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シアワセノジョウケン

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そうして夕食を済ませた彼らは、庭に続くタイル張りのテラスへ面した居間に場所を移した。
部屋の中央に、涼しげな籐の長椅子が一対と、一人掛けのものが二つ置かれている。
長椅子に高耶を座らせて、直江はその隣に腰を下ろした。
ハリが鼻先で器用に押してきたワゴンの上で湯気を立てているテー=タレを、ソーサーごと取り上げて差し出すと、
相手は両手で摘まむようにしてそれを受け取った。
しかし、腹が満たされた彼は、ちょんとソーサーを摘まんだまま、眠そうにむにゃっと小さな欠伸をこぼし、とろんと
瞬きしたのみだ。
その仕草が犯罪なみに可愛くて、直江は熱い紅茶がこぼれないようにと相手のソーサーを取り上げながら、一人
微笑んでいた。
一度取り上げたそれを再びワゴンの上に戻して、立ち上がる。
「今日は色々あってお疲れでしょう。 もう寝てくださっていいですよ。
寝室はこちらに用意してあります。付いておいでなさい」
と手を差し出すと、
「ん……」
肯くともなく肯いて、相手はその手を握った。

導かれるままに奥の一室に収まった彼に、おやすみなさい、と声を掛けて、たちまち寝入ってしまった相手の規則正しい
寝息を確認した直江は静かに扉を閉めた。
その瞬間、表情が変わった。
微笑みは消え、眉を寄せて考え込む様子だ。その顔を崩さぬまま足だけを動かし、再び居間へ戻ってゆく。
長椅子に深く身を沈め、彼は目を閉じた。
そんな主の姿に、ハリが心配そうに身をすり寄せる。
「……なぜ、あの人は向こうへ帰れなくなったと思う?」
その耳の後ろをくすぐるように撫でてやりながら、主は使い魔に尋ねるともなく尋ねた。
「見当もつかない。何のせいなのだろう。私は何か、まずいことでもしてしまっただろうか。
いつもと違うことなど、していないはずなのだが……」
問うというより、独り言のような呟き。
ハリが、主にも見当のつかないことがあるんですねぇ……、とため息をつく。さすがは使い魔だ。主を盲目的に信望している
さまがありありと窺える。
上級魔法を修めたこの男には十分に値する評価だったが、わからないことの方がはるかに多いさ、と流して直江は再び
思考の淵へ沈んでゆくのだった。

実際、彼にはどうしても不可解な今度の出来事だった。
全く、見当もつかない。
一体あのときの何がいつもと違ったというのだろう。触れたわけでもなければ呪をかけたつもりもない。
……もしや、愛しさのあまり無意識にまじないを施してしまったのだろうか、とまで思う。
否定する自信がないのが恐いところだった。

「主」
ふと気配を感じて顔を上げるのと、ハリが注意を喚起するのとが、同時だった。
振り返る。
「……ごめん。邪魔するつもりはなかったんだけど」
そこにいたのは予想通り、眠っていたはずの高耶だった。

「どうしました。眠れませんか」
認識すると同時に立ち上がって相手を迎えにゆく。
手を取って長椅子へと戻り、今しがたまで自分が座っていて温かくなっている所へ相手を座らせると、自らはその隣の
ひんやりした所へ腰を下ろした。寒いでしょう、と上着を脱いで相手の背を包むように掛けてやりながら、直江はその瞳を
覗き込んだ。
「目が覚めたら……誰もいなかった。一人っきりで目覚めるなんて初めてで……。
邪魔して、ごめん」
心細さに押しつぶされそうな小さな妖精がそこにいた。
陽気で皆に愛され、いつも賑やかに友達に囲まれていた彼は、周りに誰もいない状況など、これまでに経験したことが
なかったのだ。
大きな漆黒の瞳が直江を見上げた。
雄弁なその瞳から、常に誰かが側にいたこれまでと違って、異郷の広い部屋でぽつんと一人、目覚めた彼の不安が伝わり、
直江は何も考える前に相手を懐へ引き寄せた。
上着ごと背を抱いて、布の上から軽く叩いてやる。
たぶん、相手に今必要なのは他人のぬくもりなのだ。
果たして、高耶は抵抗する気配もなく直江の胸板に頭を凭せ掛け、そこへ手を触れて服をきゅっと握り締めた。
直江は目を見張った。
愛しさに息が詰まる。
強く抱きしめてしまいたい衝動をゆっくりと宥め、彼は相手の黒い艶やかな髪に指を絡めるに留めた。
「寂しい思いをさせてしまってすみませんでしたね……今夜は私が傍にいます。何も心配しなくていいから、眠りなさい。
ずっとついていてあげるから……」
子守唄のように囁かれて、小さな妖精は間もなくむにゃむにゃ言い始めた。
相当眠たかったのだろう、程なく安心しきった寝息が聞こえてきて直江は微笑した。
この上なく愛しいものを見る瞳をして、腕の中の無防備な寝顔に指を滑らせる。
額にかかった前髪を梳いて直してやると、閉じた瞼が露になった。
指の腹でつんと触れてみる。
んー、と眉を顰めるさまが余りにも可愛くて、再びくすりと笑った直江である。
調子に乗って更に頬をつついてみた。
むにっと赤ん坊のような柔らかさと弾力を返す肌に一瞬瞠目するが、相手の反応は更に驚かされるものだった。
高耶は、直江が触れた時に小さく唇を開いて何ごとかを呟き、自分の頬に触れている直江の指を探すように手を伸ばして
指をさまよわせ始めたのだった。
思わず相手の指に指を絡めてやる直江だったが、その反応に、言葉を失った。
求めていたものを手に入れた相手は、その瞬間、本当に満足したように笑って、幸せそうに寝息を立て始めたのだ。
その手は直江の指をしっかりつかまえている。

意識の無い状態で、高耶は直江を求め、母親に甘えるように直江を求めていた。

この限りない無防備な信頼に直江が感動したところで、何の不思議があったろう。
すべてを委ねることが、すべてを得ることなのだという真実を、この妖精は知っていたのかもしれない。
まさにそうすることによって、彼はこのとき、相手の心を完全に手に入れたのだった。本人は全く無意識のままに。

直江は魂を抜かれたまま、ただ相手を見つめ続けた。こみあげる愛しさを胸に満たしながら。




翌朝、目を覚ました高耶は、視界を確認した瞬間、驚きのあまり硬直することになる。

                                         (11/02/02)




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