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「おっ。結構車入ってんじゃん」
車山高原SKYGATEのパーキングに滑り込んだウィンダムは、レストランやリフトのあるエリアの少し離れた側のスペースに停車した。
「もう夏休みも終わりなんですけどね。やっぱり日曜となると人が多い」
車から降りて、後部座席に畳んでおいた上着を取り出し、ばさりと広げながら直江が言った。
「う〜、涼しいというより、肌寒いかも」
同じく外に降り立った高耶が首を縮める。
そちらへ目を向けて、直江が首を傾げた。
「上着は持ってこなかったんですか」
「だって、下はあんなに暑いんだぜ?上着なんか持って出てくる気になると思うか」
半そでのTシャツに、緩めのジーンズという出で立ちで、相手は少し唇を尖らせた。
炎天下向きの服装は、確かに下界ではちょうど良い。
暑さ避けに行くとは言ったが、その先が山だとは一言も言わなかったことを思い出して、直江は苦笑いした。
「たしかに、電話できちんと話さなかった私もいけませんでしたね」
「別にいいよ。歩けば暑くなるだろ。
―――ほら、さっさと行こうぜ」
「ちょっと待ってください」
さっさと歩き出そうとしたのに追いついて、自分の上着をその肩に掛けてみる。
「直江?」
冷たさを遮った布の感触に顔を上げると、少し困ったような表情にぶつかった。
「私のをどうぞ……と言いたいところなんですが、やっぱり合いませんね。ジーンズにこれは」
相手の姿を上から下まで見て、眉を寄せ、首を振っている。
そのさまが何だかかわいくて、高耶はこぼれそうになった笑いを慌てて隠した。
「高耶さん?どうかしましたか」
急に俯いたのを訝しむ相手に、ぱっと脱いだ上着を返すと、
「気持ちだけもらっとく。ありがと」
彼はバネのように元気よく歩き出した。
慌てて追ってくる忠犬の気配を背中に感じながら、高耶はひとしきり笑っていた。
スカイプラザに入ると、ちょうどその入り口の左の棚にぬいぐるみコーナーがあった。
フクロウやリスなどの山の生き物を元にした、ふかふかと手触りの良い可愛らしいものだ。
足を止めてそれに視線を注いだ高耶に、後ろから入ってきた直江が首を傾げた。
「いつからそういう趣味が始まったんですか?」
揶揄するような、面白がっている声音である。
高耶はそれを一笑に付して、
「馬鹿野郎。美弥にお土産頼まれてんだよ」
「……ぬいぐるみですか?あまり関係ないような気がしますが」
「オレらは松本の人間なんだよ。今さら何で野沢菜とかワサビなんか買わなきゃなんねーんだ?長野土産を頼まれたわけじゃねーんだよ」
「ああ、たしかに。美弥さんにお土産ねぇ……こんなのはどうです?」
なるほどと肯いた直江が、隣の棚を指差した。
「『長野限定 りんごキティ』〜?」
蛍光カラーで『人気です!!』と書かれた札を読み上げて、高耶がため息をついた。
赤いリンゴ型の帽子をかぶった可愛らしい白猫のぬいぐるみと、俳優ばりのいい男という奇怪な組み合わせに脱力した彼だったが、一呼吸おいて回復すると手を伸ばして男の手からそのミスマッチな代物を取り上げて、言い聞かせるように説教をはじめた。
「あのな。何度言ったらわかんだよ?オレらは長野の人間なんだ。長野限定買ってどうしろってんだよ、まったく」
「そういうものですか?限定でも何でも、美弥さんくらいの歳の女の子ならこういう可愛いものがお好きなんじゃないですか」
しかし相手は軽く首を傾げて記憶を手繰るように呟き、再び高耶の手からぬいぐるみを取り上げて引っくり返して見ている。
女にかけては人並みではない経歴を持つ男の言う言葉には、妙に説得力があった。
「……ほ〜お。さすが遊び人は違うな。オレにはわかんねーよ」
それが相手の神経を逆撫でするのも、お約束。
プチ怒りモードに入った高耶が手近のぬいぐるみを掴んで足音も荒くレジに向かった後、残された男は、はあ、と深いため息をついてそれを見送ったが、レジに並ぶ彼の手に握られているものを見て、おや、と口元を和ませた。
「……間違えた」
精算の段になって、自分が握っているものに気づいた彼は、舌打ちすることになる。
「―――お前のせいだぞ」
精算を済ませて戻ってきた彼は、低く低く地面を這うような声音で男に食って掛かった。
「いいじゃないですか、『長野限定 わさびキティ』。ウインクしているところが可愛くて」
くすくす笑いを抑えきれない様子の直江にそんな風に言われて、高耶は相手の襟元を引っつかんだ。
「ウインクじゃねーよ!わさびが辛くて泣いてんだ、こいつはっ」
怒ってまくしたてたのも、さらに相手の笑いのツボにヒットしてしまう。
「ずいぶん詳しいんですね。私はてっきりウインクしているんだと思いましたよ」
「……一人で笑ってろ!!」
とうとう俯いてしまった男に、高耶は物を言う気も失せて一人、ずんずんと外へ向かって歩き出した。
「……変人だ、変人だとは思ってたけど、キティ如きであそこまで笑う男って何なんだ。信じらんねぇ」
自分の恋人だということもすっかり忘れてこき下ろす彼だった。
ひとしきりもごもご言ったころ、しかし彼は背中の淋しさに気づく。
(追っかけてこねーのかよ)
放ってきた身にしては勝手な言い草だが、彼はいつも後ろにあるはずの気配がないことに不安を覚えていた。
(このまま追いかけてこなかったら)
そんな脆さがいつまでも忘れられない彼である。
どれほど強く抱きしめられても、囁かれても、いつも本当は心の底に暗い不安があった。
我侭を言うのも、甘えるのも、相手を求める心がそうさせる。そうやって構ってもらわないと、その存在と結ばれているということが実感できなくて不安になる。
深く深く根を下ろして住み着いてしまった存在だから、もし失われたら正気でいる自信はない。
捨てられたら、死んでしまう。
(早く)
(早くはやくはやく)
(追ってこいよ……)
声なき声で、叫んだ。
「……高耶さん!」
しばらくして追いついてきた男が名前を呼んでも、彼は答えなかった。
知らんふりをしているのが、怒っているのではなくて怖かったのだと、わかっているから直江はその薄い背中に大きな手を添える。
「すみません。遅くなって」
ぽん、と叩いて、その背に何かをばさりと着せ掛けた。
「……何?」
ようやく顔を上げた高耶に、直江のいつもの鳶色の瞳が落ちてくる。
「簡単ですが、上着をね。リフトは冷えますし」
プラザでは帽子やパーカーの類も少し扱っている。軽装で来て寒くなった客たちのためである。
直江はそれを買い求めていて遅くなったのだった。
知ってる。
いつも、お前のやることはオレのための何か。それ以外の何物でもない。
たとえ、こうして不安にさせても、それは最後にはオレに行き着く。
―――じんわりと、心が熱くなってきた。
「あなたに風邪をひかせてしまったら大変だから」
そう言って微笑んだ瞳がたまらなく優しくて、人目も忘れて抱きつきたくなった……
リフトに乗りこみ、二人はどちらからともなく顔を寄せた。
「人、少ねーよな」
「風が出てきたから、登山しようという人も減ったんでしょう」
「だったらいいよな」
「いいんじゃないですか」
長身の男が二人で座るには少し狭いリフトの席の上で、二人は内緒話でもするようにキスをした。
02/09/14
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