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トゥルルル……
静かな寝室に、呼び出し音が響いた。
「こんな時間に、何だ……」
久しぶりの熟睡に沈みこんでいたこの部屋の主・直江信綱は、ベッドの中で気怠げに身を起こした。
枕もとの子機を手に取り、暗闇の中で光を発しているディスプレイに目をやる。
見知らぬナンバー。
間違い電話か、と無視を決め込み、機械をサイドテーブルに戻す。
しかし、そのままベッドに戻ろうにも目が覚めてしまい、彼はため息をついて立ち上がった。
みごとな上半身が、窓から差し込む薄明かりに浮かび上がる。
下半身は黒いジーンズに包まれているが、一目でそちらも上と同様、よく引き締まっていることがわかる。
決してやわではない。きれいに筋肉がつき、それでいてぎりぎりにまで締まった体は、普通の人間以上に鍛え上げられていることが窺えた。
その獣のような体は、想像通り音も立てずに勝手知ったる闇の中を移動し、親機の置いてあるリビングに至った。
彼は鳴り続ける電話が留守番の応答モードに切り替わったのに眉の皺を解き、ダイニングの片隅に置いてあるミニバーへ近づいて、長身を音もなく屈め、開いた扉から洩れる青白い光の中に手を差し入れると、ミネラルウォーターのボトルを取り出した。
キャップをひねったとき、留守伝言にメッセージが入って、ふと手を止める。
夜の静寂も手伝って、もともと優れた聴力を有する彼の耳には、距離の離れた親機からの小さな録音音声もはっきりと聞き取れていた。
「……オレだ。いるんだろ?
―――出ろ。
一度しか言わないぜ。出るんだ」
低く押し殺したような、ただならぬ声音だ。
厄介な間違い電話だ、と再び眉を寄せて、直江は親機に歩み寄っていった。
暗闇の中で緑色に発光するディスプレイ。
視線を落とす。
何度見直しても知らない相手だ。
声にも聞き覚えはない。
―――しかし、無視するにはあまりにも深刻な声だった。
「ちあきっ?」
受話器を手にすると、途方にくれた声が飛び込んで来て、はっと直江は息を詰めた。
「頼む……今駅にいるんだ。来てくれ。ねーさんが……っ!」
「な……」
いきなりの叫びに面食らって言葉を紡げずにいるうちに、
「お前に頼むのは間違ってるってわかってるけど!でも他にいねーんだよ!
頼む。来てくれ……っ!東口にいる」
「え、ちょっ!」
ひどく思い詰めた声でそれだけ言うと、その電話は切れてしまった。
間違いだと言う暇もなかった。
直江はツーツーという音を立て続ける受話器がついに沈黙するまで、動かずにいた。
もちろん自分には関わりのない話だ。
ちあき、という人物にもあの電話の相手にも、わざわざ連絡してやる義理はない。
けれど。
やがて彼は立ち上がり、シャツに腕を通した。
こんな非常識な時間の、それも見知らぬ相手からの呼び出しに答える義務はないというのに。
けれどなぜか放ってはおけなかったのだ。
あの打ちひしがれた悲痛な懇願を。
「たしか、背後でアナウンスが入っていたな」
駅名を相手は告げなかったが、直江の記憶力は背後の深夜バスのアナウンスと周りの会話という断片的な情報から正確にその駅の場所を弾き出していた。
国道を挟んで向こう側にある、比較的大きな駅だ。
車を飛ばせば十分とかからない。
直江は愛車のキーをチャラ、と響かせて、深夜の駐車場へ下りて行った。
02/06/20
[ the call ] 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10fin
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