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「……これは」
早朝の電話で、謹慎を解かれた旨を通知された直江は、身支度をして家を出たところで、足元に落ちている紙切れに気づいた。
拾い上げると、そこには自分のルームナンバーが記されている。あの少年が持っていたものなのだろう。
その小さな紙片は一度濡れて乾いたらしく、特有の質感を呈していた。
―――まさか、雨に濡れた?
昨日雨が降ったのは夜になるまでの間だった。夜中にはもうやんでいたのだ。
まさか高耶はそんな時間からここにいたのだろうか。
そういえば制服だった。濡れたままで一晩、こんなところにいたのか。まさか。
いやな気分を抱きながら、直江は紙片をポケットに突っ込むと学校へ急いだ。
土曜1限目は高耶のクラスの担当である。
直江は出席簿を持って教室へ入り、すぐさま高耶の姿を探した。
―――高耶は、登校してきていなかった。
「昨日は突然自習にしてしまってすみませんでした。今日からはまた普段どおりに進めますので、そのつもりで。
では、出席を取ります。―――石井君」
「はい」
「石橋君」
「はい」
出席簿を広げ、順に名を呼んでゆく。
すぐに、高耶の番がきた。
「仰木君……仰木君は遅刻ですか」
他の不在者たちと同じように×をつけながら教室全体へ向かって問うと、一人の男子生徒が立ち上がった。
「仰木は風邪でお休みです、先生」
そう、確か高耶の親友だという生徒だ。成田、譲といった。典型的な優等生で、教師からの信頼の厚い生徒だ。
その柔和な雰囲気の中、瞳だけで、なぜだか今、彼は直江に向かって敵意を剥き出していた。
「……そうですか。わかりました」
悪い予感が的中したことに声が僅かに震えたが、幸いそれに気づいた生徒はいなかったようだった。―――痛いほどに強い視線でこちらを見ていた成田譲の他には。
出席確認が済むと、直江は普段どおりに授業を始めた。
「……成田君、ちょっと」
「何ですか?」
授業を終えると、直江は譲を廊下へ呼び出した。
生徒たちの行き来でごった返しているそこでは、むしろ教室よりも周りに話を聞かれる心配がない。
普段どおりの柔らかな物腰の中で瞳だけを猛らせて、譲は直江を見返している。
「これに見覚えはありませんか」
その痛いほどの視線に耐えながら、直江はポケットから例の紙片を取り出した。
ちらりと視線を走らせただけで、相手は鼻を鳴らして反撃を返す。
鋭い糾弾の眼差しが向けられた。
「―――先生こそ、高耶の風邪に覚えはないんですか」
一瞬で悟られた。
この少年が全てを知っているであろうことが。
「……先生、場所を移した方がよさそうですね。屋上へ行きましょう」
強い眼差しで直江を射抜きながら、成田譲はそう提案した。
「……やはり、君でしたか。この字は」
屋上へ出ると、呟き交じりの息を吐いて直江が肯いた。
そして、まっすぐに相手の瞳を見つめて問うた。
「昨日の晩、仰木君は私の家の前にいたんです。君はその理由を知っていますね?教えてください」
「どうしてですか?中途半端に高耶に関わるのはやめてください。そんなのはオレが許さない」
どんな弱い生き物でも、子を守る母親の猛勇ぶりは凄まじい。
今、親友のために牙をむき出しにしているこの生徒が、そんな風に見えた。
それでも、ここで引き下がるわけにはゆかない。
「中途半端じゃない。どうしても、直接会って話さなければならないことがあるんです」
「嘘を言わないでください!高耶は……高耶はあんたのせいでどんなに傷ついたと思ってるんですか !?
休むっていう連絡、妹さんがくれたんですよ。どんなに具合悪くてもオレには自分で連絡してくる奴なんだ高耶は。それができないなんて、想像できないくらい精神的にダメージを受けてるってことなんだよ……!」
譲はついに敬語をやめて喉笛に喰らいついてきた。
「それでも!」
しかし、直江も引き下がらない。
「どんなに罵倒されても仕方ないかもしれない。それでも、あの人に会わなきゃならないんだ!頼む、どうなっているのか教えてください……!」
「まずオレの質問に答えてください!あんたは昨日、高耶に会ったんですか?何を言ったんですか?あいつは何を言った?」
長身の直江に詰め寄られてもものともせずに、譲は逆に牙を立ててくる。
凄まじい気迫で以って直江を押し、詰問を続ける彼に、直江が言葉を濁した。
「昨日の晩は……」
「会わなかったんですか?どうして。謹慎中だろ。家にいないはずないのに。まさか無視したんじゃないでしょうね?」
言いよどむ姿に眉の角度を跳ね上げた譲である。
「違います。昨晩は私は帰宅しなかったんです……知人の家にいました」
どんなに情けなくても視線を逸らすことはできない。激昂した相手の瞳をまっすぐに見据えて告げると、相手は目を見開いた。
「何だって !? まさかそれじゃ高耶は……」
「夜明け前に帰宅すると、彼がいました。ドアの前で眠っていた」
口にするのも痛ましい。
「……んな、馬鹿なっ……!雨に濡れたまま一晩中外で待ってたっていうのか、あいつは !? 」
相手の叫びはそのまま直江の叫びだった。
あなたは夕方からずっと、濡れた体を抱いて一晩中私を待っていたんですか。
あの寒い場所で、震えながら。
帰ってこない私をそれでも諦めずに待ち続け。
そして……
「目覚めた彼に私は酷いことをしてしまいました。家へ帰れと突き放してそのままドアを閉めた……」
バシッ
張られた頬の痛みは、そのまま心の痛みだった。
衝撃に一旦閉じてしまった目を再び開くと、拳を握り締めてわなわなと震える譲の姿があった。
「……あんたは最低だ!高耶の最も嫌う大人の中でも一番酷い男だ……っ」
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