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「……くそっ」
高耶は、短い間の後に、吐き捨てるような舌打ちを響かせた。
あのロクデナシは、家族をめちゃくちゃにしておいてたった四年で出所して、そのうえ今度は何をしようというのだろう。
どこまで自分たちを苦しめれば気が済むのだろう。
ようやく穏やかになり始めた新しい家族の生活にまで、見当違いの逆恨みをぶつけようというのか。
義父さんに何をするつもりなのだ?
母さんにも?
……美弥にも?
―――許さない……!
「それで、」
俯いて震えるほど拳を握り締めた彼に、相手の刑事が声を掛けた。
それにハッと正気を戻して、高耶は再び相手の目を見つめる。
「それで……ああいう輩が家族にも手を出さないという保証はどこにもない。
さらに、あなたを恨む人間がそこと接触していたとなると、あなたに何かが起こる可能性が非常に高い、そこで、私が尾行につくことになったんです」
男の言うことが、頭の中で繋がった。
「つまり、オレを守ってるっていうのか?」
「守るというか、とりあえず牽制程度ですが」
刑事が張り付いているというだけで、相手にも警戒を与えられますからね、と男が肯いた。
なるほど。それでわざわざ一介の高校生を尾行するような真似をしていたのか。
あれは尾行ではなくて、護衛だったんだ。
それから、この自分を囮にした、捜査の一環でもあるのだろう。警察は義父さんの会社に手を出そうとしている組織とそのスポンサーを追い込みにかかっているのだと言うから。
納得して、高耶は今一番重要だと思われることを問うた。
「これまでにぶつかったことは?」
相手は首を振り、
「今のところありません。ただ、時折いやな視線を感じたことはあります」
高耶が唇を噛んだ。
「気づかなかった……」
自分はこの目の前でうろちょろする男に気を取られて、そのまた背後から送られていたであろう視線に、全く気づいていなかった。
甘かった。こんなんじゃだめだ。もっとオレがしっかりしなきゃ。
オレが家族を守るんだから。
ふわ
きつく噛んだ唇に気づいたか、相手がくしゃ、と髪に触れてきた。
驚いて顔を凝視すると、目が合って微笑まれる。
「あなたは何も気にしないでいい。普通に生活していてくだされば。
ああ、ただし、あまり危ないことはしないでくださいね。さっきだって、もし私がそちらの人間だったらどうするつもりだったんですか」
諭すような口調と優しい眼差しがまるで義兄に対しているかのような錯覚を生み出して、高耶は顔をふいっと横へ向けた。
「度胸だけはあるもんでね」
可愛げのない返事を返したのは、精一杯の突っ張り。
他人に頼らず生きるということが、彼の唯一の信念だったから。
義理の父にはようやく少しずつ甘えることができるようになってきたが、それは一面に過ぎない。
新しい家族生活を円滑にするためにそうしているだけで、彼の本質は何一つ揺るぎなかった。
自分で自分を支える。必要な時には、母と妹も自分が守る。
それが彼を支える一本きりの糸だった。
そうすることでこれまでを生きてきた。誰かの手を借りることは、そのまま彼の唯一の道の崩壊になる。
だから、誰かに縋ろうなどという愚かな衝動には、決して身を任せてはならないのだ。
目の前の複雑な事情持ちの少年の、そんなプライドを見て取って、相手は微かに笑いを返した。
この自立心を、好ましいと思った。
「その自己認識は間違っていないと思いますが、今回は相手がプロです。素人相手とはわけが違うんですよ。お願いですから、一人で何か仕掛けようなんてしてはいけません」
だから微笑んで、それでも釘だけは指すのを忘れない。
この子どもは獣の仔だ。
自ら守ると決めたもののためなら、火の中へでも飛び込んでゆくだろうと、思わせたから。手綱を放すことはできそうにない。
「かったりぃな……いつまで続くわけ?」
うるさそうに前髪をかき上げる仕草が少しだけ子どもらしさを見せて、男の目を細めさせた。
「その組織を検挙して、あなたの実父の所在を確認するまでです」
「長いな」
「まだしばらくはかかりますよ。これからよろしくお願いしますね、仰木高耶さん」
「……わかったよ、直江刑事さん」
少年は、少しだけうんざりしたように、わざとそんな呼びかけ方を返した。
「直江と呼び捨ててくださって結構ですよ。刑事刑事と連呼されるのも、さん付けされるのも、あまり嬉しくありませんから」
私からは高耶さんと呼ばせていただきます。いいですか?―――と訊かれて、少年は少し間を置いたあとに肯いた。
そのときちらりと覗いたほんの一瞬の笑顔が、それからしばらくの間、直江の脳裏に鮮やかに焼き付いていた―――
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