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シアワセノジョウケン

第一幕[1 2 3 4 5 6 7 8 9] 第二幕 第三幕 第四幕


「はなせよ……っ」
「暴れないでください。落っこちますよ。 嫌でしょう?泥どろになるのは」
「だからって何でひとのこと抱き上げてるんだ !? 」
「だってあなた、裸足じゃないですか。こんなに冷たくて泥どろになった石の上をあなたがそんな足で歩くなんて、
とても黙って見ていられません。絶対に耐えられない。あなたの足が泥に塗れて石畳に傷つけられるなんて、そんなこと」
「知るか!!」
あまりに大げさな言い様に、高耶が真っ赤になった。照れているというより、むしろ湯気を立てるほど怒っている。
「はいはい。暴れない。もう、すぐに着きますから」
しかし相手はどこ吹く風である。慣れたもので、さらりと流しつつどんどん歩を進めること、およそ五分。
さすがに喚き疲れておとなしくなった高耶を抱いて、直江は自らの住まう家の門をくぐっていた。

「……お前、こんな家に住んでたんだ」
何とも言いがたい顔で高耶が直江を見上げた。
無理もない。
彼は今、高台の、この街でも一番の高級住宅地にいた。
その眼前にあるのは、白亜の邸。
そう、いかにも邸と呼ぶに相応しい建物だった。
背の高い白壁が周りを囲む。
同じ白に塗られた斜め格子の扉は外へ向かって開かれており、その向こうに緑の庭が覗いていた。
雪花石膏を切り出して造られたとおぼしき住宅部分は、モスクにも似た造りで、平屋ながら天井が高く、一番外側の部分は
ぐるりと半回廊のように柱が林立している。
決して無駄に広い様子ではなかったが、それはどう考えても一人で住むには大きすぎる建物だった。
「一人住まいというわけでもないんですよ」
見上げる漆黒の瞳から読み取ったか、直江が口を挟んだ。
その言葉を裏付けるように、建物の中へ入って直江がひんやりとした白大理石の床に高耶を下ろすと、
奥から姿を現したものがある。
音もなく床を踏むその姿は、独特のしなやかさと優美さを備えた―――虎。
金色の地の上に美しい黒褐色の模様が描かれたその毛皮は、見る者の目をいやが応にも引きつける。
言葉を忘れてただその姿を凝視する高耶の視線を受けながら、しなやかな身のこなしであっという間に側までやってきた
その虎は、直江の手前二、三歩のところへくると、つと地面を蹴った。
「 !? 」
宙に舞い上がる大きな獣の姿。
それは真っ直ぐに直江へ飛びかかる。
人間よりもずっと大きな体が直江の頭上に飛び上がり……

「―――っ !!」

引き裂かれる!

思わず目を瞑った高耶である。
直江の体が床に押し倒され、引き裂かれる音が聞こえるはずだった。
―――目を強く閉じ、耳を塞いで震えること、数秒。
しかし、その間には何の物音も起こらなかった。
どさっと倒れこむ音も、肉を断たれる音も、骨の砕ける音も、何も。
「……?」
恐る恐る高耶が目を開けると、そこには先ほどのまま、直江の姿があった。
ぴんぴんしている。何ら変わった様子は―――いや、一つだけ。
直江の白い長衣の腕の中に、金色の毛皮を纏った猫が抱かれていた。
「え、……ええ?」
そのつながりが全くわからず、高耶は意味のない呟きを発した。
「……驚かせてしまいましたか。これがさっきの虎ですよ」
そんな相手の様子に少し気の毒そうにしながら、それでもくすりとした笑みを浮かべて直江はその猫の喉元をくすぐった。
毛並みの良い、引き締まった体の金の猫は満足そうにごろごろと喉を鳴らしている。
「……猫……虎……、虎が、猫に……?」
頭が全くついていかないままに、言葉だけが勝手に流れ出る。それはめちゃくちゃな内容の言葉だったが、口に出してみて
閃くものがあった。
「そっか!お前、魔法師だったっけ。こいつはそれじゃあ、使い魔か」
「ご名答。標準時はマライ虎の姿をとっているんですが、外へ出るときなどにはこうして猫のサイズに変化するよう、
しつけてあるんですよ。これならそうは目立ちませんから」
猫の頭を親指で撫でながら、直江は肯いた。
「へ〜え。可愛いな。名前は何てえの?」
正体がわかるとあっさり警戒を解いて、高耶は直江の腕の中の猫を覗き込んだ。猫も琥珀色をした瞳を向けて応える。
「ハリマオから取って、ハリ、と申します」
小さな口を開いたかと思えば、姿に似合わぬ低い抑揚のある声がそこから流れ出て、高耶を驚かせた。
「げっ、しゃっ、喋った !!」
反射的に身を仰け反らせて、バランスを崩した彼はよろめいた。
そのまま床へ倒れそうになった彼を、直江が猫を抱いていない方の腕を伸ばして、間一髪のところでつかまえる。
そのまま自分の体にひょいと抱き寄せてやると、その両腕の中で、ハリと高耶が顔を突き合わせる結果になった。
目を剥いて無意識に離れようとする高耶の前で、
「何もそんなに驚かなくたって……」
小首を傾げて少し悲しげにハリが呟いた。例の、猫の口で。

―――ダブルパンチ。

もう何も言う気力をなくして、高耶はぐったりとなった。
直江はやれやれと気の毒そうなため息をついて、ハリを離した。
「まあ、無理もないことですねぇ。……ハリ、高耶さんの前ではしばらく黙っていろ」

                                         (13/01/02)




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