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朔夜【直江編】

序章 第一章【】 第二章【〜参】

満月の夜の出会いから三日めのこと。

直江は思いがけず彼≠ニの二度目の再会を果たした。

何故ということもなく、散歩に出た直江は例の神社に足を向けていた。
その後の調べで、高耶が満月の夜になると邸を抜け出してこの神社にやってくるということは知っていたが、別段彼に会えると期待して来たわけではなかった。
今は夜でもなければ満月の日でもなく、そもそも彼は高校に行っているはずの時間だった。
直江はそこへ着くと、社の裏側に大きく枝を広げた楠の幹にもたれかかり、頭の中を整理しようと目を閉じた。

彼らは二日間、総力を上げて情報収集に徹した結果、高耶のことをかなり把握することができていた。
殆ど夜も昼もなく書類に埋もれていた直江と長秀は、ここに至ってようやく一段落つけようということになり、書類を置いたのだった。
長秀は今頃、畳の上で丸くなっていることであろう。
だが直江は眠気よりも、頭の中を占める様々な考えの方を優先することにして、こうして外の風にあたりに出たのだった。

考えることは山のようにあった。
何も知らない高耶にどうやって彼の本来の身分をわからせるか。
自分が人間であると信じ込んで――あるいは信じようと躍起になっている彼に、お前は魔界の住人なのだと、魔界帝王・上杉の直系なのだとどうやって告げればよいだろう?
人間の言うところの化け物≠ナあると知らされた彼が、果たしてそれを受け入れることができるだろうか。
それにはおそらく――時間がかかる。
彼にしてみれば、自分は生まれたときから人間だと思ってこれまで生きてきたのである。突然自分たちのようなものが現れて何か言われたとて、そんなことは信じられなくて当然だ。
まして彼にとって、自分が魔物だと認めることは、これまでの自分の全てを否定するにも等しい苦しみに精神をさらすようなものである。

そもそも、彼には何の関係もないことなのだ。自分たちのしようとしていることは。
突然現れて、魔界帝王家再興のために戦え、などと言われても、知ったことではないだろう。
多分自分たちは身勝手だ。
何もあずかり知らぬ彼に無理やり大将を務めるよう強いようとしているのだ、これから。
こんなことは単に我々の意地の問題であって、それに彼を巻き込む権利など、ありはしないのに。

そこまで考えて、唇の端をつり上げる。
『迎えに行きます』と告げておいて、今さら何を迷うか・・・。
直江家の当主として、今回の叛乱で受けた汚辱は絶対に雪がねばならない。それこそ、使えるものは何でも使う。直系の生き残りの存在は官軍を名乗る我々にとって重要な切り札になるはずだった。
――そんな気持ちが先に出て、そう告げてしまったのだろうに。
何故だか自分は今、彼を迎えにゆくことに――巻き込むことに、抵抗を覚えている。怖れすら感じている。
それが何に対する恐れなのかもわかってはいないのだが。
一体自分はどうしたいのか。
自分は昔から、お前は自尊心の塊だ、といわれてきた。感情の薄い魔界人の中ではそうとうに珍しいほどの拘りようだ、と。
そして、その自分が唯一自身よりも先に立てるものが、上杉宗家であった。直江家は宗家の影一族であり、それを護ることこそが彼らの誇りであるから。――これも考えようによっては結局自尊心に端を発することなのかもしれないけれども。
その意味でも、今度の叛乱は絶対に捨ておけるものではなかった。
直江一族を壊滅の危機にまで至らしめられ、その上宗家を根絶やしにされたのである。月一つ隔てた自分の目の前で。
よりにもよって、自分が下界に下りているときだった。それも新月のとき。
たぎるような心を抱えて、ただ月の無い暗天を見上げるしかなかったあの日々に、俺は何を誓ったか?
あの思いは他の誰にもわからない。
自分の根幹を成すも二つのものが二つながら奪われた――自分の拠り所も誇りも、あの時地に堕ちたのだ。

だから、彼≠見つけたことは最大の収穫だったはずだ。
護るべき主家を、再び見出したのだから。
果たせなかった忠誠を、やり直す機会を与えられたのだから。



・・・それなのに自分は今、惑っている。
ことの直後の熱が醒め、先のことを考えるうちに、迷いが出始めていた自分だった。
落とし前はつける。
それは何をおいても成さねばならないことだった。だが、魔界を奪還したあとに何が残るのか、ということに思い至ったとき、どうしようもなく自分の中で何かが醒めてゆくのがわかった。
あとに空虚のみが残されるのなら、いっそ命を絶って楽になれるかもしれない、とさえ思いはじめていたほどである。――放っておいても遠からずうちに喪われる生ではあったけれど。
自分は、何か強い思いに身を焼いたあとにはその反動で、考えなくてもよいようなことを考えてしまう癖があるらしい。
相当なペシミストなのかもしれない。


自分はおかしい。
彼≠ノ逢ったあの時、自分は不覚にも涙さえ覚えていたほどだったのだ。
復讐のあとに何が残るか、と主の不在を嘆いていた自分に、その忠誠を捧ぐべき相手が現れたことで、縋りつきたいほどの思いでいたはずだ。

男は上着のポケットに入れてある小箱に手をやった。その中に納められているのはエメラルド色の鱗のかけら。
――彼は確かめるように布の上からその小箱を探る。

何をおいても放すまい、必ず手にいれてやる、と思っていた。
溺れる者が藁にすがるのと殆ど同じ熱意で以って。
しかし今になって惑っている。外には出さないようにしているが、内心の動揺はひどいものだ。
儚い夢と見ていたものがいざ現実に現れたとき、自分のような男はここまで揺れ動いてしまうのか。長秀のような一本気な男がいっそ羨ましい。悪いことには熱くなり、喜ばしいことには素直に喜ぶ、あれはそういう男だ。
――しかし自分は。

一体自分はどうしたいのか・・・


そんな出口の無い迷いにひとり嘲笑っていたとき、ふいに人の気配を感じて男はそちらに目をやった。小高い丘の上にひっそりと建つこの神社の裏側、木々に埋もれた階段を、ゆっくりと上がってくる足音。じり、じり、と石段の上に砂を踏む音が続いて、
――やがて姿が現れた。


決断の時は唐突にやってきた――


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