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青年が追っていた組織は、人身売買に関わっていた。ルートは奴隷から臓器まで手広く、歴史こそ浅いものの、この世界の人間で少しでも目の利く者ならば一度はその名を聞いたことがあるという、大手の組織だ。
「なるほど、里見ね……」
直江も勿論、例外ではない。青年が名前を出すとすぐに反応した。
―――そういえばここのところ、数があまり多くない里見の拠点が次々に潰されてきたが、自分の仕事とは関係がない分野であまり真面目に情報収集をしなかった。甘かったな。
心中で一人ごちて、直江は少しだけ苦笑した。
里見の拠点はいずれも海沿いに施設を持つ。無論、品物を捌くのに都合がいいからだ。
青年のいう『ねーさん』も、おそらくはそこに連れてゆかれたのだろうとだけ、簡単に青年は言った。
「わかりました。正確な場所はわかりますか?行ってみましょう」
直江は肯いた。
「えっ、でも!すげえ……危険、だぜ。巻き込むわけには……」
青年は驚いて顔を上げると、首をふって唇を噛んだ。
拒否しながらも、その瞳は裏腹に揺れている。それに気づいて、
「今さらですよ。私はあなたの電話を取ったときからこういうつもりでした。
これも何かの縁だ。お手伝いしましょう」
直江はそう言って微笑んだ。
その笑い方が、さっきまでとはがらりと様子を変えたもので。
ひどく好戦的で、色気のある笑みに、青年は胸が粟だつのをおぼえた。
「乗って。行きましょう」
直江は立ち上がって車を目だけで指すと、手を差し出した。
「千秋には……」
躊躇うようなそぶりを見せたあとに青年の口からこぼれたのは、最後の言い訳だったのかもしれない。
直江はそんな揺れた瞳をする相手に自分から手を握りにいって、車へと導いた。
「移動しながら連絡してあげなさい。
―――きっと心配している」
それは確信に近かった。
「何だか……千秋のこと知ってでもいるみたいだな。あんた」
その断固とした言い方に、軽く目を見張って青年はひゅうっと唇を鳴らした。
そうして助手席に乗り込んだ相手に、
「いいえ。ただ…あなたを見ている人がいつもどんな気持ちでいるのかは、わかるような気がするんですよ……」
答えを返しながら、直江も運転席へ長身を滑り込ませた。
さっと運転姿勢をつくり、エンジンをかけながら一人ごちる。
―――あなたの傍であなたを見ている人たちが、どういう想いを抱くかが、ね……。
あなたはこちらの世界に生きていながら、すれていない。どこか無鉄砲で、幼くて、見ている人間にとってははらはらさせられどおしなのではないだろうか。しかしそれでいてあなたの漆黒の瞳は時に、驚くほど強い光を放つ……
目が離せない……。
「……最初は恋人なのかなと思ったんですが、どうやらそういうわけではなさそうですね」
心の中で呟いたことはそのままに、口は別の台詞を紡いで相手の目を見張らせた。
「あったり前だ!あんな奴、誰がっ!」
思いきり否定するさまがひどく極端で、直江は首を傾げる。
「そんなに変わった女性なんですか」
すると、相手は今度こそぽかんと口を開けて、それから面白そうに笑い出した。
「女……?とんでもない、あいつは男だよ。
そーか。考えたら女みたいな呼び方だよな……」
首をうつむけてくすくすと笑う様子がどこか意地悪く、それでいて端々からにじみ出る小さな態度が相手への親愛の度の深さを表していて、直江はなぜだか少し胸の痛むのを感じた。
けれども、紡がれる言葉は全く別のもので。
「なるほど、名字でしたか。
ところで彼は何者なんですか?」
ふと気になって尋ねてみる。答えが返るとは思っていない。それなのに口にしたのは、相手がどんな表情を返すかが知りたかったからなのだと、後になって気づいた。
「その前にオレのこと聞くだろ。なんでこんな時間にこんなこと」
しかし、青年の答えは、直江が予想した方向とは少し違った角度からのものだった。
直江は首を振る。
「確かに不思議ですけどね……聞いて答えていただけるならお伺いしますが」
訳ありでしょう、と横目に浮かべた笑みは先ほどと同じ、色気のあるもの。
どきっと跳ねる鼓動に、青年は少し赤くなって目を伏せた。
そして、しばらく沈黙したあとに、溜めた息を吐き出すようにして、言葉を紡ぐ。
「―――ごめん。言えない。これ以上巻き込むわけにはいかないから」
お互いに、相手が普通の人間でないことはもう悟ってしまっていたけれど。
それでも明確に言葉にしてしまったら、後戻りは利かなくなる。
その思いを感じ取って、直江はふ、と唇をほころばせた。
「それならおとなしく黙りましょう。今日は、ね」
今度は別だ、と、ちらりと投げられた目が言っている。
「今度なんてない。今夜限りだ」
視線の魔力に囚われまいと目を逸らして言ううちに、青年はようやく普段の姿を取り戻していった。
鉄壁を築く。瞳はもう動かないし、顔の表情も完全に沈黙している。
仕事に私情は挟まない。
プロの冷静さを身にまとい、瞳は既に静かに澄んでいる。
泣きじゃくっていた子どもと同じ人間だとはとても思えない。
彼は一体何者なんだ、と、ここで普通なら浮かんでくる疑問も、直江には無縁だった。
直江はただ、ハンドルを握るのみだ。
しばし車内を支配した沈黙の中。
青年は携帯を取り出し、千秋の所へ連絡をつけようと試みていた。
「留守電だ……。さっきと同じ」
すぐに音が返って、彼は小首を傾げた。
「見せてください」
言われて突き出された小さなディスプレイ画面にちらっと目をやると、直江は肯いた。
「……これは確かに私の家の番号ですね。
でもどうして?この番号は千秋本人が教えたものですか」
「いや。人づてに知ったから、間違ってたのかもな。……でも、そうすると……」
「他に連絡のつけようはないんですか」
「ねえな。ルートさえありゃ接触には不自由なかったからな。
昼は携帯、夜はねぐら。二つわかってりゃ十分だった」
「携帯の方は?連絡つけられないの」
真夜中の交差点は危険だ。左折にかかって後方へ注意を遣りながら、声だけ向けて直江は尋ねた。
「あれは夜は電源を切ってる。わざわざ自分の居所を触れ回って歩くなんてバカだろ」
携帯電話は電源が入っているだけで所持者の居所がたちどころに照会できてしまう。周知の事実だ。
青年の返答は当然といえばあまりにも当然なものだった。
「そうですか……。それでも、試してみられたらどうです?
もしかして、ということもありますから」
「さっきは切れてた。
あの野郎が殊勝にも夜間警戒則を実行してるんでない限り、まだ状況は変わってないはずだ。
コール
「緊急回線は抑えられちまってるし……」 小さく呟かれた独り言に、直江が反応した。
「そういう手段を持っているんですか、彼は」
「あるけど使えねーぜ。そいつは上に管理されてるから」
コールというのは管理者と個々のエイジェントを結ぶ、有線の直通回線のことだ。
非常に緊急を要しかつ重大な事柄でも関わらない限り使用されることはないが、そのかわり、使用されるときには極秘情報が遣り取りされるので、そのプロテクトの厳重さは通常の隠し回線の比ではなかった。一度繋いでしまえば他者が聞き耳を立てることは不可能である。
そして、この回線からの呼び出しは他の何物よりも優先される。確実に、迅速に。それが緊急回線の存在意義なのだ。
しかし、言い換えれば、外部からでも、繋ぐことさえできれば、遣り取りしている最中にはたとえ管理者側からでも割り込みは利かないわけだった。
これを利用しない手はない。
「……あなた、免許はお持ちですか」
直江は前を見据えたまま、声だけで青年に問うた。
「は?いや、あるにはあるけど、何で?」
突然の話題転換に、青年が表情を崩した。
「交代してください。そこで止めますから」
言いながら指示器を左に出してブレーキを踏む。車はゆるやかに減速を始めた。
「え、ちょっと、何でいきなり!」
「両手がふさがっていてはできない作業なんです。とにかく、交代してください」
「わ、わかった……」
路側帯に入って停車し、二人は一旦外へ出て、席を入れ替わった。
間をおかずに発進させた青年が慣れない車の癖をつかみにかかっている間に直江は助手席前のボックスから小型端末を取り出して、熱心に指を走らせ始めた。
流れるような軽い指捌きはとても素人とは見えない。
カタカタというキーの音に横へちらりと目をやった青年が、その動きに目を見張っていた。
しかし、それは驚きとしてはあまり程度の甚だしいものではなかった。
先ほどの好戦的な笑みを見れば、直江が普通の人間でないことは悟られたからである。
その鮮やかさに目を奪われただけだ。
「コールIDはわかりますか?何か手がかりになるようなものは」
熱心に指と視線を走らせながら直江が顔を上げずに問う。
「IDはチアキでなければナガヒデかな。たぶんそのへん」
「わかりました。
……ヒットしましたよ。コールしますか」
驚く間もなく、直江はコール回線をハックしてしまった。
アクセプトという文字が点滅する画面を見せられて、青年の首がこくりとうなずいた。
一瞬だけ意識が運転から逸れて、我に返った青年が慌てて進路を修正するのを見やりながら、
「では交代しましょう。そこへ止めてください」
指示通りに青年は左へ停車させ、再び席を入れ替わって、直江がハンドルを握った。
「インカムをつけてください。あとはアクセスキーを押すだけです。時間があまりないので手短かに」
直ちに車を発進させながら、彼は左手だけで青年に前のダッシュボードを示して、インカムが中にあると伝えた。
「わかった。
……ありがと。助かったよ」
取り出した小型のインカムを左の耳にはめながら、青年が呟く。直江はミラー越しに柔らかな微笑を返して、軽く首を振った。
「いいえ。早く連絡してあげなさい」
「ああ」
青年は肯くと、エンターキーを押した。
02/07/04
[ the call ] 1 2 3 : 5 6 7 8 9 10fin
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