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Act.6
「ごちそうさまでした。
今日はいつもにも増して特別においしかったですよ。どんどん腕を上げますね」
京番茶で締めくくった贅沢な食卓は、二人の視線が定まらないことを除けば、実に良いものだった。
直江の瞳は努めて高耶の瞳を見つめないようにしているらしかったし、高耶もそんな相手の瞳を追って逃げられることを恐れて、逸らし気味だった。
「……オレが台所に立つようになってもう三年だな」
ぽつりと呟かれた台詞に、力がなかった。視線は手元に落ちて、伏せがちの瞼が僅かな間に痩せたようだ。
彼をそんな風に追いつめているのが自分の態度なのだとわかっていて、辛い。
自分が、まるで気に入らなくなった玩具を放り出すように、彼に構わなくなったから。
これまでしてきたように小さな触れ合いを続けることが、とてもできなくなった。
出かける際の、帰宅時のハグ。
夕食後の、ソファでのコーヒータイム。
広いベッドでの共寝。
眠るまで髪を梳いてやった。
朝の挨拶。
親子のように細やかだったスキンシップが、ぱたりとなくなった。
それが彼をひどく悩ませているのだと、わかっている。
仕事を分担するようになって以来の俺の変化を、この人は気に病んでいる。
俺の気に入らないことをしてしまったのかと思っているのかもしれない。
それとも単純に寂しがっているのかもしれない。
怯えた猫のよう。
宿無しに戻るのが怖くて、不安に押しつぶされそうな。
それを、俺にはどうにもできなくて。
「―――そうですね。あの頃の食卓はなかなかすごかった」
返したのは笑えないジョークだった。
場の雰囲気を軽くしようと思って少しおどけた口調で言ってみるが、言った自分自身が笑う気分じゃないのに、面白くなるわけもなかった。
「しょうがねーだろ。包丁持つのも初めてだったんだから。中学生なんてそんなもんだ」
しかし、相手は会話の糸口を掴んだように微笑を浮かべ、肩をすくめた。
その微笑が、これまでには見られなかった大人のような寂寥感を含んでいて、直江は胸を突かれた。
ほんの少し前までは、親代わりの自分との甘やかされた生活の中で無邪気に笑っていたものを。
その幼いような明るい笑顔を、自分は彼から奪ってしまったのだ。
向日葵のような、愛しいあの笑みを。
「―――お前のとこに来て、三年間本当に世話になったな」
言葉を返せない自分を、しばらく悲しい瞳で見ていた彼が、ふとそんなことを言い出した。
「高耶さん?」
直江が、驚いた目をしてこちらを見ている。
久しぶりに、まともに視線が合った。
―――開崎さん、やっぱりオレには聞けません。
怖くて怖くて、拒絶されるくらいならその前に逃げます。
臆病者と笑ってください。
オレはもう……逃げたい……
「直江。オレ、そろそろ独立するよ」
夕食の間中、直江は努めてオレの目を避けていた。
ほんの少し前まではあんなに広くて優しかった眼差し。
失われてしまったそれを、今さら欲しがるなんて、遅い。
たぶん、オレが気づかなかったんだ。
直江の中にずっと存在していたであろう、何らかの苦しみに。
何も見ようとせずに、ただお前に甘えてきたオレの罪深さが、とうとうお前を壊してしまうまで。
きっとシグナルを発していたはずだ。親みたいな大きな心でオレを守ってくれながら、一方で訴えかけてきていたはず。
それに気づこうとしなかったオレが、悪かった―――。
解放してやらなければいけない。
これ以上甘えてお前の神経をすり減らさせる権利なんて、オレにはない。
だから、逃げます。開崎さん。
ごめんなさい。アドバイスは生かせなかった。
ごめんなさい。
「!」
見開かれた双眸に、何の感情が表れたのか、それを見る前に、オレは席を立った。
「……高耶さん!どうして?」
食卓を離れて、ソファの背を両手で掴んだ俺の背中に、直江の鋭い声がかかる。
驚いて、……少しは寂しく思ってくれたのだろうか?
何を思っても、哀しかった。
「しばらく一人でやってみる。お前の足引っぱるようなオレでいたくない。自分で自分の始末をつけられるようになるまで、頑張ってみるよ」
こんなオレだから、お前の傍にはいられないんだろう?
「―――そうしてもっときちんと一人前になれたら、またコンビ組もう?」
たぶん、声を揺らさずに言えたと思う。
涙なんて見せたくなかった。みっともない。
泣きたいなら部屋で一人で一晩中泣き明かせばいい。声を殺して。食い破るほどきつく布を噛んで。
思いきり泣いて泣いて流してしまえば、明日は笑って出て行ける。
―――ガタン、と椅子を追いやる音がした。
それを振り切るように顔をそむけたまま、自分の部屋へ向かおうと走り出したとき、
「馬鹿なことを……!」
いつになく感情を露にした直江の声が背中を追ってきた。
気づいたときには万力のような手に、腕を掴まれていた。
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