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随分と酷い扱いを受けているようだ、と前置きされたにもかかわらず、長秀は報告書類を握ったまま二の句が告げない状態に陥っていた。
「今どきこんな家があったとはな・・・」
卓の向こう側で相手が呟くのも、耳には入っていない。
自分の家は帝王家を支える柱として表に立っていたから、その当主となるべき自分は、色々と厳しく教育されて育ってきたと思う。 裏の柱たる直江家は、もっと厳しかったはずだ。
しかし自分の家は、何だかんだ言ってもおおらかだった。家族の絆も温かなものだったし、多少遊んだといっても、することさえきちんとこなしていれば、大目に見るだけの大きさがあった。
けれど、この不運な王子は・・・
彼≠フ名は仰木高耶。
旧家の多く集まるこの辺りでも有数の名家・仰木家の現当主の一人息子で、おそらくはその跡を取るであろう立場にある、究極のサラブレッド。
――のはずだった。
だが。
「どうも様子がおかしいので、少し反則技を使って調べてやった結果が・・・これだ」
苦々しげな顔でそう言って続きの書類を渡す直江の様子にいやな予感をおぼえながら、読み進んでいった長秀である。
字を追う視線が下へ行くにつれ、さらにページを繰り進むにつれて、その顔が恐くなっていった。
そして最後まで読み終えた時には、視線も体も止まったままで、紙を握り締めたその手だけがぶるぶると震えている状態にまで至っていたのである。
「・・・おい、長秀」
いつまで経ってもその状態から抜け出さない彼に、直江が声をかける。
「――何だ、こいつは!?」
瞬間、顔を上げた長秀の物凄い目にまともに出会ってしまった直江は、どうしたものかと右に左に視線を彷徨わせてから、ため息をついて、熱血漢の友人に宥めるような視線をくれた。
「俺を睨んでも仕方がないだろう。・・・少し落ち着け」
「お前は!何とも思わないのかよ!? 上杉宗家の者が、人間風情にここまで虐られて育ったっていうんだぜ!?
――許せねぇ!俺は悔しい・・・っ」
目の前に仰木の当主がいたら、八つ裂きにされていたであろう。
彼=\―仰木高耶は、とても正気とは思えない仰木家当主の監督のもと、考えられないような境遇にその身を置かれていたのである。
一人、離れに閉じ込められて本殿には立ち入ることも許されず、外に出られるのは高校へ通う時のみ。その送迎も全てお付き(監視役という方がよほど実情に合っている)の運転する車でのことである。離れと学校をダイレクトに行き来するのみの生活だった。常に監視役の目が光っていて、遊びに行くことはおろか、気晴らしに散歩するのすら許されてはいないという。
そして、その所以が、あれ≠ネのである。
満月の夜ごとに現れる竜の真紅の瞳と右手の鱗。
長秀や直江にとって何よりも神聖なものであるそれは、人間にとっては化け物≠ニ呼ばれても仕方のないほど気味の悪いものなのだった。
そして、もう一つ。
彼は現仰木当主の実の息子ではない。
その妹が、何の前触れもなく突然に身ごもって産み落とされた子供であったのだ。
診察に当たった医師たちは真っ青になって古今東西の医学書を漁ったが、どうしてもその現象に説明をつけることはできなかった。
関係のありそうなことがらといってはただ一つ、聖母マリアの処女受胎――それだけであった。
処女に宿ったありえない命と、人間とは明らかに違う血のような赤の瞳、そして手に現れる鱗。
ここまで特異な要素の備わったモノを許容できるほど、人間は心が広くはない。
高耶が化け物扱いされるのには、それだけで十分だったのである。
しかし・・・
「・・・人間じゃねえよ。この当主」
長秀はぎり、と唇を噛む。
――仰木の当主は高耶を飼い殺しにするのを、まるで楽しんでいるかのようだった。
一応直系の男児には変わりないのだから、とか、下手に追い出して世間に知れたら、とかいった理由は口実にすぎないのではないかとすら、思える程だ。
高耶も竜王の血を持っているからには、消極的にただ父親に従うような性格ではない。
当然、その手から抜け出そうと足掻いたことは何度もあるだろう。
そして、当主はその度に、高耶にとって最もこたえる方法をわざわざ選んで、その抵抗を封じてきたのである。
手の中で足掻くのを如何にして粉みじんに打ち砕いてやるか。
そんなことに愉しみを覚えているとしか思えないような、当主はそういう人間だった。
直江は長秀の台詞に、やんわりと訂正を加えた。
「そうじゃない。そもそも悪魔は人間の中にいるものであって、『人間じゃない』なんて言ってやるほど『人間』は綺麗なものではないさ」
冷静な突っ込みに、長秀がキレた。
「――てめえという男は!
昔からそういう奴だったが、こんなありさまを知っても何とも思わねぇのかよ!? 何にも感じねぇのかよ!?
何でそんなに落ち着いていられ・・・」
卓の上に身を乗り出して相手の胸ぐらを掴み、まくしたてた長秀の襟首を、今度は直江が引っ掴んだ。
「――俺が、落ち着いているように見えるか?・・・こんなものを目にしておきながら、俺が何も感じていないだろうというのか?この俺が?
・・・ふざけるな !! 」
長秀が紅蓮の炎ならば、直江は氷の刃だった。
喚きたてるわけではないが、ひしひしと相手に伝わるその激情は、内に何よりも恐ろしい奔流を孕んでいることを如実に表していた。長秀はようやくそれに気づき、口を閉じた。
「俺が黙っているのは、怒鳴りたてたところで何も変わらんからだ。この男を八つ裂きにしてやりたがっているのはお前だけではないと、わからないのか?
今はまず、冷静になって、打つ手を考えねばならん。頭を冷やせ、長秀」
言って、手を離すと、直江は先ほど茶が運ばれてきたときに同時に出されていたお絞りを取って、ばしっと相手の額に押し当てた。
「――悪かった。俺は自分の感情で手一杯で・・・お前の中の怒りが見えていなかった」
長秀が素直に謝ると、直江はお絞りでぐいぐいとその額を押してやった。
「・・・これはやめろよな。子供扱いするな」
そう年も変わらないっていうのに、と嫌そうな顔になるのを見て、ちょっとした仕返しだ、と涼しげな顔をする直江に、長秀はますます嫌な顔になった。
あーあ、何でこんな奴と、と呟いた彼だったが、ふと真顔になって相手を見る。
「なあ、ところでさ――余計な世話かもしれないが・・・お前、体は大丈夫なのか?
もうリミットぎりぎりだろ・・・」
そうなのだ。
同じ吸血一族でも、安田の者は血を選ばない。血の通った生き物がいるかぎり、餓死することはないのだが、直江の直系は宗家の直系と【対】を結んでその血を啜らなければ生きてはゆけない体である。
ある歳までに【対】を結ばなければ、ガン細胞に冒されるようにして急激に体力が衰え、死に至るのだ。
直江にも、あと二週間もすれば衰えがやってくるのだった。それまでに【対】となる人を見つけなければならないのである。
――その機会は永遠に失われたと思っていたのだが・・・
「でもまあ、宗家の者が見つかったわけだし、何とかなるか」
楽天的に続ける長秀を、直江は視線で黙らせた。
「・・・何か、まずいことを言ったか?」
「考えてもみろ。彼≠ノしてみれば、そんな話は知ったことではないだろうが。
いきなり俺たちが現れて『お迎えにあがりました。王子』などと告げられ、連れてゆかれて、その上『私はあなたの血を啜らなければ生きてゆけないのです。ください』などと言われてみろ。どんな神経の持ち主でもついてゆけないだろうさ。どんな冗談よりタチが悪いぞ。
それに、【対】は、宗家が選ぶものであって、こちらから頼み込んでいいようなことではない」
首を振る直江に、長秀は呆れたような視線をやった。
「頼むようなことではない、って・・・そうしなけりゃお前は死ぬんだぜ、あと一ヶ月かそこらで。
事情を話すくらい、したらどうなんだ」
「話して、同情されて結ぶ【対】など・・・意味がない。そんな命など、欲しくはない」
直江の顔は暗い。
昨夜垣間見た彼≠フ表情を思い出す。
――ぎりぎりのところにまで追い詰められた、手負いの獣。
虐げられる悲しみを知っているから、おそらく他人の不幸にも敏感なはずだ。同情するのもされるのも真っ平、と思っていても、きっとどこかに脆い部分がある。
その傷を舐めてやりたいと思ったとき、自分の置かれた状況を話してしまったら、それは、自分の命を救ってもらうためにやっていることだと思われてしまうだろう。それでももし彼が、傷を舐められるのが心地よいからと自分を【対】に選んだとしたら、それはただの妥協ではないか。お互いの中の偽りに目を瞑って、生きるだけではないか。
そんなものは、【対】ではない。
自分は、そんなものは欲しくない・・・
「やれやれ。頑固な奴」
直江のそういう性格をわかっているだけに、長秀は肩をすくめてみせながらも、不安でならない。
少しおどけた風を装って、
「俺の血でも役に立つっていうんなら、やっても構わねぇのにな」
と言ってみたのだが、
「それは嫌がらせか」
と白い目で見られたきりで、直江の頑なさは解けそうにもなかった。
その話題はそれっきりで、この日も次の日も彼らは情報収集に明け暮れたのだった。
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