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序章 第一章【壱弐参四】 第二章【壱弐参】 第三章【壱弐参四伍】 第四章【壱〜四...】
彼と長秀は、どうやら仲が良いようだった。
・・・というと語弊があるかもしれないが。
あれから程なく神社の前に滑り込んできたガングレイメタリックのレパードを認めて、二人は物陰から姿を現した。
運転席に納まった眼鏡の男に、彼は無邪気な好奇心を向けている。
何を思っているのかはわからないが、そう悪い感想でもなかったようだった。
しかし、そんな様子も窓を開けた長秀が口を開くと同時に崩れ去った。
この軽口男は、二人を見るなり、揶揄するようにこう言ったのである。
「へぇ、これが我等が大将ってわけか。
お前もかわいそうになぁ、こんな男に捕まって」
こいつめ・・・!
しかも主家を『お前』呼ばわりである。
尤も、当の彼はどうやら驚いていてそこまで意識が働いていないようだったが。
「長秀!」
男が殺気を含ませて一喝すると、
「はいはい、黙ればいいんでしょ」
長秀は肩をすくめた。
その時、キィン、と同時に妙な感じを覚え、長秀と直江は顔を見合わせた。
お出ましだ。
早くここを離れなければ・・・。
「それよりさ、早く乗ったほうがいいんでない?どーも、嫌な気がこっちに近づいてんぞ」
彼にもわかるように長秀が言葉にすると、彼はぱっとこちらを見上げた。
すぐに肯いて、後部ドアを開けてやる。
「高耶さん、後部座席に乗ってください。すぐにここを出ましょう」
彼を乗せてから、反対側の扉を開けて高耶の隣に乗り込むと、すぐに車は滑り出した。
後方を窺ってみたが、例の気配がこちらに気づいているようすはなかった。前方にもそれらしい影は見られない。
「ふ・・・とりあえず、逃げれたみたいだな」
ミラー越しに長秀へ肯いてやる。
「あぁ。ギリギリってところだろうな。あと少し遅ければ、見つかっただろう。
それより、大将は大丈夫か?どうも、顔色が悪いみたいだけど?」
長秀はちらりと彼に目をやった。
さっきからいらいらしている様子だった彼は、ぐっと運転席をにらみつけた。
「お前の運転が悪いんだろ!いくら他に車がいないからって、住宅街で何キロだしてんだよ!」
・・・無理もない。
長秀の運転ときたら、直江ですら時々、幾つ命があっても足りないのではないかと思うことがあるほどの激しさなのである。
しかし当の本人は何も考えてはいないのだ。今も、青筋を立てんばかりの形相をした彼に、
「へぇ、もしかして怖いの?これぐらいで?」
と、からかうようににやりと笑いかけた。一瞬の間のあと、座席から乗り出すようにして、否定する彼である。
「なっ、違う!」
「まぁまぁ、安心しなって。俺様の運転テクニックは天下一品の事故知らずだからな」
――――頼む。
こんな時に睨みあいは止せ。
ため息とともに止めに入るしかない直江だった。
「・・・長秀、それぐらいにしとけ。
それに、一言言わせてもらうなら、事故知らずも何も、運転を始めたのここ最近だろうが」
ぼそりと呟くと、彼は青くなった。やはり、無理もない・・・。
頼むから否定してくれ、という響きで、彼は声を押し出した。
「おい、もしかして、お前無免とか言わねぇよな?」
「この世界の免許なんか、俺様には必要ないね」
何も知ったことじゃない、と長秀は平然と言い切った。
いい加減にしろ、と彼の瞳が燃える。
今にも火を噴きそうな緊迫に、やはり割って入るしかない直江だった。
「高耶さん」
声をかけると、彼は体をこちらに戻した。
「何?直江」
「先程から、運転手とえらく仲がいいみたいですけれど、名前、分かってますか?」
こめかみを押さえながら問うてやると、
「仲良くなんかねぇ!!」
みごとな二重奏で否定の叫びが上がり、さらに、真似をするな、と再びの叫び声。
きいんと響く頭を抱えた直江であった。
ややあって、彼が呟く。
「・・・そう言えば、確かに名前知らないかも・・・」
言われて、長秀が顎に手をやる。こちらも名乗っていないことをすっかり忘れていたらしい。
「確かに、名乗ってないわ」
にやりと笑ってミラーの向こうから名乗る。
「ん〜、じゃぁもったいないけど俺様がじきじきに名前を教えてやろう。
俺は、安田長秀。安田家の当主だ。覚えたか?な・が・ひ・で・だ。
一発で覚えろよ。どんなにせがんだって、もう言わないからな」
お前は一体何様かといいたくなるようなその言いざまに、彼は腹を立てたようである。
「別に、忘れたとしても、わざわざ聞こうとは思わねぇよ!」
二度は止めに入った直江だったが、三ラウンド目に突入した威勢のいい悪口の遣り取りにはついにお手上げだった。
そして男は耳を塞ぎながら、車が玄関の前に止まるまで続いたキンキン声に耐えたのであった。
邸に着くと、男は彼を伴って中の間取りを説明した。
広い石敷きの玄関を入り、正面の四畳部屋は控えの間で、その続き間の八畳部屋が一般の客間、そして奥の八畳部屋がもう一つ格上の客間である。この三つの続き間が外の人間の立ち入る区域で、その奥の二部屋はこの邸の住人の共同スペースだった。ダイニングとソファールームである。
そして、ダイニング横の階段を上がると、二階には住人の個人部屋が並んでいる。
手前の二間は現在のところ空き部屋であるが、その奥の四間には主が定められている。
その一番手前が男の部屋で、彼はその次の部屋に入ってもらうことにした。これは、その奥に長秀を入れて、二人で彼を挟む形にするためである。彼を何者からも護るために。
これらの部屋は、一本に伸びた廊下を通じて行き来できる。廊下から襖を引いて中へ入ると、まず四畳の控え間があり、その向こうにある十畳間がその部屋の主のスペースであった。
どの部屋にも、必要な家具はとりあえず一通り入れてある。あとはそれぞれの部屋の主の好みで手を入れることになるだろう。
彼はあてがわれた部屋の中を物珍しげに見て回っている。そのさまに微笑み、男は部屋の入口から声を掛けた。
「高耶さん、気が済みましたら、着替えて下に降りてきてくださいね。
服は、クローゼットの下の引き出しに和服がいくつかあると思いますから、それを着てください」
そこを示しながら言ってやると、
「おぉ」
彼は振り向き、片手を上げて応えた。
その様子がまた、微笑ましい。
「それから、言い忘れましたが、高耶さんの部屋の奥が長秀の、手前が私の部屋となっていますから」
男はそう告げて、階下へと下りた。
階段の最後を下りきったときには、すでにそこには微笑みは残っていない。
これから大切な話をしなければならないのだ。
長秀に。
自分の決意を、話しておかなければならない。
「・・・よぉ」
ソファールームに入ると、長椅子にだらしなく寝そべっていた長秀が身を起こした。
「何か言いたそうだな」
自分の気の乱れから、すでに察していたようだ。
「ああ」
言って、ソファに身を沈める。
眉を寄せて、しばらく黙り込んだ。
向かい合った長秀はひらひらと手を振って、気を張るなよ、と促す。
穏やかでない内容であろうことは察していながら、リラックスさせようとするのが、この男らしい。
さあ、言おうか。
「長秀、俺は心を固めた――」
「俺は今日限りで、直江の当主ではなくなる。――――ああ、違う、そういうことではない、最後まで聞け」
驚いて掴みかかろうとする相手をとどめて、続ける。
「それよりも優先させるものを決めたという意味だ。
俺は当主としての務めよりも何よりも、あの人を取る――― 一人の『影』として、あの人個人を全ての上に置く。
それだけ、憶えておいてくれ」
そう、きっぱりと言い切った。
しばらく二の句が告げないでいる長秀に、畳み掛けるように続ける。
「俺はあの人がどんな道を選んでも、そこへついてゆくことを決めた。
どんな、道でもだ。
たとえ、あの人が上杉の直系として戦に向かうことを拒んでも、俺はとめない――――。
あの人について、どこまででもゆく・・・。
全てを捨てても、俺はあの人を取る――――」
言うことはそれだけだ。
長秀が何と言うかはともかく、これは宣言しておくべきだと思った。
さあ、お前はどうする、長秀――――?
「・・・抜ける、っての、か・・・?」
ずいぶん経って、ようやく長秀が呟いた。
「・・・場合によっては、な」
「・・・あの坊ちゃんについていくって?」
低く問う声が、じりじりと沸騰してゆく。――――それでも、後へは退けない・・・。
男は肯いた。
「そう、俺はあの人につく。・・・それだけだ」
「・・・これまでを捨てて、故郷を捨てて、――――・・・俺たちを捨てて?」
押し殺したような低い声で、最後通牒を突きつける。
「――――そうだな」
直江は、ゆるりと肯いた。
ここで退くわけには、ゆかなかった。
「冗談・・・じゃ、ねぇ!!」
長秀が、爆発した。
「ふざけんな、この野郎!」
相手の胸倉を締め上げて、ぐらぐら揺すりながら詰問する。
その身は炎のようなオーラを纏い、燃え立つようだった。
裏切られる怒りと、苦しみ、悲しみが、そこに逆巻いて燃えていた。
「これまで護ってきたものを、捨てるのか?
じゃあ、ここまでやってきたことは一体何だったんだ!
お前は忘れたっていうのか?血に沈んだ一族の骸を?赤子までも絶やされたその血を !?
喪われたすべてのものを、お前は忘れるというのかよ !?」
はあ、と肩で息をついて、長秀は再び物凄い目で相手を睨みつけた。
「俺は許さねぇ !! 許さねぇぞ、裏切るなんて―――」
――――と、襟首を掴まれている拳を、直江が引き剥がした。
「聞け!」
「俺がいつ裏切ると言った、お前たちを捨てると言った !?
俺は高耶さんを何よりも先に立てる、・・・それだけだ。他の何も思ってはいない。
ここにいる限り、俺は直江当主だ」
まだ抜けると決まったわけでもないだろうが、と低く続けるが、説得力のある言葉ではないことを、男自身、わかっていた。
そういう問題では、ないのだ。
実際どう転ぶかは別として、男は官軍を離脱するということを既に一度決心したのである。
今度の展開如何によってはここを抜ける、と。これまで至上としていた血の誇りを捨て、ともに生きる仲間を捨てても。そう、仲間を・・・捨てても。
そういうことを考えた時点で、すでにそれは裏切りだ。
長秀はそこを突いてきた。
「そんなものは詭弁だろうが !!
お前はあいつにつくと言った。あいつが俺たちを抜けるなら、お前も抜けるんだろう?
それが裏切るということだ!」
―――なあ、お前はこの間俺に冷静になれと言ったよな?
じゃあ、今のお前は何だ !?
冷静どころじゃねぇ。
お前、熱にうかされてるとしか思えないぞ。
一体どうしたっていうんだ、直江信綱!」
男はただ笑っただけであった。
「これが、俺だ。
俺はようやく見つけたんだ。俺を囚える人を・・・。俺の生きる理由のすべてとなる人を。
―――ただ、それだけだ」
それだけなのだ。
・・・長秀がどんな言葉を待っているのかはわかっていた。
飄々として軽そうなことを言っていながらも、彼の情の深さは男を上回るほどだった。彼は故郷もその人々も、宗家のことも、おそらく他の誰よりも大事にしていた。そして、友と呼べる存在のことも。
「それは、俺たちよりも重い、と?故郷よりも、そこに眠る人々よりも、そんなすべてよりも、重いのか・・・?」
彼がだから否定の言葉を男に望んでいることは、わかっていた。
けれど、男にその道はない。
俺は既に選んだ・・・。
「そういうことだな・・・」
男はどこか遠い目をして、それでいて満足げに、肯いた。
それを見た長秀は、相手がすでに魂を奪われていることを、確かに見て取ってしまった。
もうこの男には、何を言っても通じまい。
トラワレタ・・・・・・
囚われることを、満たされることとするモノ。
男はすでに囚われ人。
「・・・もういい、わかった。―――好きにするさ・・・」
長秀はついに、肯いた。
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