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―― もう、やめてしまおうか。
狂気のような紅い月の下に、ふとそんなことを思った。
昼間は長閑なこの道に、夜は奇妙に張り詰めた静寂が落ちている。旧家が軒を連ねるこの辺りでは、都会のような喧しさ―― 時として、現実感という一種の安心をもたらしてくれることもある―― がない。夜にはきちんと闇が落ちて・・・同時に、何か昼間とは違う―― 日常生活では影を潜めているモノを喚びこみ得る“場”が醸し出されるような感じを起こさせるのだ。
そこまで考えて、乾いたような笑いを浮かべる。
「自分こそ、人外の存在・・・異形のモノだというのに・・・」
魔界帝王家・上杉宗家の影一族・直江の次期当主。
それが男の肩書きであった。かつての。
・・・今の男にとって、その肩書きは殆ど何の意味もなさない。
悪夢のような新月の日から、既に二度目の満月を迎えている。
よりにもよって、自分が下界に降りていたあの日。下界から魔界への接合値が最も低くなり、帰還が不可能になる新月の日に、大異変が起こった。
末端上杉を核とした叛乱軍による宗家へのクーデターにより、宗家及びその守りの家々は壊滅の危機に陥り、魔界の勢力図が一気に書き換えられたのである。
極めて強い力を持っていなければ叶わない異界の行き来を無理やり行い、命を賭けて下界の自分のもとへ異変を報せに来た部下は、伝えたきり絶命した。それ以降、こちらから向こうへ繋ぐことはできず、かなりの危険をおして何とか帰還の叶った三日月のころにはもはや全て遅かったのだった。
宗家の直系は完全に絶え、影一族・直江と安田もその直系の悉くを喪い、傍系もあらかた処刑されて再起不能の如き有り様であった。唯一の希望といえるのが、安田の次期当主の生死が明らかになっておらず、逃げのびた可能性もあるということだった。しかし、いずれにしても最早魔界は完全に叛乱軍の手に落ちていてうっかり帰還することもできぬ状況にあり、男はひとまず下界に身を置いて、宗家方の残党との接触を待ったのである。
一時は絶望的かと見えていた状況だったが、この一月の間に予想以上の味方を得、魔界奪還の目途は立ち始めていた。
―― しかし。
「お家再興などと言ったとて、肝心の大将がおらぬものを、どうしろというのか・・・」
上杉宗家の血は絶えた。担ぐ旗を、彼らは持たないのである。
「結局、弔い合戦にしかなりはしない・・・」
もしそれが成功したとして、その後、自分たちはどうすればよいのだろう?
叛乱分子を全て処刑して宗家の墓前にその首を並べた後、自分には何が残るだろうか。
守るべき人々を守れず自分だけ取り残されて・・・それでも生きる理由が、自分には本当にあるのだろうか。
―― 他の者たちはおそらく、そこまで考えてはいまい。復讐に燃えて・・・それを支えに毎日を生きのびているのだろう。
それが果たされたときに残るものがただの空虚だということになど、思い及びようもない。そんなことを考えていたら、生きてはゆかれない。今はただ、復讐の念だけが支えになっているのだから・・・。
先のことまで考えてしまう自分はもしかしたら、冷血なだけなのだろうか。
燃えて、燃えさかってそれ以外の全てを忘れてしまうほどの忠誠心を、自分は持ってはいないというのだろうか。
直江の当主である、この自分が?
宗家の血を啜らねば生きてはゆけぬこの身であるから、どうせ最早おしまいだ、と絶望してしまうのか。宗家は絶えた。直系影族が生きている理由はもう無い。
・・・いや、生きている理由というより、生きてゆく術それ自体が―― 。
影一族の直系は宗家の直系と【対】になっている。宗家の直系の者は彼と対になるただ一人の影一族の人間を選ぶことができるのだ。既に【対】を結んでいる者でなければ、誰をえらんでもよい。
儀式を結んだ時から、直系影族の生は初めて確かなものとなる。
何故なら、彼らは対人の血を啜らねば生きてゆけぬ生き物であるから・・・。
影一族は吸血一族なのである。ただし、直系影族が糧とするのは対人の血のみだった。彼らはある一定の年齢になるまでに対を結ばなかった場合、糧となる血を啜れないために死んでしまうのである。当然のこと、対人が喪われた場合にも直系影族の命はない。・・・そして、男はまだ【対】を結んではいなかった。このまま時が経てば長からぬうちに死ぬであろうことは確実であったのだ。
今、自分は一体、何のためにあがいているのか。
喪われた者はもはや還らず、仇を取り得たとて自分たち一族の生きのびる道はない。
残された時間を、何故あがくのか。
何故、血の絶えた家を『再興』させようなどと試みるのか。何も成さずただ新たな血を流すだけの戦に向かうのか―― 。
しかし一番問いたいのは自分がこうして生きていることだ。
速やかに命を絶つ以外の選択肢は、自分の辞書には存在しなかったはずだったのに。それが、何故だかこうして生きている。
自分の中で何かが、自分を生かそうと囁きかけているのは何故なのか。動物的な生存本能は、影一族には残っていないはず。
それなのに、何かが、今死んではならないと囁いている・・・。
私ハ 貴方ニ 出会ッテ イナイ ・・・
「―― え?」
何かが頭の中で弾けた。
そして、重苦しい思考を続けながら黙々と進めていた男の足が、ふと止まった。
そこは、小さな神社の前。
普段なら見過ごしていたはずの、その社が、今は彼の何かに引っかかった。
―― ひかれるようにふらふらと歩を進めること、数秒・・・。
「そこにいるのは誰だ」
真紅の瞳が、そこにいた―――― 。
ソウ、 貴方・・・私ヲ囚エル人ニ、 マダ 出会ッテイナカッタカラ ・・・
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