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朔夜【直江編】

序章 第一章【】 第二章【】 第三章【】 第四章【〜四...】

「なぁ、あのさ・・・直江と長秀は吸血鬼みたいなもんなんだろ?血、とか吸うの?」
 空になったカップを両手で弄びながら、彼が尋ねた。
 恐がるというほどでもないが、どこか恐る恐るといった感じの質問に苦笑ぎみに答えようとした男だが、それを押しのけて長秀が口を開ける。
「吸うぜ。美女の血を求めて、夜な夜な闇の中を飛びまわ・・・」
 長秀は彼の反応を楽しみながら、何かおどろおどろしげに声のトーンを落としてゆく。意味深に言葉を切って、
 少し怯んだ様子の彼を見ると、にやっと笑い、
「ったりは、しねぇけどな。びっくりした?」
 と普通の声に戻った。からかっている。
「なっ!いいかげんにしろよ。お前絶対オレで遊んでんだろ!」
 玩具にされたのに気づいて怒りに叫ぶ彼だったが、長秀は心外だ、というような顔を作って、
「そんな恐れ多い。我らの主たる上杉宗家の方でそのような事が出来ようはずがございませんとも・・・」
 それも最初の方は重々しくまじめだったが、次第に声はかすれていく。
 丁寧すぎて馬鹿にしているようにしか響かないその声に、彼は余計に腹を立てたようすで、カップを握りつぶさんばかりに力の入った手が、微かに震えていた。きっと彼は長秀の首を絞めてやりたいほどの思いでいることだろう。何だってこの男はここまでオレをおちょくるんだ、と。
 ―――違うんです。
 長秀は俺の言った言葉を怒って、それでもどうしようもないことをわかっているから、わかっていて何もできないから、やり場のない燻りを持て余して・・・あなたに八つ当たってしまうんです。
 それが痛いほどよくわかるけれど、男にはもう引き返す道はない。
 間に割って入ることしか、出来はしなかった。
「高耶さん、続き、話しましょうか・・・」
 長秀を睨みつけていた彼は、それでこちらを思い出したようだった。
 怒り疲れたのか、小さくため息をついて、肯く。
 その隣で長秀は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「叛乱の前に自分に下された命は不自然だった」
 長秀と口を揃えて、男は言った。
 あの命令は、どちらも、わざわざ自分達が直接出向くほどのものではなかった。
 後になって思う。
「この叛乱は、謙信公の黙認の元で勃発したのではないか―――」

 ――――叛乱、一月前―――――――――――――――

 自分と長秀は城へ招集をかけられ、上杉家帝王・謙信公の前に膝を折って、公の言葉を待っていた。
 公の両脇には自分達の親であり、それぞれの家の現当主である、直江実綱と安田秀征が控えている。
「長秀に信綱、わざわざ出向いてくれてご苦労だった。顔を」
 頭上から声をかけられて、主を見上げる。
 今年で帝王について400年になるその姿は、越の国の最高権力者としてふさわしいだけの貫禄と寛容さをにじませている。
 我々が、毎月行われる会議以外で公にまみえたのは二年ぶりのことだった。
 これは何かあるのだ、と思った。
 それは長秀も同様で、普段とは違って顔を引き締めていたが、そんな緊張をおかしそうに公は笑った。
「二人とも、そんな堅苦しい顔をするな。
こうして会うのは二年ぶりなんだから、もっと嬉しそうな顔をしたらどうだ。なぁ、実綱」
「お言葉ですが、謙信公。二人はもう若手を束ねるべき立場の者なんです。
そのような事を軽々しくおっしゃらないで下さい」
 自分以上に堅物なところのある父は、煩くそんな言葉で公を嗜めた。
 が、公はやれやれと肩をすくめただけで、
「・・・これだから実綱はいかん。もう少し肩の力を抜かねば、早死にするぞ。
その点、秀征は分かってくれるであろう?」
「はぁ。そうですね」
 父に横から睨まれて、安田当主は、どちらにつくでもなくあいまいに答えを濁した。
 父はそこで黙る人ではない。
「秀征、それでは答えになってない。
謙信公が間違っておられると思うのならば、私のようにはっきりと申し上げるべきだ」
 どこまでもちくちくと刺してくる父に、秀征殿が首を傾げる。
「・・・なんだ、実綱。今日はやけに引っかかるな。さては、奥と喧嘩でもしたか?」
「秀征!!」
「ほぉ、図星か」
 公は二人の会話を楽しそうに見物している。
 この光景に、自分は長秀と顔を見合わせてため息をついたものだ。
 これが、この国を握る三人なんだろうか・・・
 いつ見ても、脱力の図だった。
 しばらくは黙って成り行きを見ていたが、あまりにも先の見えない口論に、自分はとうとう口を開くよりなくなってしまった。
「謙信公。今日、我々を呼ばれた理由をお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
 公は思い出したように我々の方を見て、からからと笑った。
「あぁ、すまない。完全に、忘れておったわ。
おい、実綱も秀征もそれぐらいにしとけ。息子達が呆れておるぞ」
 自分のことは完全に棚に上げた謙信の言葉に、謁見の間は静まり返った。
 ややあって、
(親父達もだけど、謙信公もいい性格しているよな。さすが、親父たちの主だわ・・・)
 という長秀の心話に苦笑した。
「さて、遅くなったが本題に入ろう。二人には命を下すために来てもらった」
 自然と体が緊張するのを感じる我々だった。
 これまでは、公からの命はすべて、父親を通して下されてきた。それが、今は、直接命を下すために呼んだのだ、と言われたのである。
 やはり、何かある・・・。
 不思議な強張りの中、公は口を開いた。
「まず、安田長秀」
「はいっ」
 膝をついたまま一歩前に出て、頭を下げる長秀だった。
「お前には、直属の者達を連れて、護城の守に当たって欲しい。期間は一月半から二月」
「はっ、承りました」
 即座に肯いた長秀だったが、拍子抜けしたのがこちらにも伝わっていた。
 これはわざわざ直接に下さねばならぬような命では決してない。
 一体、どうなっているのだろう?
「直江信綱」
 惑っていると、今度は自分に公の声がかかる。
「はい」
 長秀と入れ替わるように一歩前に出て、頭を低くする。
「信綱はディアに行ってもらう。今起こっている摩擦を取り除いてきてくれ。
その後は橘家当主代行をこなしていてくれるよう」
「直江信綱、確かに承りました」
 すぐさま肯くが、やはり解せない命である。
 すっきりしないまま元の位置まで下がり、二人揃って顔を上げると、公は今までの重々しい雰囲気を払拭するかのように笑った。
「本当はこれぐらいの事、実綱と秀征に伝えておけば事足りたのだが、お前たちの顔を見たくてな。
二人とも、立派になっておるようで安心した。信綱は父親にさらに似てきたしな。
まぁ、これは、どうかと思うが・・・」
 堅物になりすぎだと言いたいのだろうか・・・
「謙信公!」
 実綱の怒声に続きをごまかす公だった。
「あ、ま、それは置いといたとしても・・・
二人とも、これからも上杉宗家に力を貸してくれ」
 公の言葉に自分たちは力強く頷いた。
 物心がつく前から、自分は謙信への―――ひいては上杉宗家への忠誠を叩き込まれてきている。
 しかし、それとは別のところから、刷り込みとは全く別に自らの意志でも上杉宗家への忠誠を思う。そうさせるだけの何かが、公にはあった。
 自分達が命を賭してでも支えるのは謙信ではなく、次にその席に座するものだが、公が認めなくては誰にもつけないその席であるから、
 今だ見ぬその人物にも忠誠を誓える。
 今は謙信しか持たぬ真紅の瞳。それはやがてその席を受け継ぐべき人物にも現れると言う。
 その色は他の上杉の者とも根本から違うものだ。
 比べ物にもならない。
 いずれ出会うはずの、かの瞳の持ち主。
自分たち二人は、ここで改めてその人物への忠誠を刻みこんでいた。

 その姿を公の影から静かに見つめていた父親たちの眼差しの意味に、自分は後になってから気づいたのだった。

 ―――そして。


 “叛乱”の言葉が自分たち二人に伝わるのには、多少の時間差があった。
 王都のはずれだったとはいえ、サーラにいた長秀が知ったのは勃発から半日。
 ディアに下っていた自分がそれを受けたのは、それから遅れることさらに半日経った時だった。


――――――――――――――――――――――――


「俺は南方城の執務室で報せを受けた」
 長秀が、苦い声で呟いた。
 彼はそのさまを何も言えずに見守っている。


――――――――――――――――――――――――


「長秀様!!」
 王都を護るために造られた四方の護城。
 その中でも、最大の規模を誇る南方城にいた長秀は、許可も得ずに駆け込んできた衛兵を軽く睨む事で諌める。
 普段ならば、初めからやり直すために一度部屋から出て行く彼が、今日は諌められた事にも気付かずに長秀の元で膝を折った。
「長秀様、王都で叛乱が、叛乱が起きました!!」
「何っ!本当か !? 」
「はい。王都に一番近いところに配されておられました浦留(うらどめ)様からの先鋒が城に来まして、そう言いましたので、間違いはないかと」
 信じられない衛兵の言葉に長秀は唇を噛む。
「浦留は?」
「もう、着かれるとのこと」
「召集命令を。浦留がこちらに着き次第出立する」
 衛兵は短く返事をして、すぐに部屋から出る。
 それを確認するまでもなく、長秀は衛兵の出て行った扉とは違う扉から外に出た。
 そこには長秀とその取り巻きである《五人衆》以外が通る事を許されていない廊下がのびている。
 この先には《五人衆》の部屋と、その奥には長秀個人の部屋がある。
 先程の会話を聞いていたであろう、彼らの部屋からは出立の準備をしているらしい物音が聞こえてきていた。
 後一分もすれば、この城中がそのような音に包まれるであろう。
 長秀はその中を走り抜け、自分の部屋に入り、私服から戦闘服に着替えた。
 その腰には安田家の紋を刻んだ長刀と短刀が鈍く光を放っている。

 ――――叛乱―――――――――――――――――
 どのような国であろうとも、絶対に起こり得ないものではない。
 しかし、何故、自分が王都を離れている時に起こるのか。
 もちろん、王都には自分の父親も直江の当主も、そして謙信公もいる。
 だから、叛乱などで何かが起こりうるはずなどないのに、何故か胸が騒ぐ。
 “急げ”と第六感が告げている。
 ここから、竜の城と呼ばれる王都の城まで天馬で駆けて二時間。自力で行けば、半日。
 だから、着いた頃にはすべてが終わっているかもしれない。
 そして、慌てて戻ってきた自分を与えられた場所から離れたと叱るかもしれない。
 それならそれでよかった。
 無事であるその姿さえ見れれば。
(謙信公!!!)
 心の中で、一ヶ月前に見たこの国の帝王に祈りのような叫びを飛ばす。


「なっ、城が・・・」
 付いて来れない者は後から来るように伝え、南方城から駆ける事二時間。
 長秀は空中でその動きを止めていた。
 天馬の上から見る光景は到底信じられるようなものではない。
 唯一、長秀に遅れることなく付いてきた五人衆も息を呑む。
 しかし、そんな彼らの様子などに構うことなく、不落と謳われた竜の城は元あった空中からはるか離れた地面へと崩れ落ちていく。
 数瞬後、ズドンッという重い音があたりに響き、その上空から勝利を喜ぶ叛乱軍の歓声が上がる。
 その声に弾かれるようにして長秀は天馬の手綱を取り、駆け出した。
 しかし、それを前方にいた翠波(すいは)が立ちはだかるようにして止める。
「長秀様、行かれてはなりませぬ」
「どけ!翠波!今、俺の目の前で城が落ちたんだぞ !? 
中には父上も謙信公もおられるのだ!」
「だからです!あの方々がいて城が落ちたんですよ !? 今は引いてください」
 翠波の言葉に返す言葉が見つからず、長秀は口をつぐんだ。
 今なら、叛乱軍は城を落としたという事実に興奮しているからか長秀たちに気付いていない。
 退くなら今なのだ。
「翠波の言うとおりです。今は引くべきです。長秀様に何かあっては叛乱軍を鎮めるべき方がいなくなります」
 長秀の後ろから千種(ちぐさ)が追い討ちをかけるように声をかけてくる。
 言われている事は分かる。その正しさに唇を噛み締めるぐらいに。
「・・・分かった。翠波、怒鳴って悪かった」
 しかし、そんな割り切れない思いを無理矢理封じ、次の瞬間には今、自分がすべき事を考え始めた。
「御影(みかげ)」
 長秀の左に位置している彼女の名を呼ぶ。
「はい」
「遠くからでいい、城の辺りの情報を探ってきてくれ」
「分かりました」
「翠波と浦留は、ここに来ている兵達の動揺を押さえて、南方城に連れ帰って欲しい」
 名を呼ばれた二人は、言葉にはせずに頷く事で返事をする。
 翠波は五人衆の中での主席に位置し、すべての兵に対して長秀の代わりに命令を下すことが出来る権利を有している。
 浦留は、長秀も含めた六人の中で一番年を取っているためか、兵からは父親に対するそれに似た信頼を集めている。
 この二人ならば、この非常事態でも安田傘下の兵すべてをまとめる事も出来るに違いない。
「知立(ちりゅう)は南方城以外の護城に伝令を届けてくれ。
内容は叛乱が王都で起きたという事と、勝手に王都に乗り込まないということ。
そして、もし叛乱軍の手が伸びてきたら城を捨てるようにも伝えて欲しい」
 五人衆の中で一番若く、みんなの弟分の様な知立も今はそのやんちゃな雰囲気を消している。
「はい、分かりました」
「千種は俺と南方城に。
 一刻も早く戻って、これから先の策を練る」
「承知しました」
 長秀はそれぞれに命令を下し終わると、ため息をついた。
「みんな、大変だと思うが、頼んだ」
 主たる長秀の言葉にそれぞれが頷き、たった今与えられた任務を行うべく、天馬の手綱を引いた。

 次の日、王都を完全に制した叛乱軍が今だ生きているはずの直江と安田の後継、そして、その残党を狩り始めていた。
 思ったより数の多い叛乱軍に、自分達だけで王都を奪回するのは不可能に近い。
 翠波、浦留、千種の三人には安田傘下の者のディアへの渡界責任者になるように、
 御影と知立にはサーラに残っている直江の者に力を貸すように命令を下した。
 長秀が態勢の立て直しと、直江との連絡を取るためにディアに渡る事になったのは、叛乱から一週間後の事だった。


――――――――――――――――――――――――


 自分は、よほど能力がなければ叶わない渡界を強行して、命をかけてディアまで伝えに来た部下により、サーラでの叛乱を知った。
 折しも、ディアは新月のころ。
 どれほどに高い能力を持っていても、この状況では渡界は不可能だった。
 ただ、ひたすら長秀からの連絡を待つしかなかった。
 他に何も出来ないという、己の無力さに歯噛みしながら。

(王都が・・・叛乱軍により、制・・・圧、されました・・・っ・・・)
 息も絶え絶えに、部下はそれを伝え、伝えたなり絶命した。
(馬、鹿な・・・)
 自分は完全に取り乱していた。既に息のない部下を揺さぶって、
(本当なのか !? 一体何があったというのだ!!答えよ!答えよ・・・っ!!)
 答えのないのはわかっていたのに、どうしようもなかった。いつまでもそうして止まない自分を、
(信綱さま!!)
 悲鳴のような声を上げて、《三人衆》がとどめた。
(もう、死んでいるんです。お分かりにならないんですか !? それ以上、責めないでやってください・・・!)
 遺体をもぎ離して、楓(かえで)が叫ぶ。
 その後ろで、椛(もみじ)が遺体を抱きしめて、床に崩れ落ちた。絶命した笹葉(ささは)は彼女の従弟であったのだ。彼らは同じ《機動》部に属していて、彼女は従弟をとても可愛がっていた。命をかけて報せをもたらした功績は誉としてやるべきものであったけれど、椛にしてみれば、それでも何より生きていて欲しかったことであろう。
 しかしそれでも彼女は健気に、お役に立てて笹葉も幸いであったことでしょう、と言ったのみであった。
 だが自分にはそんな彼女の心を思いやっている余裕はなかった。
(私は戻る)
 低い声で告げるなり、すっくと立ち上がった。
(信綱さま !? )
(いけません!!)
(こんなところでじっとしておられようか !? 王都が落ちた。公や、皆の安否も、何もわからないのだぞ!!
私は戻る。
何としてでも戻るぞ!!)
 無理をおしてでも渡界しようとした自分を止めたのは、柊(ひいらぎ)だった。
(信綱さま!!)
 頬が鳴った。
(これで頭が冷えましたか !? 
呆けている場合ではありません。こんな時であるからこそ、頭が冷静でいなければならないのですよ!おわかりですね?)
 彼は俺の横面を張り飛ばすと、いつものように淡々と、安田からの連絡を待つように告げた。
(安田の後継君は地方におられたはず。ならば必ず叛乱軍の手から逃れ、官軍を立ててこちらへご連絡を取ろうとなさいましょう。
それを待つことです。逸ってはなりません)
 まこと、その通りではあった。しかし、心はとてもそんな理屈で割り切れるようなものでは、なかった。
 一週間後に長秀から連絡が入るまで、自分はまるで檻に入れられたばかりの猛獣のように腫れ物扱いされ、《三人衆》に遠巻きに囲われて過ごした。一日千秋とはよく言ったもので、ようやくその使いがやって来た時には、自分は精神的に死にかかっていた。
そして、それぞれの傘下の者の建て直しに一ヶ月を費やし、今に至るのだった。


――――――――――――――――――――――――


 すべての説明を済ませて、男は静かに彼を見つめた。
「どうなさいますか?」


 彼がここでどんな道を選んでも、自分は彼についてゆく・・・

 ありし日の回想は、その度に自分の心を軋ませるけれど。
 それでも自分は選んだ。
 あなたとゆくことを。

 自分は真紅の瞳の持ち主をやがて主に掲げることを刷り込まれて育ってきた。
 最初はその瞳に、あなたを選んだ。
 そして今は、『あなた』という存在だけを、そのすべてを、選んだ。
 それがどのような所以かなんて、俺にもわかっていない。
 けれど、
 これが俺自身の選び取った、忠誠です・・・。


 さあ、あなたは、どうしますか―――?



――――――――― 「国を取り戻す」 ―――――――――



 このとき、俺たちの運命の歯車は、軋んだ音をたてて動き始めた―――――


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