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刹那と永遠
刹那と永遠
その違いはどこにあるのだろう――――
その違いはどこにあるのだろう――――
ACT 0.
思いもよらなかったから――――――――
――――――――嘘にしたくなかったから
考えもしなかったから――――――――
――――――――離れていかれたくなかったから
他の何も見てはいなかったから――――――――
――――――――これ以上傷つけたくなかったから
もう少しだけでも強ければ――――――――
――――――――今のままのあなたには告げられなかった
そして、月は喪われる
ACT1.
こぽこぽ・・・
熱い湯が、ガラスのポットの中に吸い込まれてゆく。
ふわ、といい香りが部屋中に広がった。
その香りに、オレは目を上げる。
ちょうど同じタイミングで直江がこちらへ目をやった。
ふわりと微笑んで、
「お茶が入りましたよ」
「・・・うん」
オレは素直に肯いてテーブルにつく。
そこに、すいと小さな茶碗が差し出された。白い碗の中にまどろむのは、黄色というには少し紅がかった液体。綺麗に澄んで、湯気をたてている。
「いつもの?」
そこから立ちのぼる独特の香りに、オレは直江を見上げて問う。
「ええ。桂花です」
金木犀の烏龍茶のことだ。この独特の香りはそこからくるのだった。
「そうか」
小さく呟いて、茶碗を掌に包む。
温かい。
もう十月も終わる。夜は肌寒くなってきたこの頃だ。ひやりとした夜の空気には、こんな熱い茶が沁みるように嬉しい。
その温かさをできるだけ長く保ちたくて、ゆっくりと乾す。
あの寒い家にいたころはこんな熱い茶は出なかった。何もかもが冷ややかで、凍えそうに寒かったことを思い出す。
思い出すだけで凍みるように胸が痛くなる寒い記憶。
この茶碗の温かさは、それをほぐしてくれる。淹れた男の温かさをそのまま伝えてくれるような、気がする。
「・・・ごちそうさま」
碗を置くと、そんなオレの気持ちをいつもどうやってか読み取っている直江がそれを取り上げた。
「もう一杯、入れましょう」
再び、熱い液体が注がれる。
「どうぞ」
「ありがとう」
碗を掌にのせて覗き込む。湯気が目にしみて目が熱くなった。それにつられて涙が出そうになり、慌てて瞬きをする。
それに気づいたのか否か、ポットを置いてオレの向かい側に腰掛けていた直江は、手を伸ばしてオレの髪に指を絡めてきた。
髪の中に深く潜って直に頭を撫でる指。優しくて気持ちがよかった。例えるなら、母親に髪を洗ってもらっている子供のような気分だった。・・・ 尤もオレにはそんな母親はなかったけれど。
・・・どうしてこの男はこんなことができるんだろう。
「・・・なんで」
器をテーブルの上におろして、オレは呟く。
「どうしました?」
「何で、オレの気持ちがわかるんだ・・・寒いとき、触れてほしいとき、・・・オレが望んでいるときにどうしてお前にはそれがわかるんだろう」
呟いた。独り言のように、小さく。不安を形にしたような声音だった。
どうしてこんな声でしか問えないんだオレは。
こんなにも、オレは弱かった?
棘だらけになって毛を逆立てていた獣は、寝床を与えられて棘を抜かれると、ここまで弱くなるのか。
弱く『なる』?
違う、もともとが弱かったんだ。それを誤魔化していた虚勢を、張る必要がなくなっただけ。
この男がいるから・・・。
「私はあなたの影ですよ。他人にはわからないことでも、私には見えます」
微笑んでオレを安心させる、直江。
オレもそれで安堵する。
こんなやりとりが何度繰り返されてきただろう。
オレは何度も、こうして確認を取っては、内から湧き出してくるどうしようもない不安を壊してもらうのだった。
直江はそんなやりとりを嫌がりもせず、いつも律儀に肯いてオレを安心させてくれる。貪欲な甘えを満たしてくれる。
「・・・甘やかし、すぎ・・・だぞ。直江・・・」
ここまでオレを甘やかす。こんなに弱いオレにどこまでもついてゆくという。むしろオレがお前に導かれているような状態なのに。
「何を言うんですか?」
それでもこの男は意に介さない。
「私は好き嫌いも、朝寝坊も許しませんよ。掃除洗濯だって、きっちり交代ごうたいでやっているでしょうが」
微笑みながらこんなことを言って、どこまでもオレを甘やかす。
何も気にすることなどないとオレをほぐしてくれる。
とんでもない話だ。
オレはこの男の人生を狂わせたのに。
この男は、オレのために全てを捨てた。
もと居た世界も、そこに眠る己が一族のこともその恨みも、そして生き残っている仲間たちをも。愛した世界の奪還もそのために集まった同胞も何もかも捨てて、この男はオレ一人についた。大将を拒んだオレには主の資格などないのに、自分はあなたの影ですと言い、オレを護って逃げてくれた。
もう、一月にもなろうか。
その間、直江は何一つ、オレに要求しなかった。宗家の子らしく魔界奪還軍のもとへ戻って大将になれというようなことは素振りすら見せず、ごく普通の、人間の生活をさせているだけだ。そう、ありきたりの日常生活。それがオレに欠けていたことを知っているから、オレがそれを求めていたことを知っているから、この男は他に何も言わず、オレにそれをくれたのだ。
けれど・・・。
オレの中に潜む猛毒を、この男は知っているのだろうか
表面はこんな弱さに誤魔化されているけれど、その奥にはもっと厄介なものが棲みついている
この男には、それが見えているのだろうか?
今のような弱い言動がオレの全てだと、思っていやしないか
相手にしなだれかかって、捨てられたら死んでしまう、そんな捨て犬のような脆い男としか、見えていないのではないか
だとしたら、この男は気の毒だ
オレのこの弱ささえも、本当は罠なのかもしれないのに
お前を、囚えるための・・・
「・・・お疲れのようですね。もう、寝た方がいい」
口をつぐんで黙り込んだオレに、直江はそう声をかけ、指を髪から離そうとした。
その刹那。
奥底に蠢く黒いものに、オレは手綱を明け渡した。―――――――― ツ カ マ エ テ ヤ ル
ぐっ
離れてゆこうとした指を囚える。
「・・・何ですか」
面食らった風の相手を瞳だけで上目遣いに見上げて、つかまえた指に唇を当てる。
大きな手だ。掌も大きいし、指はピアニストのように長い。先ほどのように優雅な手さばきで茶を淹れるさまがよく映える綺麗な手だった。それでいて、このオレが身を預けても揺るがないだけの力を持っている、手。
オレはこの手に全てを委ねている。
――――――――いや、オレがこの手を囚えてやる・・・
つかまえた左手に、舌を這わせる。
「た・・・かや、さん?」
直江の驚きはやがて訝りに変わってゆく。それを感じながら、オレは目を伏せ、構わず舌を進めた。
中指の先からゆっくり下りて掌に至る。そのまま生命線をなぞるようにしてさらに下へ下り、手首の窪みに辿りついたとき、
「――ッ!」
オレの牙が、直江の手首をぷつりと喰い破った。
直江は信じられないものを見るような顔をして、それを受けた。
傷は小さなものでそれほど出血することもなかったけれど、それでもじんわりと滲み出したその血を、オレは丹念に舐め取った。
血というのはもっと鉄くさくてひどい味がするものだと思っていたけれど、直江の血は案外甘かった。
吸血鬼のまねなんて、直江とあべこべだなと思いながら、オレは舌を動かし続けた。
完全に血が出なくなるまできれいに舐め終わると、オレはようやくそこから顔を離した。
直江はまだ目を見張ったままで、こちらを凝視している。
「・・・高耶さん、一体どうしたんです」
オレは直江の手をようやく解放した。支えを失った手はしかし硬直したようにもとの位置に留まっている。直江はその手首に残る咬みあとを呆然と見つめながら、オレに問いかけた。
「悪い。痛かっただろ。・・・でも、何でもない」
少し笑ってみせてやる。『何でもない』などと言っても直江にすれば到底肯けるわけもないけれど。
あくまでも訝しげにこちらを見てくる直江に、オレは、
「だから、何でもねぇよ」
と再び返して立ち上がった。脇に出て、今まで掛けていた椅子をテーブルの下へ戻す。
そして直江の横へ立って、その顔を覗き込んだ。
相手は先ほどからずっと変わっていない訝りの表情で、オレを見上げてくる。
何でもないのに、と目で伝えても、その訝りの色は消えない。
オレのことなら何でもわかる男だ。オレの様子のおかしいことに気がついているから、頑固に肯こうとしない。
けれど、オレの方はそれ以上のことは知られたくない。まだ、言えない。
この暗い衝動には気づかれたくない。
――オレたちはしばらく睨めっこ状態になった。
すべてを見抜こうとする直江の目。
心の底を見透かされるまいと跳ね返すオレの目。
―― 一分ばかりもそうしていただろうか。
「しょうがねーな。・・・これでおあいこってことにしようぜ」
オレは怯む様子のない眼差しに降参して、ふいと首をふった。
これ以上続ければ負けそうだ。仕方がない。
・・・これで黙らせてやる。
相手を横目で見やりながら、オレはことさらゆっくりと自分で左手の袖をまくり、手首に喰いついた。
「高耶さん!何を・・・っ」
今度こそ目を剥いた直江だったが、オレは構わず牙を立てて自分の手首を裂いた。ゆっくりとあふれてくる血を、口に含む。
そのまま直江に屈みこんで唇を重ねる。そして含んでいた血を相手の口の中に流し込んでやった。
「・・・・・・」
どう反応したものか、と迷っているらしい相手の僅かな振動に、オレの深い部分は満足している。
オレは意地の悪い笑みを浮かべて顔を離した。
「――案外甘いもんだな、血って」
相手の唇に残った真っ赤な血を見ながら、そんなことを言ってみる。
直江は人差し指で自分の唇をなぞり、付着した赤を凝視したまま、固まった。
その瞳に揺れるのは、オレの予想したどんな感情でもなかった。単なる驚きでもなく、オレの行為を厭う色でもなく、・・・。
例えるなら、望んで求め、得られたものを信じられないでいるような・・・そんな感じの奇妙な表情だった。
一体何を思っているのだろう。
こちらのペースにはめてやろうとしたはずなのに、オレはむしろ直江の瞳に揺れるこの不可解さにのまれてしまっていた。
――どうしてオレがはめられなきゃならない?
それに苛立ちを感じてオレはふいとそこを離れた。
その動きにはっと正気に返った直江が、こちらを振り向く気配。
「高耶さん!」
「風呂、入って寝る」
オレは背を向けたまま振り返りもせずに返した。
直江が背中を見つめたまま何か言いたそうにオレを見送っているのを感じながら、オレはダイニングを出た。
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