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そして、月のなくなった夜

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ACT.4


 ぱたり
 何か、落ちてくる・・・

 直江はゆっくりと目を開いた。
 ぱたり
 今度は自分の頬に落ちてきたそれに、はっと正気づく。
 それの源を追うと、存外近いところに瞳があった。
 黒い綺麗な瞳から雫をなして自分の上に落ちてきているのは、初めてみた彼の涙だった。
 直江は床に伸びて、頭を高耶の膝に抱えられていた。
 高耶が腕でその頭を支えて、心配そうにその顔を覗き込んでいる。
「なおえ・・・?」
 そして目が合って、高耶は直江の意識が戻ったことに気づいた。
「直江!!」
「た・・・」
「いきなり倒れて・・・驚かせるな!」
 涙をこぼしていたかと思えば、今度は怒りから瞳を真紅に染める。
 これは本気で怒っている。
 心配させたことへの怒り。自分を驚かせたことへの怒り。そして、
 ―――自分に無断で倒れたことへの、怒り・・・
「すみません・・・」
 男はそう言って無理に微笑んだ。
 そのだるそうな様子を見て、再び高耶の瞳には心配の色が浮かぶ。
「そんな、倒れるほどどこか悪いのか? お前・・・体のことで悩んでたのか」
 核心に触れるその問いを、直江は遣り過ごそうとした。
 小さく首を振る。
「いえ、少し疲れていたのでしょう。・・・眠れば治ります」
「・・・その程度で倒れるような男じゃ、ないだろう」
 男の言葉に肯く高耶ではなかった。
 低い呟きが、何かを語る。押し殺していながらも、そこには明らかに、迸る寸前の激情がたたえられていた。
 真摯な瞳で、腕の中の直江を見据える。
「・・・何です?」
 男はゆっくりと目をそらしながら、知らんふりを決め込んだようにとぼけた。
 とてもまともに見られない。覗かれれば全て暴かれてしまいそうで・・・
 告げるわけにはゆかないものを、晒してしまう。あなたは見破ってしまう。
 ・・・言えない・・・
 しかしそんな男の意図を無視して、高耶はその顎に手をかけて再び自分へ向けさせた。
 こちらはこちらで必死だった。
「どうしてオレには何も話さない? 隠してないで、言えよ。言ってくれよ・・・っ・・・」
 自分の中でこれまでずっとわかだまっていたことの片鱗を、今食いちぎることができるかもしれないのだ。
 ここで見逃しては、いつまたきっかけを見つけられるかわからない。だから。
 必死で押す。
 ただ押し続ける。
「言え・・・よ、っ・・・」
 口を結んだままの男の襟首を掴んで、詰め寄る。その言葉づらは強引だったが、音は殆ど途切れてしまうほどに弱くかすれていた。
 不安の塊・・・
「そんなに心配してくれたんですか」
 その声音に男はようやく口を開いたが、そこには相手に対する答えはなかった。
「初めて見ましたよ、あなたの涙。それが私を心配するものだったなんて、嬉しいですねぇ」
 揶揄するかのように、小さく笑う。高耶は真っ赤になった。
「ふざけてんじゃねぇ!!誰がお前のためにっ」
 それに流されそうになったが、すぐに思い出す。
「・・・そうじゃなくて、答えろよ。お前は何にそこまで悩んでる・・・?」
「・・・私が、悩んで?」
 男は棒読みに反芻した。
「さっき、窓に向かって、苦しそうにしてたじゃねぇか。とぼけんな」
 高耶は瞳を真紅に染めて男の瞳の底を探る。
 魅入られたようにその赤を見つめていた男だったが、
「・・・っ」
 ふいにばっと体を起こした。
「・・・?直江 !? 」
 そのまま床に向かって蹲り、胸元を皺になるほど握り締めて荒い息をつく男に、高耶は慌てて相手を覗き込んだ。
「・・・触らないで」
 しかし相手は苦しい息の下から、助け起こそうとする手を拒絶する。背に手を添えていた高耶が、はっと硬直した。
 自分は・・・拒まれている?
 そう思うと、それ以上触れることはできなくなってしまった。
 しかし、
「寄らないで・・・ください」
 続いたかすれ声を耳にして、そんなことを言っている場合ではないと我に還る。
「馬鹿野郎!!そんな苦しそうにしてるのに放ってなんかおけるかっ」
 彼は相手の抵抗に構わず、脇の下に肩を入れて背に腕を回し、立たせようと試みた。
「立てよ。こんなとこに座ってても仕方ない。ちゃんと横にならなきゃ」
 寝室へ連れてゆこうと体を持ち上げるが、自分よりずっと体格のよい相手だ。重くて一人では動かせない。
 ・・・しびれを切らした高耶が、怒鳴りつけてやろうと直江の顔を見上げたそのときだった。
「てめ・・・少しは自分で動こうとし」
 しろよ、というはずだった口が、そこで止まった。


瞬時に、何かが変わっていた。
見上げたはずの顔がそこにはない。
換わって、首筋に伏せている茶色がかった頭。

一体いつの間に動いた?この男は。
異常だった。その動きを追うことすらできなかった。
気づいたら、首筋に牙を立てられていた・・・

人間じゃ、ない・・・
ここにいるのは獣だ。
どくん
どくん
あぁ、うるさい。血の音だ。全身で、脈が暴れている。
首筋だけが焼けるように白く、感覚を失っている。
血が啜られてゆくのを感じながら、貧血に遠のく意識の中で高耶は呟いていた。

そっか・・・お前、吸血鬼の一族だって、言ってたっけ・・・


―――――――――ホワイトアウト・・・―――――――――


「 !? 」
 くたりと崩れた体に、直江は正気に還った。床に沈みかかった体を何とか腕に抱きとめて、彼は自分のしたことを悟る。
 高耶の首筋に残る、二つの小さな穴状の傷。自分の口中を占める甘い香り。
 そしてとどめが、蒼白になった相手の肌。
「すみません、高耶さん・・・」
 吸血の本能に引きずられて、貧血を起こさせるほど大量の血を吸い取ってしまったことに、直江の声は震えた。

 浅ましい本性を、晒してしまいました。
 しかも【対】を結ばぬ体では、いくら血を啜ったところで、満たされることはないというのに・・・。


「たかやさん・・・」
 ベッドに運んで横たえた相手を覗きこんで、その髪を梳く。夕食時にきれいに使い切ってがらんとしていた冷蔵庫から、何とか体の役に立ちそうだと思われる牛乳を見つけ、温めて少しずつ飲ませたので、横たわる顔色は戻っていた。
 自分の方は何も口にする気にならない。
 直江はベッドサイドに座りこんだ。

 右膝を立てて、そこに額を押しつける。
「ついに、来た・・・」
 くぐもったような声が、その喉から発せられた。
 ――――――――― リ ミ ッ ト だ―――――――――
 時が至った。
 この体はこれより崩壊を始める。
 直江直系は、器が保たないほどの強大な力を身に宿して生まれる。影の二族のうちでも、『裏』を担う直江家であるから、それほどの力を必要とするのだった。その力は成長と共に膨れ上がり、ある一定の年齢に達すると、器が限界を超えて内部から崩壊するのであった。
 器が保たないほどの力を宿して、どうやって生きてゆくか。
 そこに、【対】を結ぶ所以があった。
 これは単なる忠誠の儀式ではなくて、上杉宗家の力によって、直江直系のその強大に過ぎる力のために起こる内側からの崩壊を食い止める策なのである。力の爆発が起こるリミットまでに、上杉宗家の力の具現の一つである、瞳の真紅を、宗家がそこから取り出して“紅月”という水晶状に現し、それを直江直系の体内に取り込ませる。それは直江の力の爆発を抑える枷となるが、その動力として宗家の血が必要になり、直江直系は必要に応じて宗家の血を啜らせてもらわねば生きてゆけぬ体となる。
 そうすることを、【対】を結ぶ≠ニいうのである。
 【対】を結んだあとは、直江直系は相手の宗家と真の意味で一体となるわけだった。宗家が死ねば、直江の命も保たない。―――その逆は、ないけれど。
 さて、裏を返せば、いまだ【対】を結ばずにいる直江信綱の命は風前の灯火であった。
 本人の抑制力が強かったのか、平均的なリミットを超えて今まで生きてこられたが、ついにその時が来たようだ。
 先ほど、自分は倒れた。
 前兆も何もなく、昏倒した。
 かつてなかったことだ。
 これが、おそらくはリミットなのだろう・・・。
 『時間切れ』。
 結局彼に告げられぬまま、自分はリミットを迎えてしまった。もうこの体は保たない。ただ崩壊へ向かうのみだ。
 俺は、永遠を、破ってしまいます―――


 永遠を誓ったことは、嘘にはならない。

 誓った永遠が、嘘になる。


 ―――――どちらが、より不幸なのでしょう。



 すべてはあなたの強さを信じきれなかった、俺の過ちだ・・・。


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