[ contents ] index - menu - library - BBS - diary - profile - link

朔夜【直江編】

序章 第一章【】 第二章【】 第三章【壱〜伍

『迎えに、来ましたよ――』

ひざまずき、下から見上げた彼の顔は、どこか不思議な表情だった。

「・・・迎え?」
心許なげに呟く。視線が定まらないで、あちこちを彷徨っている。
無理もない。普通はこんな状況にあれば頭が考えることを放棄するものだ。訳のわからない、まさに今はそんな状況だろう。
直江はそんな彼を安心させようとするかのように、その肩に手を置いた。
「そうです。あなたを迎えに来ました・・・」
「オレを・・・」
子供のように反芻する彼に、
「あなたを」
男は揺るがないで、ただ優しくさとすように言いきかせた。
「行きましょう、高耶さん。ここはあなたにふさわしくない」
名を呼ばれて彼は驚いたようだった。そこで初めて、ごく当たり前の疑問に思い至ることができたらしく、
「あんた・・・一体なんなんだ。誰なんだよ・・・?」
どこの誰とも知らぬ相手に寄り掛かろうとしていた自分に気がついて動揺を見せる彼に、直江はふうわりと微笑んだ。
万感の思いをこめて、続ける。
「あなたを、よく知る者です――」


「オレを知ってる・・・って・・・?」
思いきり警戒の眼差しになってじっと自分を見下ろす彼は、ひどく動揺していた。
自分の特殊性をよくわかっているうえ、先だって相手にそれを見られてしまったことを思い出したようである。
どこまで知って、何を言おうとしているのか、と不安半分、威嚇半分といったところか。
そんな相手に、直江は極上の笑みを浮かべて告げる。
「あなたの知っていることは、私も知っています。あなたの知らないことも・・・私は知っていますよ」
女性を口説く際に大いに効力を発揮した、低く優しい声音で告げにかかる。・・・今の場合、対象が男性なのでその効果の程にはあまり自信は持てなかったが。
だが相手は揺らいだらしい。というより、狼狽気味であった。男の台詞はあまりにも甘く直接的に胸に響いたのだ。全身の毛を逆立てた獣の如き、ささくれ立ったその心の壁をも突き通って。
しかしそれでも彼は辛うじて自分を見失わずに切り返す。これまで誰からも得られず、求めて止まなかった手、ついに今差し伸べられた温かい手に、無条件に倒れこんでしまいそうな衝動を制して。
「オレの知らないことを・・・オレ以外の誰が知っているわけがあるかよ・・・」
全くもって常識的なご意見である。
直江は満足げに微笑んだ。
さすがは宗家だ。普通の人間なら、彼のような境遇に置かれていればあっけなく陥落するところだが、彼は自分を見失わなかった。芯の強さは十分だ。
そんなことを思って、ふと苦笑する。
つい今、彼を無条件に護ると誓ったばかりだというのに、値踏みするような行為におよんでいる。自分の悪いところだ。

反省しながら彼に意識を戻す。
自我の強いのは大いに結構だが、今は理性の試しあい合戦をしている場合ではない。
その為りから察するに、彼は学校から抜け出してきたらしい。このままではいつ例の監視役たちが探しにくるかもわからないのだ。これ以上ここにいてはまずい。早く場所を変えねば・・・。
鱗を逆立てた小竜をあまり刺激しないようにそっと立ち上がる。
再び見下ろす形になった彼に、今度は本気の声で決断をうながす。
「行きましょう」
「・・・・・・」
その手と最後の理性との間で揺れている高耶を、
「うわ」
直江はふわりと抱きしめた。
「な・・・な・・・何すん・・・」
あまりのことに暴れ出した高耶だったが、直江は構わなかった。その動きを封じてはいるが、決して他意はない。
相手を自分の懐に入れる意志を伝えたのと、もう一つは自分への確認だった。

自分の腕の中に、自分より少し体温の高い、温かい体がある。
一度はすべて喪ったと思った、自分の根幹をなすもの。
たった一つでもいい。
ここにこうして残っている・・・

いつの間にか静かになっていた相手に、告げる。
「私はあなたの影です。
高耶さん。
あなたに、永遠を誓います――――」

「あなたの不審も警戒も当然のことです・・・けれど、今は聞いてください」
この姿勢からは顔の動きは見えないが、びくりと動いたので面食らっているらしいことが見てとれた相手に、さらに言葉を続ける。
「あなたはここにいてはいけない・・・。あなたを取り巻く環境は、確実にあなたの輝きを磨り減らしてゆきます。
あなたにもわかっているはずだ。このままでは、壊れてしまいますよ・・・」

そう、壊れてしまう。
あのような家に戻り、手も足も出せない、けれど本能的な自意識から、全てを諦めて静かになることにすら及べない・・・そんな状態に戻って、あとどれほど精神が保つことか。最後の手段は自分で自分を捨てること――閉ざすことしかない。自分を狂わせることでしか、逃れられないのだ、このままあの家にいては。
それはもはや、緩慢な自殺。
――そんなことはさせない。自分が彼を知ったからには、捨て置くわけには決してゆかない。
だから、ここに、来た。

男が相手のそういう事情をほのめかせると、相手は頭の芯を一気に冷えきらせたらしい。
「っ !? ・・・あんたは・・・一体どこまで知ってるんだ !? 」
同情は許さない。
同情されるに十分足りる境遇にいるとわかっていながら、いや、わかっているからこそ、憐れまれることは許せない――宗家の誇り高い心が、確かに受け継がれているのだ、彼には。
;どんなに優しい言葉も、手も、憐れみからのものであるなら、要らない・・・許せない。
――彼がそういう思いでいることが、手に取るようにわかる。怒りから、毛を逆立てる獣そのものだ・・・。
その姿が、男には痛ましかった。
調べたのか、と燃えるようなオーラを放つ高耶を窒息するほど強く抱きしめて、男は続ける。
「調べたことなど、何でもないことだけです。あなたの本来の姿こそがすべてだ・・・私はそれをずっと前から知っていました。あなたの知らない、あなたのことを。あの美しい真紅の瞳・・・」
そう、男にとって何よりも神聖なあの瞳・・・。
しかしその台詞に、相手は唇を歪める。
「・・・この、化け物の瞳がか。――はッ!」
相手の胸に押しつけられてくぐもった声ながら、その笑いが自嘲するものであるということは明らかだった。
「・・・高耶さん!」
直江はそんな様子に腕にこめた力を強くし、痛ましげに目を伏せる。
「それがいけないんです・・・あなたは自分を厭っている・・・それが、あなたの魂の輝きを奪っていってしまう。そして、そうさせたのはあなたを取り巻く環境だ・・・。だから、あなたはここにいてはいけない――。
聞きなさい、高耶さん。
あなたは化け物などではありません。
そもそもそんなこと、誰が決めたというんです?・・・人間の都合では、あなたをはかることなどできはしないのに。
――あなたは俺たちの至高帝だ。
真紅の瞳も、エメラルドの鱗も、俺たちにとっては何よりも尊いものです。
あのとき、あなたの瞳を見て、私がどんな気持ちになったと思いますか。あのあと、あの瞳を思い出すたび、何を思ったと思いますか」
一度言葉を切って、こみあげる感情の嵐を整理する。それは、何も知らない相手に叩きつけるにはあまりに強すぎる感情だった。
「・・・私たちはあの瞳を探していました。決して戻らないものだと思っていながら、渇望していたんです。その真紅の瞳をもつ者を・・・。
その人物こそ、私たちの希望であり、掲ぐべき旗でした。
私たちの求めるものは、真紅の瞳を持つ者――帝王の血を引く者です。
我々を率いる頭としてのあなたを、私たちは求めているのです。大将となって世界を奪還する頭を・・・」
腕の中で硬直する高耶を感じて、直江は強く目を閉じた。
「・・・ちょっ・・・と、待てよ。何なんだ、それは・・・」
直江の上着を、しわになるほど握り締める。
それはおそらくは、不安から。とんでもないものに係わってゆくという予感と、告げられた像の重さへの・・・。
途方もない話に驚愕しながらも、相手はどこかでそれが真実なのだと半ば悟っているようだった。
「なんて・・・話だ・・・」
かすれたような声が、直江の耳に突き刺さる。
男はその声を聞いて、やはり告げねばならないと確信した。今日の自分の誓いを、ここで告げる・・・。
「高耶さん・・・」
今の言葉は、昨日までの俺の告げた言葉です。
今の俺には、もう一つ、言わなければならないことがある――――

直江は今度は直江の当主としてではなく、一人の影一族としての言葉を告げる。


序章 第一章【】 第二章【】 第三章【壱〜伍

[ contents ] index - menu - library - BBS - diary - profile - link