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A B C Drizzly night(13 14 15 16) E F
ポーン……
夜明け前、エレベーターの音で眠りから引き戻された高耶は、ぼんやりと瞼を上げた瞬間、目の前にあった男の瞳に身を竦ませた。
「どうしてあなたがこんなところにいるんです」
驚いた表情を隠せない男の様子に、張りつめたものが切れそうになったそのとき。
―――高耶は、相手の体から漂う明らかな甘い匂いに凍りついた。
「仰木君?」
頬に伸ばされたあの綺麗な手に、女を抱く姿を重ねて想像し、高耶は激しくそれを振り払った。
「つッ」
微かな呻き声を上げた男は、わけがわからないという顔でこちらを見ている。
「……謹慎処分の最中に女と寝てくるとは、いい度胸だな、センセイ」
ゆっくりと立ち上がり、触れられそうになった頬をわざと手で払いながら、高耶は低い声でそう詰った。
少年の全身から立ちのぼる明らかな悪感情は、すぐに相手にも伝わった。
払われた手を殊更にゆっくりとはたき、直江は以前と同じあの冷えた瞳になっていた。
「私がどこで誰と何をしようが、あなたには関係ありません」
突き放すような言葉は以前よりも一層鋭く、高耶の傷ついた心を抉る。
一晩中待ち続けたのは何だったのか。
泣きそうなくらい惨めな思いをして。一人で家の布団に転がっている方がずっと楽だったのに、何故だか立ち去れなくて待ち続けた。
それは、女と寝てきて朝帰りするこんな男を見たかったからじゃない。
こんな冷たい言葉が欲しかったからじゃない……!
「さっさとおうちへ帰りなさい。今度ここへ来たら通報すると、そう言ったはずですよ」
唇を噛み締める高耶に、なおも冷えた声を与える直江は、相手がどんな思いでいるかなどわかってはいない。
帰宅したらドアに凭れて少年がいた。
何だかひどく怯えたような表情をしているのが可哀想で手を伸ばした。
そうしたら突然手酷く拒絶され、何の遠慮もなくプライベートな問題を詰られた。
ただでさえいらいらしていたところへ、この出来事である。
直江は相手の心情に思いを馳せるだけの余裕を持ってはいなかった。
ひどく凶暴な気分になった。傷つけてやりたかった。
この可愛げのない子どもを、傷つけてやりたかった。
相手の方が弱い立場にあると知っていて、その暗い感情を止められなかった。
「さあ、いつまで他人の家の前で突っ立っているつもりですか。早く帰りなさい。―――また騒ぎを起こしたりしたら承知しませんからね」
直江はそう言い捨てて、背を向けた。
そうして、相手の存在など忘れ去ったかのように悠然と鍵を開けて、扉を引く。
中に入って後ろ手に扉を閉めるときにも、振り向こうとはしなかった。
少年があの強い瞳で痛いほどこちらを見ているのをわかっていながら、直江はそのままガチャリと鍵をかけた。
「……か、やろっ……」
目の前で閉ざされた扉と、悠然と錠を落とす音に、高耶はきつく奥歯を噛み締めた。
あの白い硬質な扉が、冷たく高耶を拒絶している。
永遠に相容れない白と黒。
やっぱりオレには関係のない場所だったのだ。この白い空間は。
「直江の馬鹿野郎……
―――オレの……ばかやろう……ッ」
一晩も悶々とした自分が馬鹿だった。
場違いなところへ居座って、周りの住人たちに不審がられて。
それでも待った。
寒くて寒くて、自分で自分の体を抱きしめた。
こんな捨て猫みたいな惨めったらしいことをした、オレが馬鹿だった。
大人を憎んで、何よりも嫌いで。
それなのに、ほんの僅かでも期待した自分が愚かだったのだ。
あんな風に庇われたらもしかしたらって、思って―――こんなところまで来てしまった。
馬鹿だな。ただの馬鹿だ。
本当に、どうしようもない。この学習能力の無さは何だ。
ああ、あんたらは正しいよ。先生たち。
オレは馬鹿なんだ。救いようも無いくらい。その通りだ。
わかってるのに、思い知ってるのに、それなのに馬鹿だからほんの少しでも優しいところを見せられたら期待しちまう。
一分の可能性に何もかも委ねてしまう。
そして、期待通りにならなくて、より一層惨めな目に遭うのだ。
最初から期待なんかしちゃいけないのに。
本当はいつでも待ってるんだ。棘を立てて威嚇しても、敢えて近づいて来られたらガラスよりも脆い。
弱いから、こんな馬鹿だから、だから虚勢を張って周りを拒絶して。
でも本当は誰よりもきっと、誰かを求めている。
構ってほしくて。
甘えたくて。
馬鹿は死んでも治らない、とは……よく言ったもんだよ。
「苦しい……」
胸が焼ける。抉られる。
ありとあらゆる苦痛が集中したかのような痛みをそこに抱えて、高耶は逃げるようにその白い空間から姿を消した。
そして、早朝に自宅へたどり着いた高耶は心配した妹に泣かれ、それを宥めるうちに、倒れることになる。
雨に打たれて乾かしもせず一晩を屋外で過ごした体は、限界を越えてひどい熱を発していたのだった。
―――同刻、白いマンションの中で直江は一人、もうもうとした煙の中で苦く煙草を噛み締めていた。わけのわからぬ苛立ちを抱え、灰皿にはいつしか吸殻が山を作る。
そこへ、電話が鳴り響いた。
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