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序章 第一章【壱弐参四】 第二章【壱弐参】 第三章【壱弐参四伍】 第四章【壱〜四...】
長い話を終えると、既に外は黄昏に染まっていた。
テーブルの上のカップは、あるいは空に、あるいは中身の入ったままに、すっかり冷えきっている。
それを前に、三人は押し黙って各々思索にふけっていた。
「今日は随分色々なことがありましたから、お疲れでしょう。もう後はゆっくりして、早く寝てください。
明日は身の回りの品を揃えに出ますからね。それを午前中に済ませなければなりません。昼には柿崎の者が到着するそうですから」
やがて男は顔を上げ、深く考えに沈んでいる様子の高耶に、そう声を掛けた。
人間、考えすぎるとろくなことがないのは、自分の経験からよくわかっている。
熱い湯にでも浸かって、寝るがいいだろう。
そう思って言ったのだが、相手は別のことに気を取られたようである。
「なあ、『柿崎』って?」
再び眉を寄せている。・・・どうやら余計に考え事を増やしてしまったらしい。
「すみません。説明がまだでしたか」
男は小首を傾げて苦笑した。
「柿崎というのは、上杉宗家直属の占術師のことです。予見者であり、意見者(アドバイザ)であり、運命を紡ぐ者でもある、そういう存在でした。
その強大な【先見力】は代々の長にのみ保持され、その者が死ぬと次代の担い手にそっくり移動するとか。
言い換えれば、その力を受けた者こそが次代の長になるわけですが、そのため、今度のような不慮の事態においては、混乱から、一体誰がその力を受け取ったのかがわからなくなってしまうこともあります。
先の長は叛乱時に処刑され、その後継となり得る者たちも、新政権への協力を拒否したためにすべて滅ぼされたと聞きます。残った末尾の者たちには【先見力】は受け継がれず、一体それが何処へ消えたのか私たちにも知る術はなかったのですが、それが、どうやら見つかったそうなのです。
長秀、説明してくれ」
男は長秀に話を振った。
考えてみれば、“柿崎の者が見つかった”ということを聞かされたのみで、詳しいことは自分も知らないのだ。
「おぉ、忘れてたぜ」
話は終わったとばかりにソファに沈みこんで目を閉じていた長秀は、話を振られて、思い出したようにぽんと手を打った。
普段なら、忘れてたとは何ごとか!と嗜める男であるが、今日ばかりは無理もないと沈黙を守っている。
何も言わない男にむしろ気味の悪いものを感じたらしい長秀だが、とりあえず気にしないことにして、話を進めた。
「じゃあ話してやろうか。
俺んとこの《諜報》・御影を遣って全国の千秋を動員し、召集に当たらせていたのは知ってるな?直江。
さっき昼にその御影から連絡が入ったのさ。何でも、九州の神山に潜んでいた者たちを集めに出て、偶然、天馬族の気配に気づいたらしい。
それが柿崎の新しい長だったというわけだ。まだ力を受けて日が浅く、滝に打たれて気を高めていたんだと。
で、既に《機動》第一・浦留を迎えに遣わしてある。もし途中で何かあっても、あの男なら大抵のことは切り抜けられるだろうさ」
長秀の与えた情報はごくごく簡単なものだった。
男は釈然としない顔で突っ込む。
「経緯はわかったが、一体誰だったんだ?その長は。それに、何故ディアにいたんだ。
そもそも柿崎の所縁の者がこちらに下りたなど、聞いたこともなかったぞ」
ディアに深く根を張り、殆どすべての渡界状況を把握しているはずの橘にも、そのような情報はもたらされていなかった。
おかしい。
眉間に縦皺を刻んでいる男をよそに、長秀はどこか能天気だった。
腕を組んで首を大きく廻らせ、
「ん〜それなんだが、俺もよく知らねぇ。御影のやつ、あれで結構気が動転してたらしいな。肝心の人物像を言ってこなかった。
取り立てて言うほどのものもない平凡な相手だったのか、それとも、逆にあんまり意外で口が回らなかったのか・・・」
一人で合点している。そしてとどめに、ぱっと顔を上げて肩をすくめる。
「ま、どうせ明日の昼になりゃ実物とご対面だ。そんならぐだぐだ考えててもしかたねぇよな」
だから悩むのはやめだ、やめ、とお手上げポーズをとって笑う長秀の底抜けの楽観ぶりに、
「長秀・・・」
こめかみを押さえて呻いた男であった。
「何だよ、考えたって何かがわかるわけでもなし、果報は寝て待て、ってさ。
な、そう思うだろ、大将よぉ」
長秀はそんな男を笑い飛ばして、高耶に同意を求める始末。
しかし、先ほどから自分を抜きにして話が進んでいるのにむっとしていた彼は、ふんと横を向いただけでそれを無視する。
「・・・なに、放っておかれたのを拗ねてんのか?か〜、甘ちゃんだねぇ」
そのさまを見た長秀は楽しそうに再びからかいモードに入り、相手の毛を逆撫でする。
「何だとっ !? 」
「すぐムキになるとこも、子供だよな」
間髪入れずの突っ込みに、
「っ!」
言葉に詰まらされた彼は、一旦押し黙ってから、相手を上目遣いに睨みつけた。
「・・・俺はお前のそういうとこ、大嫌いだ! 人で遊んでんじゃねぇよ!」
そのきつい目にも負けず、ひょいとかわして長秀は、
「そうかい?俺は好きだぜ、お前のそういうとこ」
と空とぼけて笑った。
「・・・遊び甲斐があってな」
「てめ・・・!!」
掴みかかった彼は難なく長秀に拳をとめられ、う〜と唸った。それを見て楽しそうに笑った相手の隙を突いて、再び拳を突き出す。
今度は腹に入ったようで、長秀が身を折った。思わず覗き込んだところを、
「隙あり!」
と額を叩かれる彼。
「おいっ!」
憤慨する彼を、そんなんじゃ生き抜いていけねぇぜ、とからかう長秀である。
―――じゃれている彼らをよそに、男は一人考えに沈んでいた。
それにしても、と訝る。
今度のことは不自然に過ぎる。何故柿崎の次代の長は、ディアにいた?叛乱に巻き込まれることなく済んだのは、こちらにいたからだ。
何故、こちらに来ていた? まるで叛乱の起こることが、既にわかっていたかのように。
―――既に、わかっていたかの、ように?
そうだ、あのときの我々に下された命と同じように、柿崎の次代も逃れさせされていた?
つまり、かたがたは、知っていたのか。
謙信公も、父上も。安田殿も柿崎も?
ご存じの上で、あのような行動に出られたのか。
まさか・・・。
「・・・え、直江!」
意識の底に埋没しているのを、誰かが呼んでいる。
本当に最近になってから知ったのに、まるで生まれる前から知っていたような響きを持つ、この声。
―――これは、高耶さんだ
それが彼だと気づいて、男はようやく現実に戻ってきた。
「・・・あぁ、高耶さん」
彼を認めて微笑むと、相手は怒ったような顔をして目をそらした。
「・・・風呂」
「はい?」
一瞬、何を問われているのかわからずに瞬きをすると、
「風呂入ったらって言っただろ」
彼はどこか食って掛かるような勢いで言うが、目は逸らされていてその思惑はやはり掴めない。
目で問うも返事はなく、仕方がないので尋ねてみる。
「ええ、それが何か?場所は最初にご案内しましたが」
「・・・・・・」
相手は唇を結んだままだ。
はたと男は手を打った。
「そういえばまだ窺っていませんでしたね。高耶さん、お湯は熱い方がいいですか?それともぬるめがお好きですか」
どこかずれたその問いだったが、彼は律儀に答える。
「・・・今は熱いのがいい」
「わかりました。―――楓」
男は承って部下を呼んだ。
すると、いつから控えていたものか、リビングの外、廊下に跪いた姿が答えた。
「はい、信綱さま」
「今夜の宿直はお前と千種だったな」
「はい。千種はただ今厨房の指図にあたっておりますが、御用は私で足りますかしら?」
男の直属の部下・《三人衆》の《諜報》である楓だったが、主に対するにしてはくだけた口調である。
彼女は見た目には十八歳くらい、髪は首にかからない程度のショートで、いかにも明るい印象の女性だった。白いストレッチパンツを穿いてざっくりした生成りのセーターに身を包んだ姿で跪いて主の命を受けるさまは、見慣れない者には随分と異様な光景であったろう。
彼はまさしくそのような表情をして、主従を交互に見やっていた。
さて、主はそれに気づいているのかいないのか、淡々と用向きを述べている。
「湯殿の支度は済んでいるはずだが、湯を熱く保っておくように。今の用はそれだけだ」
「承りました。直ちに参りますね」
楓はひょいと立ち上がり、軽やかに身を翻して廊下に消えようとした。
―――と、長秀がそれを呼び止める。
「楓」
「はい?」
くるりと向き直って、楓は首を傾げた。そのくだけすぎた態度に苦笑した男は嗜めるような視線を送ったが、当の長秀は頓着していない。
「千種にビールを冷やしとけと伝えてくれ」
未成年の目の前で堂々とそんな注文をつけ、思い直したように付け加える。
「いや、やっぱ熱燗がいいな。そろそろいい季節だし」
長秀はこの通り、随分な酒好きであった。だが、
「・・・長秀さま」
それを聞いた楓は苦笑を浮かべて首を振った。
「長秀さまがそう仰ったらこう言えと聞いておりました。
―――私が厨房にいる限り、これからは酒気は控えていただきます。未成年のお方の目の前でお酒など出せませぬ、と千種よりのこと伝えでございます。
・・・お気の毒ですが、お諦めください」
千種のこの的確な予想と釘刺しに見事にしてやられて無言で突っ伏してゆく長秀に、同情とも慰めともつかない眼差しを向けて、楓は静かに下がった。
一方、男は憮然とした様子の長秀を尻目に、呆れているらしい彼に囁きかける。
「―――こんな男になっちゃいけませんよ」
・・・声を潜めていても、この距離である。聞きとがめた長秀は顔を上げて男を睨んだが、そんなものはどこ吹く風、とばかりに落ち着き払って男は立ち上がった。
彼を促して、風呂に案内すべくリビングを出ると、それまで黙っていた彼が腕を掴んできた。
「さっきのは誰なんだ?それに、『ちぐさ』って?」
「あぁ、」
男は肯いた。
紹介するのは明日でいいと思っていたのだが、やはり少しは説明すべきだろう。
「彼女は私の直属の部下・《三人衆》の一人です。同様に、千種は長秀の《五人衆》の者ですよ。さっきの話にも少し出てきたでしょう?」
問うように顔を覗き込むと、思い出そうとするように視線を彷徨わせ、彼は肯いた。
「《三人衆》、《五人衆》っていうからには全部で八人いるわけか」
「ええ。今日いっぺんに紹介したのでは混乱のもとですし、まだ二人、柿崎の迎えに出ていて不在ですので、明日、全員が揃ったところで正式にご紹介しますから。そういうことでいいですか」
事情を説明すると、彼はなるほどと肯いて、納得したようだった。
「わかった。確かに今紹介されてもまともに覚えられそうにないしな。・・・結構、疲れてるかも」
う〜ん、と伸びをするさまがかわいらしく、男はふと微笑した。
「さあ、今夜は早く寝るのですから、さっさとお風呂を済ませてくださいね。着替えは先ほどのクローゼットから適当に選んで。私はここで待っていますから」
既に眠気をもよおしかかっている彼を急かして、階段で見送る。
「・・・別に待っててくれなくていい」
甘えた子供みたいに思われるのが嫌だったのか、そんな風に退いてみせる彼に、男は優しく微笑みかけた。
「待っていますよ」
気を遣うことなんて、ないんですよ―――。
さっきあなたが何か言いたそうだったのは、こういうことでしょう?
勝手を知らない家に来て、風呂を使え、と言われても困るのは当然なのに、それに思い至らなくてすみません。
ついてきてほしかったんですね。
でもそれは我がままかもしれない・・・なんて、気を遣っているんでしょう。
素直で、そしてどこか臆病になってしまうところがあるあなただから。
―――でも、あなたはもっと我がままになっていい。遠慮なんて、いらないんですよ・・・。
「これは私の勝手ですることなんです。あなたは何も気にしなくていい。私が待っていたいだけです。
・・・尤も、監視されるようで嫌だ、ということなら別ですが」
一応、最後に付け加えたが、彼は首を振った。
「そうですか。
じゃあ、着替えを取ってきてください。・・・こんなことをしているうちにお湯が冷めてしまいますよ?」
「ん」
くるりと背を向けて、彼は階段を上っていった。
その軽い足音を聞きながら、男は我知らず、穏やかな笑みを浮かべていた。
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