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自分はどうして生きてきたか。
最初はそのままだった。
何を見ても何も感じず、何をされても反応しない。
ただ無感動な子どもをやっていた。
一つ年上と年下の従姉妹たちはこの容貌を人形と勘違いして手を引いて連れまわしたり、髪を引っぱったりして玩具扱いした。
ほとんど表情を変えないところがまた人形らしかったのだろう。
人間だということは勿論わかっていたのだろうが、彼女たちは自分で遊ぶのを面白がった。
自分はまったく無反応で、やがてさすがに彼女たちがつまらながって構うのをやめようとするまで、まさに人形だった。
しかし、彼女たちの機嫌を取っておいて損はないということに気づいたとき、自分は笑う人形になった。
彼女たちが遊びに来たとき、反応を返すようにしたのだ。
ただ、少しだけ笑ってみせればそれでよかった。
造作だけは無機質に綺麗だったこの顔で微笑んでみせると、従姉妹たちはたちまちこの顔を気に入って、可愛がってくれた。
女というものは、単純で愚かなのだ。幾つであっても。
―――それをこんなに早くから知ってしまった自分は果たして幸せだったのか、不幸だったのか。
とにかく、自分はそうしてなかなかに生きよい場所を手に入れた。
相手は女に限らないが、ほんの少し笑いを見せて上手に甘えれば、簡単に騙されてくれる。
自分はできるだけ自らを好かれやすいように、世を渡りやすいように、作り変えてきた。
喋りすぎることのないように(というより、そもそもあまり口をききたくなかったのだが)、けれど決して他人を排除することのないように、ときどき笑いを見せて柔和な人当たりのよい顔を演出したのだ。
その結果、自分に与えられた周囲の評価は『穏やかで口数の少ない優しい男』というものだった。
さらに、自分は誰からも弱みを見つけられないように、学問にも武門にも手を抜くことはなかった。
つけられた学者たちに舌を巻かせるほどに、一点の間違いもないよう打ち込んだ。
ほんの一点でも弱みを見せればたちまちに嘲笑の的にされるだろうことはわかっていたから。
絶対にそんな隙を見せるわけにはゆかない。
誰にもどんな文句もつけられないように、完璧でいなければならない。
そして、それを厭味に受け取られないような外面づくりもだ。
自分の生き方は万事がそうだった。
いつからか、自分には生きる理由すなわち生への何らかの執着というものが全くないのだということを思い始めていた。
死ぬ理由がないから生き続けるだけのことなのだ。
「……だから、こういうことになったのかもしれないな」
呟いた。
ごうごうと響く駆動機関の唸り。
それ以外には全く静かな、この空間。
―――自分は今、祖国(というのも笑えるが)を遠く離れた東亜細亜の海上基地にいた。
兵舎の狭い寝台に体を丸めて横たわる。
駆動機関の地響きを除いては、まるで死に絶えたかのように静かで、却って不気味だ。
おそらく午前三時くらいだろうか。
あと一刻もすれば徐々に兵が起き出してきて、ざわざわとうるさくなるのだろう。
眠れなかった。
ここへ来て、殆ど嫌悪していた類の務めに従事するうち、感覚が麻痺してゆく一方で、深層意識はむしろ、研ぎ澄まされてきたような気がする。
昔のことを思い起こすことが多くなった。
かつて考えまいと奥底に押し沈めてきたものが、一気に逆流してくる。
目の前に戻ってくる。
歳を重ねた分だけ、一層の鋭さを以って。
そして、こうして夜中に一人、まんじりともせずに思い返すのだ。
今さら悲しくも痛くもないが、ただ、こうして考える。
あの氷室の家を遠く離れたこの地で、営舎の硬い寝台(と呼べるほどの代物でもない)に身を横たえ、目の前に迫る低い天井のしみを眺めながら、意識だけは遥か遠くへ飛ぶのだ。
自分の最も古い記憶は、白い手と漆黒の髪だった。
020506
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