[ contents ] index - menu - library - BBS - diary - profile - link
A B Cause&result(7 8 9 10 11 12) D E F
―――先手を打たれた。
ぬかった、と直江は周りからは見えないように唇を噛んでいた。きつく、痕が残るほどに。
「今朝はまた問題が起きました」
毎朝の定例職員会議の席は、生徒指導担当教師のいつもの通りの台詞から始まった。
「今度は誰ですか?まったく、うちの問題児たちときたら、何が何でも退屈しない方法を見つけたいらしいですな」
「二年の岩野か、それとも三年の長岡じゃないですか」
「いえ、違います」
上がった他の教師のうんざりしたような声を遮って、生指の後藤は続けた。
「また奴です。二年の仰木が、今度は骨折騒ぎを起こしたらしい」
「えっ?」
直江はふいを突かれて思わず声を上げてしまった。
彼の手元には、昨夜の三人から取り上げた生徒手帳とカードがある。
これを揃えてこの会議で発言しようと思っていたところだったのに、既に生指に話が行っているとはどういうことだ。しかも、あの言い方ではまるで仰木高耶が事を起こしたかのようではないか。
「どうかしたんですか、直江先生?」
隣の席の現国担当教師が不審そうに問うてくるのに軽く首を振って、
「いえ、その件なんですが、私も―――」
自分の知っているその事件のことを話そうと直江は口を開きかけたが、
「直江先生は後でお願いします。とにかく私の説明を先生方に聞いてもらわなけりゃならん」
後藤はそれを遮って頭から湯気を立てた。
通称『ゴリ』、保健体育科の彼は、もう一つの名前『イノシシ』通りの他人の話を聞かぬ勢いで、事の顛末をまくし立ててゆく。
「昨晩、あの問題児は性懲りもなくまた喧嘩騒ぎを起こしたそうです。
何でも、公園に来た東高の連中に殴りかかっていったそうで、相手は二人が手首を複雑骨折、もう一人は肩を外したらしい。降参したのに馬乗りになって殴り続けたということです。とんでもないことをする奴だ!
それで深夜に学校へ連絡が入りまして、私も叩き起こされました。相手方のご両親は大変ご立腹で、仰木を退学処分にしろと言わんばかりで。
いい加減、奴にはほとほと愛想が尽きましたよ」
「な……」
「本当ですか後藤先生 !? 」
職員室全体がざわついている。
こまごました問題はしょっちゅうだが、複雑骨折に退学要求となるとずいぶん久々のことなのだ。
退学処分を訴えられたと聞いて、その対応の面倒さにうんざりする様子の教師もいる。
誰もが、話の内容をそのまま受け止めて仰木高耶への苛立ちを深めていた。よく考えれば相当に一方的な話なのだが、訴えられている相手が高耶であれば、誰も疑問を持たないらしい。
その空気に満足した様子の後藤は、夜中に叩き起こされた不機嫌をようやく払拭して、大きく肯いた。
「こんなことで嘘をついてどうするんですか。
大体、相手というのがあの吉村さんの息子さんなんですよ。ご両親が嘘をつくはずがない。何たって一つの街の政治に関わっている人なんですから」
「吉村、ですか……」
その名前を聞いて、幾人かの教師が眉を顰める。
父親の立場をフルに活用して悪さを重ねてきた吉村のことは、隣町の生徒とはいえ、教師の間ではある程度知られていた。
その男の言うこととなると、必ずしも事実だけではないだろう。都合のいいように捻じ曲げて話をしている可能性は大いにある。
職員室からは、少しだけ、先ほどまでの一方的な仰木バッシングの空気は薄れた。
微妙に変わった場のその雰囲気をどう思ったか、後藤は少しだけ首を振った。
「ええ、息子に関しては良い噂は聞きませんがね」
だが、すぐに再び机に両手をつき、自論を展開し始める。
「しかし彼らの怪我は事実だ。それは手当てをした病院側が確かに証言してくれたことです。
―――それに、そもそもそんな輩とやり合うような関係があるという仰木が悪いんです。
大体、奴は中学時代から今まで、心配して更正させてやろうと手をかけた教師の言うことに、悉く反発してきたんですよ?自宅まで話をしに行った先生を突き飛ばして危うく車に轢かれさせるところだったこともある。他にも羽交い絞めにした先生に無理に抵抗して痣をつくったり、挙げればキリがない。
あいつには更正の余地がないんです。本人にその意志がないのに周りが何をしたってムダなんだ」
いかにもこれが事実だと言わんばかりの、決め付けた意見だった。
そして、彼は腕を組んで最後通牒をつきつける。
「もういい加減、あんな奴を受け入れておくような余地はうちの学校にはない。
先方の言うように退学処分とするのが妥当でしょう」
聞いているうちに、直江のこめかみには青筋が浮かんでいた。
明らかに疑わしい訴えに対して、この教師たちの諾々とした態度は何なのだ。
そもそも深夜の公園に三人も連れ立って出歩いていたなどということ自体にも問題があるだろう。そこには何も疑問を挟まず、ただ高耶の非だけを問うとは。
喧嘩の原因すら問題にされず、ただ相手が怪我を負ったという事実さえあれば、それら全ての非が高耶にあるのだと自動的に納得されてしまう。
一体、これは何なのだ。
吉村とかいったあの子どもが、議員の父親を持つというだけで、疑わしいところも全て目を瞑る。まるでそんな人間相手に事を起こしたのが悪いと言わんばかりのこの空気。
信じられない。
―――こんな大人たちに囲まれて、だからあんなにも必死に棘を立てていたのか。彼は。
手負いの獣のようだった高耶のあの黒い瞳を思い出し、直江は沸騰するような激しい感情をわかせた。
偽善者、と自分を罵ったあのときの顔。
妹の分もありがとう、と言ったときの笑顔。
―――それらが交互に入り混じり、直江の頭の中でようやく一つに溶け合った。
そして同時に、身のうちに抱えておけないほどの怒りがこみあげる。
こんなことは許せない。
許せない―――
「……先生方、お話があります」
彼は、まだ何か喋り続けている後藤を完全に無視する形で、がたんと音をたてて立ち上がった。
A B Cause&result(7 8 9 10 11 12) D E F
[ contents ] index - menu - library - BBS - diary - profile - link