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Act.14
母親を通じて出会い、共に暮らし始めて三年。
初めてこの男の涙を見た。
いつも年齢以上の落ち着きをたたえて穏やかに笑っていた直江。
だからきっと本当はあと3、4歳年上なのだと、実の父親なのだと、思っていた。
物心ついたときから母子二人だった自分たち。
『父親』は最初からいなかった。二人だけの生活が、小学校を終えるころまで続いていた。
母親は若い人で、自分と15、6歳しか違わなかった。
計算違いで出来てしまったのだと大きな口を開けて笑う彼女が、自分は好きだった。薄情だとか不謹慎だとか思ったことはない。
自分を産んで、明るく笑いながら慈しんで育ててきてくれたことに感謝している。自分は卑屈になることもなく育つことができた。
その彼女が、昔馴染兼仕事のパートナーだと言って連れてきたのが直江だった。四年か五年か、そのくらい前のことだ。
直江を見る母親の目が、父親の思い出話をするときと同じなのに気づいた。
だから、滅多に話してくれない父親のことが、きっと直江のことなのだと思った。
当時には既に知り合っていたのだと二人とも言っていたから。時期も合うと。
本当は違ったらしいとつい今しがた知ったけれど。
父親だと信じて疑わなかった穏やかな男が、あそこまで激しくなれるのだと知り、そして今度は涙を見た。
これまで知らなかった直江の姿が、一挙に目の前に露になって、今日は驚くことばかりだ。
直江は、瞼を伏せて声もなく、静かに涙を落としている。
胸が―――痛い。
酷いことをされて、泣きたいのはこっちなのに。
どうしてこんなに悲しくなるのだろう?
お前の涙が、声を殺すさまが、小刻みに震える肩が……
痛い―――
「……ぉえ……?」
いつの間にかこぼれていた呟きに、相手がふと眼差しを上げた。
見られたことに気づいて、直江は片手で口元を隠した。
「……すみません」
みっともないところを、とでも言いたげに目を伏せて、それでも涙はとどまるところを知らない。
ただ静かに流れ落ちる。
部屋には沈黙が落ちた。
何もかもを自らの手で壊し、己に絶望して一人石像のように固まって涙だけを落とす男と。
乱れた着衣をかき寄せるように自らの体を両腕で抱いて、けれど目を背けずにそんな男の姿を見つめる少年と。
高耶は、涙の跡の残る顔で、黙って相手を見つめ続けた。その涙のわけを、彼なりに模索しようとでもいうように。
「……お前のせいで、こんな酷い目にあった」
やがて、ぽつりと高耶は呟いた。
びくっと肩を揺らした直江は、けれどそれ以上は動きを見せなかった。
糾弾は当然のことだ。それを、どんなに痛くても受け止めなければならない。酷いことをした、それが責任だから。
「死ぬほど怖かった。お前が別人に見えて、力で押さえつけられて、快楽に誤魔化された。
自分の体がこんなにもあっけないものだと、思い知らされた……」
くっ、と唇を噛んで、身を切り裂かれるような痛みを耐える。それが己が罪の証であるから。
「もう誰も信用できない、そんな気にもなった。誰より頼りにしてきた男にあんな欲望を見せつけられて、浅ましい狂態をさらした自分がいやでいやでたまらない。自我が壊れてしまいそうだ。
いやなのに……感じてしまう。心と体をばらばらにされた。引き裂かれた。
あれは最悪の暴力だ。最低だ」
直江の唇には、ついに血がにじんでいた。
すべて本当のことで、申し開きなどしようもないから。ただ、受け止めるしかない。それが最善の償いだ。
目をそむけてはならない、と自らにムチ打つようにして顔を上げる。
じっとこちらに注がれていた視線に自らの瞳を合わせたが、覚悟していた糾弾の眼差しはなく、そこには哀しいような苦しいような、不思議な色がこちらを見ていた。
目が合って、その漆黒の瞳には透明な笑みが浮かんだようだった。
「……っ」
直江が目を見開く。
「……なのにな、」
高耶は、見開いた瞳の前で、自らの肩を抱いていた腕をゆっくりとほどいた。
「それなのに、放っておけない……そんな風に苦しんで泣いているお前を。
気づいてやれなかった自分がやるせない。ここまで追いつめられたお前が、……」
自由になった腕で、恐る恐る直江の肩を引き寄せる。
「たかやさ、っ……」
直江が大きく震えた。
こんな酷いことをしたのに、あなたはまだ俺を許してくれるのですか?
愚かな愚かなこの獣に、それでも手をのばしてくれるの?
……ああ、だからこんなにもつらいのか。そんな人にこんなひどいことをしてしまったから。
この抱擁さえ、俺にとっては罰なのだ……
「直江……」
高耶は苦しげに体を縮める相手を強く抱きしめて、すがるように体を寄せた。
さながら、罪人に許しを与える天使のように。
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