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ACT.2
心臓が止まるかと、思った。
鮮血の赤――
自分の中で、本能がはねたのを確かに感じた。
とてつもない誘惑。
真紅の液体。命の糧。
含まされたそれの、何と甘美なことだったろう――――
―― 一人ダイニングに残された俺は、窓に寄って夜を見るともなく見つめながら思考に沈んだ。
自分で自分の体を抱くように腕を回す。
もうこの体は・・・
自分は吸血の民だ。
血を啜って糧とする生き物。通常の食物を受け付けないわけではないが、この糧なくしては生きられない。
そして、同じ吸血一族でも、安田とは違って直江一族の直系は特に厳しい生存条件を課せられている。
すなわち、糧とできる血を選ぶということだ。
ある特定の相手の血しか、取り込めないのである。
その相手こそ、影一族・直江の主たる上杉の直系。
上杉の直系は、直江の直系の内から【対】となるべき相手を選び出すことができる。選択権は影にはない。
そうして【対】を結べば、影たちは主の血を啜らずには生きてゆけなくなるのである。
それが、『影』というものであった。
そして、自分たち直江の直系は、【対】を結ばず、主を持たずに血を啜ることもないままある一定の年齢に達すると、命を支えられなくなる。
糧なくしては生きられない体なのだ。そのリミットがやってくれば、癌に冒されたように急激に衰弱し、死に至るのである。
自分は、まだ【対】を結んでいない。
そして、上杉が壊滅に陥った今、その相手となり得るのは、最早ただ一人。
もうほとんど時間は残されていない。今すぐにでも【対】を結んでその血を啜らせてもらわねば、手遅れになる。
しかし・・・
あの人に、それは言えない――――
自分のこの体の事情を話すこと・・・それは、自分があの人を選んだ所以を疑っているあの人に、誤解を与えることに他ならない、と思う。
育った環境のせいで、自分を貶めるくせの抜け切れていないあの人は、自分が誰かに無条件に護られるということが信じられないのだ。
おそらく、今でも俺がなぜあの人を選んでどこまでもついてゆくと言ったのかを訝って苦しんでいる。
そこへ、こんなことを話したら?
あの人は間違いなく曲解する。そしてそれは、あの人の中では 納得 なのだ。
――この男は自分が生きていたいからオレに優しくしたんだな・・・血を分けてもらうために、オレの側にいるんだな――
なるほど、良くわかった、と納得して、それでいながらあなたは酷く傷つくだろう。
やっぱりオレはそんな風にしか求められることのない存在なんだ・・・と。誰もオレそのものを求めはしない、と。
俺の言葉は通じないだろう。
そうではない、俺は『あなた』についてきたのに。
哀しい猜疑心に浸かったあなたには、その言葉は届かない・・・
そしてそれを責めることは誰にもできない。
死ぬこと自体は恐れてはいない。もともと魔族はあらゆる執着心が人間よりも薄いのだ。感情の起伏も少ない。
生に対する執着も、人間や地上の動物ほどには強くない。
けれど、俺は死ねない・・・。
誓いを守るためには、死ぬわけにはゆかないのだ。
――あなたに、永遠を誓います――
そう、誓いを刻んだ。
どこまでもついてゆく。独りにはしない、と。
だから、ここで姿を消すことなど、できはしない・・・。
それでも、あなたにこの体のことを話してしまわなければ、確実に死ぬ。
あなたと【対】を結んで血を啜らなければ、死ぬ。あなたを独りにすることになるのだ。
一方で、あなたには話せない。
もし話してしまったら、あなたはきっと、あの誓いすら、命を救ってもらわんがための方便だったのだと思い込むだろう。
傷つくだろう。
それにもしそのうえで俺を救ったとしても、それは妥協でしかない。
俺があなたを利用しようとしていたと思っているのにあえて【対】を結ぶというのなら、それはただの譲歩だ。
俺はそんなものは欲しくない。純粋な求めでないなら、要らない・・・
一体俺はどうすればいい?
黙ってこのまま死んだら、あなたを独りにしてしまう。
永遠を誓ったことが、嘘になる。
あなたに告げたら、あなたに誤解を与えてしまう。
あの誓いすら、嘘になる。
どちらも選べない。けれどどちらも通らなければならない道。
「・・・もう、限界だ・・・」
堂々巡りの泥沼を這いずり回って、ついに一月過ぎてしまった。もう時間がない。
明日にも、衰えは始まるかもしれないのだ。
「それでも」
腕に力をこめる。やがて崩れ落ちてゆこうとしているこの体・・・
「消えるわけには・・・――――!」
――――低い慟哭は、闇に溶け込み、ついにどこにも届くことはなかった。
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