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ACT.5.0
「 !? 」
その瞬間、ふいにせり上がってくる苦悶。
「ぐっ……、げほ……っ」
意識が真っ白になった。
気づいたときには、自分の手は真っ赤に染まり、相手の張り裂けそうに開かれた瞳が絶句してこちらを見ていた。
―――なに?
何なんだ。
この赤いのは、一体何だ。
「……たかや、さん……」
呆然と呟いた相手の手を取りあげる。
そこに池を作った、赤……。
「……嫌だ」
無意識に口が動く。
「嫌だぁぁっ―――!!」
血。
血を吐くって、どういうことだ。
どうして……!!
胸が裂ける……っ……
あなたのそんな顔を見るくらいなら、何もかも話してしまった方がずっとましだったのに―――
内側から器が破壊していっている俺よりも、あなたの方がよほど死んでしまいそうな顔だ……
どこまで俺の存在があなたの中で大きかったか、その顔を見ればわかる。
どうしてこんなにならなければわからなかったのだろう。
今ごろになって確信するなんて、どうして……
いや。
それならこの喜びは何だ?
あ な た が 俺 に こ こ ま で 執 着 し て い る
この暗い歓喜は、何だ?
―――あなたがつらい思いをするから、ではない。
どこかで俺はこれを望んでいたに違いない。
ここで俺が喪われることで、あなたは俺を忘れられなくなる。
あなたの心を永遠に俺という檻の中に閉じ込めておける。
俺はそれを望んで……?
―――そう。そしてそれこそが、俺の過ちのすべて……
「なお……」
張り裂けるほどに目を見開いた高耶は、直江の表情が変わってゆくのを、金縛りに遭ったように凍りついたまま、ただ見ていた。
苦悶の次に現れたのは、悲憤。それはきっと崩れゆく自らの体に対する憎悪にも近い悲しみ。
―――オレを置いて、ゆくのか……?
お前には、それがわかっているんだな
次いで、暗い歓喜。
そこからは、何か見てはならない深い深い淵を覗き込んでしまったかのような、底知れぬ恐怖……。
悪魔のような、会心の笑みが、忽ち人間らしい狼狽に取って代わり―――
―――目が合った。
「あなたを失いたくなかったんです」
紡がれる言葉は唐突だった。
「これを話したらあなたは俺が自分の命のためにあなたを大切にしているのだと思ってしまうと思ったから、俺が永遠を誓ったあの想いもがあなたの中では嘘になってしまうと思ったから、俺があなたを選んだことあなたそのものを選んだこと血でもなく宿縁でもなくただあなたを唯一のものとしたことそれが嘘になってしまうと思ったから」
「話せなかったんです。話せるはずがなかった」
「けれどそれがいけなかった。あなたの今の姿を見て俺は自分の過ちにようやく気づきました。あなたが弱いとか、信じてもらえなくなるとか、そういうことじゃなかった。黙ってあなたを置いてゆくことそれこそが罪悪の骨頂だったんだ。
あなたは今、俺のために、俺を喪うのを恐れるがゆえに、地獄を見でもしたような顔をしている……自分で気づいていますか。どんな顔をしているか。
あなたにそんな顔をさせるなんて、思いもよらなかった。
そこまで苦しめることになるなんて、期待もしなかった。
ねえ。
だから、話せなかった。―――話さなかった。
いっそ話してしまった方がどれほどよかったか知れないのに。
俺がいけなかったんだ。
あなたの強さを信じきれなかった俺が、いけなかったんだ―――っ」
「一体っ……何を言ってる…… !? 何をオレに話さなかったっていうんだ !? 」
殆ど錯乱しているかのような状態の直江を、高耶の悲痛な叫びが貫いた。
このまま、錯乱したまま、そんな血をはくような叫びだけを投げつけ、何も手がかりを残さずに消えるというのか、お前は――― !?
許さない―――そんなこと、許さない―――!!
「直江!!」
高耶は直江に飛びかかった。
勢いあまって、その体はベッドを離れる。
慌てて腕を差し伸べる直江だが、こちらにももはや力がない。
受け止めきれずにバランスを崩し、
そのまま二つの体は縺れるようにして床に転がった。
「うっ……」
一瞬、目の前が真っ白になる。もう満足に力が入らないこの体は、相手の下敷きになって床との間で軋んだ音をたてて……。
そしてようやく白い霧が晴れて焦点が合ったとき。
「!」
視界に燃え立つ、真紅―――
自分を押さえつけた人の、炎の眼差しが自分を射抜いていた。
「わかるように、話せ。嘘も沈黙も許さない―――。……話せよっ!!」
腕に力が入らないから、体全体それ自体を重石にして相手を押さえつける。
間近に覗き込めば、見開かれたその瞳は緑だった。
吸血鬼の色。
―――人間の姿を保っていられない段階に、達したというのか……
なおえ―――
話せよ。
早く。
早く。
「――― 一体何を恐れて、何をお前は話せなかったっていうんだ…… !?
頼むから、話してくれ……!!」
そして、硝子のような、透ける空虚が緑の海に浮かぶ。
「た、かや……さん……」
既に言葉を紡ぐ力すら保ちにくくなってきている直江は、囁くような微かな声を一文字ずつ押し出した。
「すみません……」
「すべては俺の弱さが招いたこと……。
たかやさん、俺は……この身は、あなたの協力なしには生きられぬ体なんです……
それを話せなかった……
どうして言えたでしょうか。
俺がどうしてあなたを選んだのか不安でたまらない、そんなあなたに言えたはずがない。
―――格好の理由ではありませんか。自分の命を延ばせる唯一の存在であるあなたを俺が大事にする、それはいかにもぴったりの理由じゃないか、と思うでしょう?
あなたの中の俺への信頼は脆く崩れ去るだろう、と俺が思ったのも、その時点ではきっと当然の流れだったんです。―――もっとも今あなたの顔を見て、それが誤りだったことがわかりましたが……。
とにかく俺は思っていたんです。
あなたへの想いを、嘘にしてほしくなかった―――
俺があなたに永遠を誓ったこと。あれが一分の曇りもない、真の言葉だったことを、嘘にしたくなかったんです。
―――けれど、同時に俺は恐ろしい矛盾の淵に足を取られました。
話さずに寿命を迎えれば、あなたを一人にしてしまう。誓った永遠を、嘘にしてしまう。
けれど、
話せば、あなたを独りにしてしまう。永遠を誓ったことが、嘘にされてしまう。
―――俺は結局踏み切れなかったんです。
この体はたった今も、崩壊へとひた走っている……
それを恐れるあなたのその顔を、見てしまったのに。
もはや、どうしようもありません……。俺は定められた器の時間に従って終わるだけです。
―――すみません……っ……!!」
言うことを聞かない唇に歯噛みしながら、長い時をかけて独白した直江は、
最後に、身を引き裂くような悲痛な声音で詫びた。
「そして、まだ……」
次いで、さらにつらい告白に入る。
もうここまでくれば、話してしまうよりない。
俺の中に巣くう、この醜い執着を―――。
「……そのうえ。
あなたに詫びながら、それでいて俺は今、歓喜にあふれているんです……。
俺という存在があなたの中でこれほどの位置を占めているのだと、それを思うと俺は底から湧き上がる悦びを隠せない。
あなたの心はここまで俺に囚われている。
俺を喪うことにあなたが苦しめば苦しむほど、俺の中でこの悦びは膨れ上がってゆく……俺はこうして消えてゆくことで、あなたの中に、消えない証を、存在を刻むことができるんです。
このまま崩れて消えて、それであなたの心は永遠に俺のものになる。
それなら至福だ……
墓の中にあなたを持って入って、俺はこの世の天上を得る。
天には決して辿り着けぬこの身に、あなたが楽園を授けてくれる。
これが至高の刹那なのでしょう。
俺はあなた自身のことなんか、何も考えちゃいない。
ただただあなたを虜にすることが嬉しくて、暗い歓喜に震えている……
ねぇ。
こんな俺をあなたは許さないでしょうね。
この悪魔の悦びを、あなたは許容できるはずもないでしょうね。
醜い……醜い塊―――。
最後の最後でこんな姿を晒して終わるなんて、それだけで罪悪の最かもしれない―――。
ねぇ、高耶さん……」
「殺してください。
この狂った心を、欠片もなくなるまで粉々に抹消してください。
これ以上の毒を、吐く前に。これ以上の醜いものを、あなたの前に晒さぬうちに。
あなたにだけ、その権利がある。
あなたにだけ、その力がある。
望みは一つ。
―――あなたの永遠を私に……」
語り終えて、直江は力尽きたように目を閉じた。
―――いや、目を開けていられないんだ。あなたがどんな瞳をしているか、それを知るのが恐いから……
こんな俺を、あなたはどう思ったでしょう……?
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