[ contents ] index - menu - library - BBS - diary - profile - link
「……騒がしい」
白い壁のマンションの10階で、机に向かっていた直江は下の方から聞こえてくる喚声に眉を顰めた。
顔を上げて意識をそちらへ向けると、どうやら乱闘騒ぎになっているようだ。
静かな住宅街に響く怒声は低く高く様々に入り乱れていたが、察するに子どもの喧嘩のようだった。中学生か、高校生か。この地域の問題児かもしれないし、もしかしたら殴りこみにかかってきた隣の市の子どもかもしれない。
そんなものに関わりあうつもりなどなかったが、殺がれた集中力は容易には戻らず、直江はやがて諦めて立ち上がった。
窓際に寄ってカーテンの合わせ目に手をかけたとき、ふと先日のことを思い出す。
「……まさかな」
呟いて布を端へ引くと、彼は下へ目を向けた。
その瞳が細く眇められ、公園から転がり出るようにして道路へもつれこんだ四五人の人影をじっと見つめる。
一人に三人が向かっていったのを、振りほどくようにして突き飛ばし、囲まれていた人物がようやく他から少し距離をおいた。
街灯の光が、その姿を浮かび上がらせる。
「……っ」
直江は蛍光灯の白い光に照らされた彼の半面を見るや、低く舌打ちした。
「馬鹿を……」
彼は、寝間着になっていなかったのを幸いに、上着を引っつかんで直ちに家を飛び出した。
「どうした?もうお終いか。来いよ」
自分も、相手方も、すっかり汗をかいて荒い息をついている。
一対三。ひさしぶりに大立ち回りを演じた。
それぞれ二発以上食らわせてやったが、こちらも幾つかは拳を受けたような気がする。怪我になるほどの負担は受けないように流したけれど、痣くらいにはなるだろう。
でも、まだこれからだ……こんなんじゃ甘すぎる。
「ずいぶんなざまじゃねーか。オレ一人に三人でかかってきておいて骨の一本も取れないなんてな」
「うるせえ!ふざけんなよこの腰抜け野郎が!まともにかかっても来ねぇで!」
挑発すると、相手はすぐにのってくる。
もう少し、暴れたい。
痛みだけが残るほど、徹底的に暴れてしまいたい。そのまま倒れてもいいくらいだ。
ひさしぶりの殴り合いは腑抜けかかっていた体を随分燃えさせてくれた。
「来ねーんなら、こっちからいくぜ。―――らぁッ!」
間合いをじりじりと詰めてくる相手に、こちらから仕掛けてゆく。
待っていても暇なだけだ。こういうものは先にタイミングを掴んだもの勝ちだと、わかっている。
「受け取れよッ」
名前も思い出せないけれど、辛うじて顔を知っているリーダー格の男にまず一発。
体をくの字に折ったところを、返す肘で背打ちにする。
その間に背後に回ってきた残り二人につかみかかられないうちに体を逸らして、今度は足で払う。もう一人は背を逸らしてかわした。
無様に地に転がる二人を見ても、何も感じない。浮かぶのは自嘲の笑いだけだ。馬鹿やってると思うのに、やめられない。
ところがその笑みも相手の神経を逆撫でするだけらしい。
「て、めぇ!」
尻餅をついた方が怒りに瞳を燃やして跳びかかってきた。
笑いに加えて、子どもに対するようなあしらわれ方にプライドを傷つけられた風だ。読みやすいというか、何と言うか。
単純すぎて笑えてくる。
「わざわざ暇つぶしにケンカしかけてくるんなら、もう少しお勉強してからにするんだな。
オレは結構な修羅場経験があるからな、小競り合い程度しか知らない甘ちゃんの相手なんか真面目にやってらんねーよ」
再び体を捻って軽くかわすと、相手はまたバランスを崩してアスファルトの上に転がった。
「ぐっ」
肩から堅い地面に突っ込んだその男はどうやら肩の骨を強打したらしい。もしかするとひび程度にはなっただろうか。
それでも呻き声が小さく抑えられていたところだけは、根性があると見てもいいかもしれなかったが。
これで、一人は戦闘不能になった。
「……よくやってくれたもんだな」
残り二人は、負傷した男を放って、こちらに向き直った。
目が据わっている。怖いとも思わないが、狂犬じみた光が踊るその瞳に、次に何が起こるのかが読めた。
パチン、と音をたてて、二本の万能ナイフがきらりと光を反射する。
「それを持ち出すと犯罪だぜ?」
唇の端を吊り上げながら、高耶は全身の筋肉にじりじりと神経を張りめぐらせた。
がむしゃらに跳びかかってくる刃を避けて、背中を突き、再び襲ってくるもう一本のナイフを蹴り上げた。
狙いが逸れて腕を打ったのみの相手は、少し顔を歪めたがすぐに向き直って切りかかってくる。
「――― !? 」
それを避けて体を泳がせたところに、もう一人の腕が絡みついた。
―――やばい
動きを封じられたところへ迫ってくる残忍な笑み。
腕は動かない。残るのは足だけだ。切られる瞬間に蹴り上げてやるしかない……
そのとき、駆けてくる足音と共に、鋼のような厳しい声が辺りの空気を切り裂いた。
「やめなさい!」
[ contents ] index - menu - library - BBS - diary - profile - link