉は持たない。ただ、背に腕をまわして、何度も叩いてやるしか、できることはなかった。

 ―――抱え込まないで。ひとりで。
 俺はここにいます。あなたは独りじゃない。
 たとえこの世のすべてに背を向けようとも、俺はここに立っています。
 だから……ほんの少しでいい、張った肩を緩めて。
 俺が、ここにいる。

「な」
 照れたように、彼は自分の腕から逃れた。
「何すんだ!子供扱いすんなっていってんだろーがっ」
「子供扱いなんて、していませんよ。私自身、信じがたいような話でしたから……驚いてしまっただけです。失礼しましたね」
 そうはぐらかして腕を引っ込める。
 男の眼差しはどこまでも優しい。相手を包み込むように、微笑んでいる。
 そのことに、またあたたかいものを感じて、相手は嬉しい中にも戸惑いをおぼえた。
 ……二人は勝手に世界を作っている。
「……で、話に戻っていいかしら」
 目の前で展開されるその光景に目を見張っていたギャラリー陣だったが、ようやく綾子が気を取り直した。
 それでも、心中では驚愕が渦巻いている。
 ―――直江が、あんな顔、するなんて……
 ―――だから言っただろ。あいつ、おかしくなってんだよ。景虎のやつに魂抜かれやがった。
 すばやく交わされる、心話。
 ちらりと長秀に目を走らせたあと、綾子は話に戻った。
「そういうわけで、まず次代の宗家の血は残せた。
 そして次に、柿崎の長となるべき者を―――つまりあたしを、中央から離して、既に行動を起こし始めていた叛乱分子に目をつけられることのないよう先見能力を封じて、遠縁の門脇に養子に出したの。あたしは自分には先見能力がないものだと思い込んでいたから、養子に出されても何の疑問も抱かなかったわ。役に立たないなら、本家においてもらえる理由なんてないもの。それに、スクールで学んで、いっぱしの人間にはなってたつもりだったから、困ることもなかったわね。何とでもやっていけると思ってた。
 ……ああ、ごめんなさい。話がそれたわね」
 そのころのことを思い出すように呟いていた綾子に、長秀が気遣わしげな眼差しを向けた。
 男も同様だ。
 何でもなかった、と平気そうに話してはいるが、当時の彼女を知る二人には、とても彼女の言葉をそのまま受け取ることはできなかった。
 ―――あたし、何の役にも立たないのね。本家においてもらっていながら、全然力が芽生えなかった。
 ねぇ、何のためにあたしはいるの?どうしてここにいるのよ……?
 あのとき、綾子は初めて弱音を吐いた。
 それまで百年ばかりも付き合ってきたが、彼女がそんな弱さを見せたのはあの一度きりだった。いつも、明るくさばさばと振舞っていた彼女が、あのときばかりは本音を見せて、崩れるように脆かった。
 そんな彼女の出立を見送って、長秀と男は、深いため息をはいたものだった……

 以来、二十年ほどになるが、養子に行った先で段々元気を取り戻してきたという噂を聞いて、少し胸を撫で下ろしていた二人である。
 こうして顔を合わせるのもそれ以来のことだったが、少なくとも今までは昔の彼女に戻っていたので、安心していたのだ。
「何よ。これだから年寄りは嫌よねえ。もう、さっさと忘れてくれる?あのころのことは。
 今じゃすっかり元気なんだからね」
 沈黙してしまった二人の胸中を察したか、綾子はそんな風に肩をすくめた。
 どうやら、復活したらしい。
「―――まったく、元気なのは確かだな。元気すぎて俺には手に余るよ」
 長秀はやれやれとお手上げポーズを取る。
「何ですって?」
 腕をまくるまねをする綾子だった。すっかり昔の彼女である。
 これなら大丈夫だ、と男は安心した。
「よくわかったから、続きに戻ってくれ」
「あーまたやっちゃったわね。ごめんなさい」
 長秀を軽く睨むようにしてから、綾子はこちらへ向き直った。
 再び、一切の表情を消す。
「―――そして、公たち三人はその他の家についてもさまざまに手を打っていったの。次代の者を残すために。
 ……一人、減ったわね。
 時の柿崎長は、ディアで移植を完了してほどなく、消息を絶ってしまったのよ。早くも行動を始めかけていた叛乱分子の一派が自分たちにつくよう働きかけたのを断ったために、暗殺されたそうよ。
 そして柿崎は代がわりして、景虎……あんたのことを知る者はいなくなったの。
 公たちは、細かいことまでは知っていなかった。その報告は直接顔を合わせたときでないと余りにも危険に過ぎたから、柿崎長が心話で伝えたのは、『完了した』と、……それだけだったの。その後、彼がサーラに帰還したのちに、四人が城へ集まって、そのときにすべての報告を行うはずだったけれど、伝える前に彼は殺されてしまって、だから、その時点で景虎の真実は消えてしまった。
 ―――そして、その真実は今になってようやくあたしの頭の中に甦ったの。長を受けたときにあたしの力の封印が解かれて、その瞬間に当時の長の『記憶』が解凍されたのよ。一代飛ばして、その記憶は隔世遺伝的にあたしに伝えられていたのね。一つ前の長には、この『記憶』は受け継がれていなかったから……」

「それからのことは、直江、あんたにも見当がつくでしょう?
 公たちは巧みに手を回して、新しい世代の者たちがより多く残されるように、中央を外して各地に配置していったのよ。二十年ほどもかけて、ゆっくりとね。
 そして……最後の時。
 叛乱の起こるべき『時』の近づいたころに、公は最後の仕上げとして、あんたたち二人を中央から遠ざけたのよ。

 次代の最深核となるべき、あんたたちをね……」


 すべてが、はっきりした。

 あのような呆気なさで壊滅したはずの官軍が、このたった一月でここまで再編成されたのも。
 次代の長たちが、皆が皆、難を逃れたのも。
 そして、『彼』の存在も……。


 自分たちは 生かされたのだ。

 喪われたすべての人々の、希望を担って―――



 謙信公―――

 父上―――

 あなたがたは、知っておられたのですね。

 知っていて……城に残ったのですね。

 我々に、全てを託して……


 きつく、目を閉じる。締めつけるように、胸が痛んだ。
 愛した人々の悲痛な想いを、願いを、全身に感じて……

 ―――しかし男はそれらを振り切るようにぐいと瞳を上げた。



 もしかしたら、その志にさえ、反することになるかもしれない私ですが、
 どうかお許しください……

 私は あなたがたの遺した 真紅の瞳を護って、
 どこまででもゆきます―――


 心臓が引き裂かれても、止まることのない血を流し続けても、後悔はしない。

 高耶さん、私はこの胸の痛みさえ捨てても、あなたと共にゆきます……



 それが、男のすべてをかけた願いだった。


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