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自分が現在住まっている邸に戻ると、男はすぐに仲間に連絡をつけさせた。
安田の現当主は東京に身を隠していたのだが、報せを聞いて飛んできた。
その連絡が彼の許に届いたのは真夜中をとうに過ぎた頃であったが、彼は翌朝には京都のこの邸に着いていたのである。
「本物なのか?」
顔を合わせるなり彼は問いかけた。信じがたいといった顔で、それでも希望の色を見せて。
「この目で確認した。瞳と鱗を」
直江は右の人差し指の腹にのせた小さな欠片を、彼の目の前に突き出した。爪の先ほどもない小さな欠片だが、それが何であるのかは、安田の当主には一目でわかることだった。
エメラルドの色を少し薄くしたような、透きとおった欠片。
「――間違いなく竜王の鱗だ・・・」
いくらかうわずった声で呟いて、安田長秀はそのかけらに見入っている。
「彼の手の甲に現れたものだ」
直江は言って、それを大事そうに小箱にしまいこんだ。
「手の甲って ・・・剥がしてきたのかよ」
痛そー、と首を振り振りため息をついた長秀を、直江が睨みつける。
「そんなわけがあるか。端を爪でつまんできただけだ。多分本人も気づいてはいないだろう」
「・・・」
なんか、それはそれでちょっとな・・・ 呟きながら、ようやく腰を下ろした長秀である。
客間に通され、じりじりしながら直江の来るのを待っていた彼は、相手が姿を現すなり詰め寄って問いかけ、今まで彼らは立ったままで問答を続けていたのだった。
和卓に向かい合って足を崩したところに、タイミングを計ったように茶が運ばれる。
その盆を捧げるのは直江家の配下筋にあたる一族の者であった。この邸の運営は、直江一族の下界での拠点を昔から守り続けてきた彼らの手で行われている。彼らはもうずっと昔から、こうして下界に暮らしているのだった。
「――いい暮らしだな」
茶を一口啜って長秀が言った。その声に混じったいくらか皮肉気な響きに、直江の眉がぴくりと動く。
「俺は身一つで逃げてきたからな・・・安田はみんなばらばらさ」
同じ筆頭家老でも、表に出ていた安田と、裏の存在である直江とは、敵に把握されている情報の量が全く違う。こうして長きに亘り下界で脈々と拠点を築いてきたにもかかわらず、この直江の活動基盤を敵は全く突き止められていないのだが、対して安田にかかる追っ手は相当な数であった。安田の者たちは、集結して悪目立ちするよりはと、ばらばらに身を潜める形でこれまで時を稼いでいたのである。直江と共に行動しないのは、万が一敵に気取られた場合に一網打尽になって全滅するなどということになっては目も当てられないからであった。
「・・・今も追っ手が来ていたのか?」
「いんや。しばらく見ないな・・・昨夜は魔界の新月だったから、まず下りてはいないだろうよ」
魔界と下界はちょうど鏡に映したような関係にある。その間を行き来する場合の問題は月の満ち欠けに影響されるところが大きく、具体的に言うと、そこには順路に近いものがあった。
光から影へ。
つまり、最適なのは、満月から新月へと渡る場合である。
こちらからあちらへ渡りたいのなら、こちらの満月の夜が、二つの世界の接合値が最も高いので安全だというわけだ。
逆を返せば、下界に満月が輝いている昨夜のような場合には、向こうからこちらへ渡ってくることはほぼ不可能ということになる。
直江は肯いて、腕を組んだ。
「そうか・・・今のうちに手を打たなければな。万が一、彼≠フ存在を気取られでもしたら・・・」
長秀も肯く。
「早いとこ、保護してやらなきゃな・・・王子様を」
「ああ」
ただ、いきなり連れ去るわけにもいかないから、と直江は卓の上の書類を示した。
「彼のことを調べているところだ。・・・そもそも何故人間界に宗家の者がいるのか・・・。まず考えられないことなんだがな。宗家が子供を下界に下ろすなど・・・。
しかし、他に可能性なんて・・・」
「ちょっと待てよ」
思考の淵に沈んでゆこうとする直江を遮って長秀が問う。
「勝手に考え込んでないで、今のところわかってることを聞かせろよ」
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