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そして、月のなくなった夜

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ACT.4.5


 まどろみの中に、何がある……?


 ―――頭が重い……
 いや、頭だけではなくて、体全体が鉛のよう。
 起き上がらなくちゃ、と警鐘を鳴らす意識とは裏腹に、体は泥のような浮遊感に沈んでゆく。
 ―――何だろな……この感じ。気だるい?ひどく疲れたときのようだ。
 そして、意識はあるのに、神経が働いていない。……奇妙な浮遊感。
 いや、浮遊しながら、沈んでゆくような……どこまで、ゆくのか…………

 ―――血が足りない……。
 貧血……

 そこまで考えて、はっと目が覚めた。
「血……抜かれた―――」
 言うことをきかない体に歯噛みしながら、ようやく体を反転させる。するとそこには、向こうを向いて伏せた、黒というには少しばかり色素の薄い髪があった。
 動きが・・・ない。
「 !? 」
 思わず心臓を縮み上がらせそうになったが、よく見ればその肩は浅いながらも規則的に上下を繰り返していた。
 それで一瞬ほっと安堵の息をついて再びベッドに身を沈めた高耶は、次の瞬間、自分が意識を失う前に起こったことを思い出して、今度こそ跳ね起きた。
 ……本人はそのつもりだったが、実際の体の反応は実に緩慢なものだった。
 怒りを通り越して悲しくなるほど、体に力が入らない。
 そのじれったさに顔をしかめながら何とか上体を起こすと、男の姿が視界に納まった。
 直江はベッドに凭れた格好で床に座り込み、立てた右の膝に頭を伏せてぐったりと意識を飛ばしていた。
 高耶はそれを見下ろしながら、呟く。
「倒れたんだ、この男……」
 ―――あれほど力強かったこの男の体が、壊れた人形のように力無く自分の腕の中に崩れ落ちた瞬間。
 地面が消えてなくなったような、あの凄まじい恐怖感を思い出す。
 そう、足元が崩れる……
 あの男の存在が、自分の土台なのに。―――踏みしめる大地を喪ったら、自分はどうなる?
 喪う……
 この予感は一体何だ?本人が何でもないと言っているのに。これほど頑健な、この男なのに。
 自分には何故だか確信される……この男が喪われようとしていることが。心のどこかで、それを確かに知っているのだ。

―――そんなの許さない


ふいに精神を支配する、暗い塊。


―――オレの許しもなく、姿を消そうなんて、許さない。許してやらない……

死神にだって、お前を渡すことは我慢できない

どこまででもつきあわせてやる……解放してなんて、やらない……


「……っ!」
 高耶は纏わりついてくる暗いものを振り払おうというように激しく首を振り、ぐっと自らを抱きしめた。
 抑える。暴れだしそうなどす黒い塊を、精一杯の力で押さえ込む。
 こんな醜いものを、外に出すわけにはいかない……。
 ここまで歪んだ執着心を飼っているなんて、直江に知られたくない……

 ―――お前だって知りたくないよな、直江……?


 随分そうして固くなっていたが、ようやく平静に戻ると、高耶は改めて直江を向いた。
「……え、直江……」
 そろそろと手を伸ばす。
 ―――声を掛けるのが恐かった。もし触れても反応がなかったら、どうしよう。
 相手の髪に触れる寸前で、手を止める。もう、動けない。
 これ以上、近寄れない―――
「…………」
 しばらくそのまま凍っていた高耶だが、相手のあまりの動きのなさに、瞳が揺れだした。
 これはもしかして、眠っているというより、気を失っているのではないか……?
「なおえ?」
 重い体をひきずるようにして、ベッドから這い出す。
 男の方へ寄って髪に触れてみるが、反応は無かった。
 ―――目の前が真っ暗になった。
「直江 !? ふざけんな!目ぇ開けろよ……!!」
 かすれた叫び声が、高耶の喉から押し出された。
 殆ど力任せに相手を揺さぶる。

 頼むから、悪い冗談はやめてくれ・・・!

「なあっ!聞こえてんだろ!直江、直江っ……」
「…………ぁ」
 しばらく無反応にがくがく揺さぶられていた首が、やがて据わった。
「?―――」
 目を開くも、そこは未だ霞がかって夢うつつを彷徨っている。その瞳はどこか遠くにたゆたって、表情のないまま瞬きを繰り返す。
 そんな瞳をまっすぐに見つめて、高耶は辛抱強く相手の覚醒を待った。


 ―――夢を見ていました。
 戴冠式の、ようでした。
 懐かしいあの越の城に、皆が集まって、空の王座を食い入るようにみつめていました。
 やがて現れるはずの、新たな帝王の姿を、待っていました。
 そこには父上や、安田殿、その他、喪われたはずの懐かしい人々もいました。皆、晴れやかな顔をして、新王の即位を喜んでいるようでした。
 私は長秀と晴家に並んで、最前列に跪いていました。
 長秀は珍しくきちんと正装して、まじめな顔で控えています。晴家は授ける王冠を捧げ持って普段のお転婆もどこへやら、こちらも澄ました顔をしています。
 私?私はどんな顔をしていたのでしょうか。
 きっと誇らしげに笑っていたことでしょう。
 そして、あなたの姿を他人に見せたくなくて、少しむくれていたかもしれませんね。

さあ、小姓が高らかにあなたの名を読み上げました。
ようやく、皆の前に、新王が姿を現します。

 真紅の瞳―――

 あなたに、我ら永遠の忠誠を……


「……え、直江」
 間近に聞こえた声に、意識は現実に引き戻された。
 漆黒の瞳が自分を見ている。
「直江、わかるか?……オレだ。見えてるか」

 ああ、彼だ。
 あなたは一体、何てことを聞くんですか。
 私にあなたがわからないなんて、そんなことがあると思っているんですか―――?

「高耶さん」
 名を呼ぶと、相手は強張っていた顔を、少し緩めた。
「ちゃんとわかってるんだな?……よかった……」
 それで静かになるかと思いきや、彼はキッとこちらを見据えて、
「事情を話せ」
 と命じる。瞳が真紅に燃えて、こちらを釘づけに縛った。
 こうなっては逸らせるものではない。言い逃れも利かない。まして嘘は通用しない……。
 視線だけで全てを見透かしてしまいそうな、そんな瞳だった。
「一体、何が起こってる……?オレにだってそのくらいはわかってるんだぜ。
 お前の体に異変が起きたのは確かだ。いきなり昏倒したり、吸血本能が暴走したり……。
 でも、何故なんだ。どうしてこうなった?答えろよ」
 瞳で雁字搦めに縛りつけ、詰問する。口調はきつかったが、その裏で精神の壁が脆く崩れかかっているのが、直江には読み取れた。

 ―――黙っている方が、罪か……。
 今さら遅いけれど、話そうか。
 何も知らせずに一人にするのと、事情を知らせた上で後悔させるのと、
 どちらがより残酷なのだろう―――

 出口のない惑いは、ぐいと襟首を掴まれ瞳を覗き込まれて、そこに燃える真紅の前に崩れ去った。
 ただの不安でも、恐れでもなくて、
 そこに揺らめくのは、実体のつかめないものに対している、底無しの恐怖―――

 一体何が眼前の男を壊しているのだろう。
 敵は、なに?

 これ以上、形のない不安に惑わせてはならない……。
 直江はついに口を開こうとした。


 その瞬間―――




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