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ACT.3
――――その時は、唐突にやってきた。
シャワーを済ませて寝間着に身を包んだ高耶が再びダイニングに戻ったとき、直江は明かりを落としたリビングの窓辺で夜の闇を見つめていた。星も月もない夜だったが、遠い夜景の所以か、その姿はぼんやりとした光に縁取られて静かに浮かんでいた。
こちらに背を向ける形なので、その表情は読めない。
しかし、普段ならすぐに高耶の気配に気づいて振り返るはずの彼が今はそうしなかった、それに不審を覚えた高耶は、男の方へ歩み寄ってみた。
そうするほどに、男の背が尋常でない苦しみを孕んでいることに気づく。
(直江・・・?)
高耶は男の後ろ、あと一歩のところで、立ちすくんだ。
ついさっきまで頭の中で渦巻いていたどす黒い不安が、再び鎌首をもたげる。
冷水をかぶったように体が冷たくなって、足が硬直した。
――― 一体何を思っている・・・?
何が、お前をそこまで苦しませているんだ―――
オレと出てきたこと、か
故郷に残してきた想いか
この今に残している想いか
たった今もその中で悲鳴をあげているであろうお前の直江の血が、
そうさせるのか・・・
それとも、他の、何かなのか・・・?
高耶はぶるっと震えて寝間着の襟首を掴んだ。
するとふいに、彫像のように静止していた男が動いた。
高耶は思わず体を固くしたが、男は彼に気づいて動いたわけではなく、闇へ向いたまま目元を手で覆って絞り出すように呟いた・・・
た か や さ ん ・・・
高耶が目を見開く。
あまりにもつらい響きを持った、その呟き。
ぎりぎりにまで低く抑えられていながら、そこには殆ど絶叫に近いほどの、重い何かがあった。
悲憤
慟哭
執着
求め
そして、
やるせないまでの、――――矛盾
あれから一度として高耶に見せることのなかった、そんな渦巻く感情を今、直江の背が語っていた。
透明な、背。
「――――っ!」
高耶はその背に抱きついた。
なぜ自分の名を呟かれたのかはわからない。
あの響きが何を意味するのかも、わかってはいない。
ただ・・・
この背中は、あまりにも哀しくて・・・
放っておいたら、そのままどこかへ消えてしまいそうだったから。
ここにオレがいる、と体温のあたたかさで伝えたかったから。
ゆっくりと両腕を前にまわして、抱きしめる。
「直江・・・、どうしたんだ――――?・・・」
温かい・・・
直江はふいに背に感じたぬくもりに、正気に還った。
布越しにでも伝わる、人の温かさ。やがて腹側に腕がまわされて抱きしめられる。
不器用な優しさで、慰めてくれるこの手は――
「高耶さん・・・」
つい今まで泥沼のジレンマに陥っていた、その根源にある人が、ここに来てくれた。
自分の喚んだ声が伝わったのだろうか、というじんわりとした感じが広がってゆく。
直江は嘆息して目を閉じ、その温かな体の持ち主を呼んだ。
きっと、至福の瞬間だった。
呼ばれて、高耶はほっと力を抜いた。
今度の響きはいつものもの。
「・・・どうしたんだよ、直江?」
彼もいつもの口調に還って問うた。子供をなだめるように、相手の腹に回した手でぽんぽんと叩きながら。
「一体何を悩んでる・・・?言ってみろよ」
しかし直江は先ほどの影を綺麗に隠して、穏やかに首を振った。
「・・・何でもありませんよ」
「嘘をつけ!」
高耶は騙されない。腕で強引に相手を向き直らせて、詰め寄る。
「何でもない奴が、あんな風に人の名前を呼ぶか? こんな哀しい背中を、見せるのか?
オレに隠すな。何でも聞くから、話してくれよ。
・・・何とか言え。言えよ、直江!」
もう限界だ。
これ以上お前を苦しめられない。
言え。押し殺さないで、言ってくれよ。
何に苦しんでいるんだ?やっぱりオレの何かが、そうさせる?
話せ。
オレももう、話してしまうから・・・ これ以上、黙っているわけにはいかない・・・
オレの我がままも、十分だ。
お前の真実はもう、わかったから。
だから、言ってくれ。何もかも話すから・・・
さあ、直江。
「話せよ。・・・オレにも、話すことがあ」
ふいにその詰問が途絶えた。
・・・目の前で崩れ落ちる大きな体。
驚愕に見開かれた高耶の瞳。
「直江っ!?」
「―――直江ぇっ・・・!!」
意識を失って崩れ落ちた体をその腕に受けとめ、もろともに床に沈みながら、高耶は呆然とその名を呼び続けた―――
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