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the call

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 程なくして、先ほど青年を取り次ぎに奥へ消えていた男が戻って来、
「二階で待っておられる。ついて来い、カゲトラ」
 と倣岸に言い放った。

「高飛車な言い方をするものだな。招いたのはお前たちのほうだろう」
 冷ややかに声を投げて、青年―――カゲトラは踵を鳴らした。
 相手の男は動じない。
「黙ってついてくることだ」
 と顎をしゃぐって、さっさと歩き出した。
 いくらここが自分たちのフィールドであるとはいえ、いつ攻撃を仕掛けてくるかわからない敵に背を見せるのを、何とも思わない様子だ。
 しかしカゲトラは眉をひそめる素振りを見せただけで、躊躇いも怖れもなく、ただその後に続いた。
直江がそれに倣おうとすると、周りの男たちが一歩前に踏み出した。それを遮って、カゲトラが口を開く。
「この男は人質を送り届けるためにつれてきた。
 私の身柄と交換するという条件のはずだ。その場でこの男に人質を渡すのでなければ私は認めない」
 冴え冴えとした声音ですっぱりと切り込まれて、男たちは先頭を行く先ほどの男に物問いたげな眼差しを向けた。
 この場を仕切るランクの人間であるらしい男が僅かに振り向いて肯くと、男たちは再び足を退いた。

 シックでいながら高級感の溢れるインテリアだった。組織のトップが使う部屋となると悪趣味に飾り立てようとする場合も少なくはないのだが、ここはなかなかどうして、趣味のよい家具と内装を備えている。
 里見の現首領・開崎は、そんな部屋で、カゲトラを待っていた。
「失礼いたします」
 案内をしてきた男が落ち着いた色合いに染められた木の扉を開く。
 四角く開いた空間のその真正面に、いやみなほどどっしりと構えた男が革張りのソファの上で足を組んでいた。
 長身でありながら無駄のない体にはきっちりと着こなしたグレイのスーツ。黒い髪はきちんと後ろへ流して整えられ、筋の通った鼻梁に理知的な眼鏡を掛けている。
 顔立ちもまるでどこかの大企業の理事ででもありそうな、冷静で頭の切れそうな容貌だった。
 こうしてみていると、まるでこんな荒っぽい組織の三代目を務めている人間には見えない。
 尤も、そんな見た目に騙されてはならないことは、この世界の人間なら誰でも知っていることだったのだが。
「よく来てくれた。さあ、中へ入って掛けてくれたまえ」
 男―――開崎はカゲトラの姿をみると、見た目の印象を裏切らない穏やかな声でそう招いた。
 その顔には、微笑みすら漂っている。
「四方を塞いでのお招き、ありがとう」
 対するカゲトラはそっけない。直江には見せたことのなかった凍るような声で吐き捨てるようにそう言うと、不遜な眼差しで相手を睨み上げた。
 しかし相手はむしろその眼差しにうっとりと見入るように目を細めている。
 その目が、カゲトラの傍らに立つ直江の上に止まったとき、初めて開崎はこれまでとは違う表情を見せた。不快とまではゆかないものの、あまりよい気分でないのはすぐに窺えた。
「そちらの招かれざる客人はどなたか?」
 廊下の方に立っていて、部屋の中からは顔が見えないらしい。
 ここまで歩いてくる間にも、至る所に監視の『眼』はあったのだが、そこに映る画像には直江の持つ無数の電子機器の反応は読まれていないのだ。それは直江自身が『眼』に細工をしていたからだった。周波数をいじって、こちらの機器の発する電波をシャットしたのだ。
 従ってこの時点では、開崎側の直江に対する情報は、ただの丸腰の男というだけになる。
 むろん、それだけでないはずだということは、経験上、察しているはずだったが。ただの男がこんなところへのこのこと潜り込んでくるはずもない。
「この男なら、人質を送り届けるために私が連れてきた。さあ、人質を出せ」
 一歩部屋の中へ入っていたカゲトラは、少し振り向いて言ってから、再び開崎にまっすぐ向き直った。
「ほう。人質?」
 その突き刺すような眼差しを楽しみながら、開崎はことさらにゆっくりと呟いた。
「ここにはそんな物騒な者はいないのだがね」
「戯れ言を言うな。私の知り合いが、ここにいるだろう。彼女と交換で私の身柄を要求してきたのはお前だったはずだ」
 知らんふりをされることくらいは予想済みだったのか、カゲトラは別段怒った様子もなく、ただ淡々とそう切り込んだ。
「そうか、カゲトラ、君の知り合いだったらたしかにここにいるとも。
 君の来るのをずっと待っていたよ。ついさっきまでな」
 最後の台詞が、カゲトラの神経を逆撫でした。
「……どういう意味だ」
 気配が変わる。
 髪の毛の一本一本にまで殺気が漲り、双眸がくわっと牙を向いた。
「―――返答如何では、このシマ全体、沈めてやる」
 たった一人でそんなことを言っても不可能だということは明らかだったが、その声音の凄まじさは周囲の男たちを怯ませるに十分だった。この青年ならば可能かもしれない、という囁きが頭の片隅を駆けてゆく。
 しかし、さすがというべきか開崎は眉一つ動かさなかった。
「そういきりたつこともない。眠ってもらっただけだ。あまりにうるさいのでね」
 睡眠薬を打ったという。
 とりあえず、命に別条はないとわかって、ようやくカゲトラの殺気は僅かに和らいだ。
「わかった。それなら今すぐにこの男に引き渡せ。それを見届けるまで私は一歩も動かない」
 当初の要求を再び突きつけて、彼は直江の方へ顎をしゃぐった。
 言って腕を組み、その場から一歩も動かない意志を体現しているカゲトラに、開崎が動いた。

 ゆっくりとソファから立ち上がり、漆黒に燃える瞳へ向かって歩いてゆく。
 直江が少し表情を動かしたほかは、周囲の男も含めて、当事者であるカゲトラにさえ、動揺の色は全く見られない。
 毛足の長い、靴音も吸収してしまうような絨毯の上を優雅に歩み寄り近づいてきた開崎が間近に迫ってようやく、カゲトラが口を開いた。

「近寄るな」

 たった一言だったが、そこには思わずひやりとしてしまうような鋭さがあった。
 しかし開崎は全く頓着していない。
 手を伸ばしてカゲトラの額に触れ、前髪を分けて、現れた双眸に見入った。
 その二つの漆黒が殺気に染まっても、目を逸らそうとはしない。
 むしろ陶然となって見つめ続け、にわかに相手の顎を引いた。

「 !? 」

 唇を開かされ、舌ごと絡め取られて深く侵入される。
 ふいの接触に口内を蹂躙されて、カゲトラの頭は真っ赤に血に沸いた。

「……っざけんなッ……!」

 シュッ……と白刃が弧を描いた。

 相手が開崎でなければ、おそらくその喉はすっぱりと口を開けて、周囲に噴水の如く血を撒き散らしていたことだろう。
 しかし、開崎は一足早く跳び退っており、その喉には僅かな傷が一筋の赤い線を残しただけだった。

「汚らわしい……!」
 吐き捨てるように言って、カゲトラは全身から真っ赤なオーラを立ちのぼらせる。
 思いきり唾を吐いたあとで、燃え立つ瞳が相手を絞め殺すほどに睨み上げた。
 一方開崎の方は楽しそうな微笑を浮かべて指で傷の上をなぞり上げると、
「今ので人一人分程度の価値はあったな。……彼女を連れて来い」
 傍らの男の一人にそう命じた。
「君が全ての意味で私のものになるというのなら、もっと他の望みでも叶えてやるんだが、どうだね?」
 あくまで楽しそうに笑って言う男は見る者にとってはまるで、世間話でもするかのように軽い口調で話していながらその瞳は爬虫類を見るようにねっとりと細められていて、背筋を冷えさせた。
 カゲトラは不気味さ以上に台詞の内容の屈辱的さに再び血を沸かせた。
 激しい憤りを抱えた体はまるでマグマを取り込んだように膨れ上がり、まるで、今にも跳びかからんとする猛獣のようだ。
 その姿を少しはらはらしながら見守っている直江だったが、実のところ、彼自身の頭の中も、到底平静などと呼べる状態ではなかった。
 先ほどからの開崎の言動に激しい怒りをおぼえてしまっていた。
 それが一体何なのかはわからないが、とにかく自分は彼の意思が蹂躙されたことと、その尊厳が下卑た台詞に穢されたことが気に食わなかったらしい。

 楽には死なせてやらん、と心に決めて、直江は胸の愛器―――榊一族を殲滅したとき以来の付き合いになる、黒光りする中型の拳銃だ―――にしばし、意識を向けた。
 そのとき、人質を連れに行っていた男がようやく戻ってきた。
 その腕に、一人の女性が抱えられている。肩下まである茶色のウェーブヘアが、睫毛の伏せられた小さな白い顔の輪郭に乱れて降り懸かっていた。

(ねーさん……)
 カゲトラの唇が音をたてずに言葉だけを紡いだ。
 一見して顔にも腕にも外傷はない。見たところでは服も乱れていない。拉致される際に抵抗してもみ合う暇もなく、鳩尾に拳を入れられて気を失ったのが幸いしたのだろう。尤も、開崎の先ほどの言を借りるなら、意識が戻ってからは『うるさく』はしていたようだが。
「ああ、大丈夫。何もしてはいないとも。うちの連中は礼儀正しいからな」
 クッと喉の奥で笑い、開崎は心配そうに女性を一瞥したカゲトラを揶揄するようにそんな台詞を投げた。
 カゲトラの瞳がすうっと冷える。
「御託はいい。さっさと彼女を返せ。この目で見るまで信じない」
 これ以上ないというほど冷め切った声音だった。
 開崎はいくぶん肩をすくめるような仕草を見せた後、女性を抱えた男に目で肯いた。
 男が直江の方へ歩み寄ってゆく。

「これで気が済んだか」

 女性の体が、里見の男から直江の腕の中へ移された、そのとき。

 ――― 一斉に、灯りが落ちた。




02/07/18


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