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Act.15
おそるおそる腕を回した体は可哀想になるくらい緊張していて、オレの胸にはじんわりとした何かがゆっくりと広がっていった。
オレなんかよりずっと大人だと思っていたこの男は、実は彼なりにこんなにも苦しんできたのか。
不安に泣く子どものように、大きな体を縮めて。
溜め込みすぎて爆発してしまうほど。
自分に落ち度がないことはわかっている。仮にあったとしても、ここまで酷い仕打ちを受けるような理由にはならない。
―――けれど。
オレはやるせなかった。
直江が何かに苦しんでいたことに、薄々気づいていたはずなのに、知らないふりをして無闇に甘えてぶらさがってきた。それが相手にどれほどの負担を掛けていたのか、この姿を見ればわかる。
何も知らないふりをして、傷ついた相手の傷に塩を塗るほどのことを、無邪気な大罪を自分は犯してきたのだろう。
謝るつもりはない。謝らなきゃならないなんて思わない。でも、オレは自分がやるせない。
気づきたかった。
直江がこんなにボロボロになる前に、ちゃんとその救援信号を受け取っていたかった。
同時に、腹が立った。
どうしてもっと早くに言ってくれなかったんだろう。こんな無様なすれ違いを演じる前に、お互い話し合えたらよかったのに。
そうしたらオレだって、あんなに不安になることもなかっただろうに。
避けられていたことが、嫌われたからだと思うことは、何よりもつらかった。直江が本当に好きだから、嫌われたくなかった。捨てられるんじゃないかって怖かった。
それを、オレを好きだから避けてたなんて、紛らわしいにも程がある。
ぐっと腕に力が入って、男がようやく口を開いた。
「高耶……さん」
苦しそうに眇められた瞳が、高耶と会う。
高耶は、腕を相手の首に巻きつけるようにして、しっかりと抱きしめた。
「―――オレ、母さんの身代わりじゃ、ないんだよな……?」
ぽろりと、そんな呟きがこぼれた。
どんなに激しく罵倒されても当然だと思っていた。
それだけのことをした。
あんなにも悲しい声で泣いたあなたを初めて見た。殺してくれとまで言わせてしまった。
その笑顔に癒されてきた俺が、この手で壊したもののあまりの大きさに、何もかもがお終いだと思った。
それなのに。
あなたは変わらぬ優しい手で俺を抱きしめる。
首に腕を回してこんなにも強く、癒すように抱きしめてくれる。
「あなただけです、あなただから―――こんなにも愛しい……」
とことんまで、伝えよう。
どんな想いであなたを踏みにじってまであんなことをしたのか。
今度こそ、ちゃんと言葉にして伝えよう。
「誰にも代えられない、たった一人の人です。俺にとってはこの世の全てよりも大切です。俺一人の命なんて価値もないくらい、あなたという存在だけが俺を生かす」
「大切……?」
「大切です。初めてあなたの瞳を見たとき、射抜かれたかと思いました。
きっとそのときから俺はあなたを唯一人の人として刻んでいた。……そのころのそれはきっとアガペーと呼べたかもしれない。いつからそこにエロスの要素が加わっていったのか、私には説明できません。
気がついたときには、もうどうしようもないほど近くに、あなたがいた」
「……」
「ええ、勝手な言い分です……誰に言わせても反論なんてできない。あなたには何の落ち度もない。私が勝手にあなたを愛し、暴走しただけです。
最悪の暴力を、最低の行為を起こしました。まだ心の幼い、綺麗なあなたを、無理やりに土足で穢した。汚い欲望に身を任せて、あと少しで取り返しのつかないことをするところでした。どんなに……どんなに悔いても足りない。思い知らされました。自分がどれほど脆く弱く、堕落した人間であるのかを。もう少しは理性のある大人でいるだろうかと思っていたのに、とんでもない。こんなにもたやすく、悪魔になれるんだ……」
「……なおえっ!」
しまいには聞き取れないほど低い自嘲の吐露と化していた直江の独白を、高耶の声が遮った。
「高耶さん……?」
「なぁ、直江―――」
男が戸惑うほど、高耶の声は優しかった。
母親のように抱きしめて、髪に頬をすり寄せる。
「オレが、好き?本当にオレをそういう対象に思ってるのかよ」
質問の口調は非難でも追求でもなく。
髪の毛に指を絡ませて、猫を撫でてでもいるような仕草で高耶は直江に問う。
「……ええ」
直江は、静かに、けれどはっきりとした口調で答えた。
「―――あなたが欲しい。離したくない。いつまででも腕の中に抱きしめていたい」
少しくすぐったそうに小さな笑みを浮かべた高耶が、目を閉じて囁くように言う。
「父さんだと思ってた……それなのに」
「違う」
直江が首を振るのを振動で知る。
「オレ、男なのに」
「それはわかっています。それでも、あなただけが……いつも心の中から消えてくれない」
「心……」
舌の上で転がすように、呟く。
直江が肯くのがわかった。
「あなたがこの心の中でいつも笑ってくれる。それが俺の唯一の宝です。
―――本物の笑顔はもう、きっと望めないけれど……」
直江が、再び声を収束させる。
しかし、高耶は首を振って腕の力を緩めた。
「どうして?オレ、まだ笑えるよ。ほら」
抱きしめていた首を解放して、顔を見せる。
涙の跡は隠しようもなかったが、たしかにその顔は笑っていた。
これまでと同じ、向日葵のような笑顔がそこにある。
何よりも愛した、その優しい笑み。
―――直江は、打たれたように固まった。
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