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神様と空と

お出かけまえ編 ドライブ編 高原編 神社編 星夜編

『暑さ避けに出かけませんか―――?』


電話の向こうから聞こえてきた声があまりにも涼しげだったのと、実際ここのところの厳しい残暑にウンザリしていたのが手伝って、オレは一も二もなく肯いていた。
『では明日、迎えに行きますね』
嬉しそうに綻んだ声がくすぐったくて、でも嬉しくて、ぶっきらぼうに返答する。

「ばぁか。こっちから行ってやるよ。駅で待ってろ」
『いえ。伺いますよ』
「いいから。家まで来られると近所がうるさいんだよ」
当然のことながらすぐに反論してきた相手だが、
『近所なんてどうでもいいじゃないですか。何で今さら外で待ち合わせたりなんか』
「うっせー。とにかくお前は駅に来ればいいんだ。朝九時に駅前。いいな!」

まだ何かぶつぶつ言っているのを、知らんふりしてガチャンと受話器を置いたけれど、オレの顔はたぶん、かなり緩んでいたんじゃないだろうか。
そこへ美弥が帰ってきて、玄関のドアを開ける音がした。

「……ただいまぁ。あれ、どうしたの?電話?」
「いや、まぁな」

慌てて表情を引き締めようと試みたオレのことなんか、賢い妹にはお見通しだったらしい。
にっこりと天使のように笑って、

「また美弥一人になっちゃうのか〜。淋しいなぁ〜。友達に泊まりに来てもらおっかな。
あ、そうそう、おみやげ忘れないでねv」

至極嬉しそうに言いながら部屋へ消えてゆく妹を見ながら、オレは隠しようもないため息をついた。
どこまで知られてしまっているものか……

(たぶん全部だろうな)

たどりついた結論に、一人じたばたする兄だった。





朝―――

頑張ってきてね〜、という、どういう意味なのかは恐ろしくて訊けなかった送り出しの言葉と共に家を出た高耶は、駅前のマクで朝マッ○していた。
普段は100回が100回ともあの男に待たせてしまう傾向にあるから、たまにはこちらが待ち伏せてやろうと試みての、彼の行動である。
ガラスの下に見えるロータリーには、どうやら先客の姿は見えない。

やったぜ、とご機嫌の彼だったが、時刻はまだ七時半を回ったばかり。開店とほぼ同時に店に入った彼に先んじることは、さすがの直江にも不可能であろう。まして、予告された競争でもない。

―――が、あの男、実は既に駅前に到着していた。

早く来すぎたと、喫茶店に入っている。それでも、愛しい人がもし来たらすぐにわかる位置に席を取って、本を広げながらも意識はロータリーに飛んでいた彼だった。
ではなぜ気づかなかったのかというと、たまたま彼が手洗いに立っている間に高耶がマクに入り込んでしまったからである。

微妙なすれ違いにも気づかず、二人はそのまましばらく時を過ごした。


一方は、これからの予定を頭の中で復唱している。

―――まずは高原をドライブだ。今回はそう遠出をするつもりでは来ていないから、県内で走ることにしよう。あの人もたぶん、日帰りのつもりだろうから……(しかし帰すつもりは俺にはないが。ホテルも手配済みだ。)
夏はグランドスキーがいいし、今日はその辺りで遊んでもらおう。あの人は体を動かすのが好きだから。
それに、夜はうまくすれば星が見られるだろうし、外を散歩してもいいかもしれないな。

もう一方もやはり相手のことを考えている。

―――直江、びっくりするかな〜。普段遅刻ばっかのオレが自分より早く来てたらそりゃあな。オレもたまには健気なことをするよな。ま、久しぶりに会うんだし、いいか。
今日はこれからどうするんだろ。涼みに行くってことは、山だよな、たぶん。高原か……
あー、いいなぁ……ハンググライダーとか、やってみてぇ……
あれ、ちょっと待てよ?もしかしなくても、今日どっか泊まるのか?やべぇ、何も持ってきてねーよ……
……いや、いいか。いざとなったら下着だけ買えば。

こんな風に考えにふけっていれば、何だかんだ言って待ち時間も楽しいものである。
いらいらすることもなく、二人は時間を過ごした。

そして八時半になると、直江が動いた。だいたいこのくらいの時間には、いつも待ち合わせ場所に待機するのが彼の癖である。
申し訳程度に広げていた文庫本を閉じて、彼はいつもより少しくだけたラフなスーツの上着を片手に引っ掛け、店を出た。

「何か、前より薄くなったよなぁ……フィレオフィッシュ……」
そんなことを呟いて包み紙を丸めていた高耶が、視界を横切る大きな人影を捉えてぱっとそちらへ目をやった。

日本人離れした長身の、文句のつけようのない整った横顔が目に入る。
その片面が、視線を感じたのかこちらへ向いて、……鳶色の瞳が驚いたように開かれた。

『高耶さん……?』

声はもちろん届かなかったが、唇の動きで彼が何を言ったのかはすぐにわかった。
「今行くから」
届かないのをわかっていてそう言うと、高耶は紙くずの乗ったトレーを片手で掴み上げて威勢よく席を飛び出した。


「どうしたんです、こんなに早く」
往来に出て人目も気にせずに駆け寄ると、相手が不思議そうに首を傾げている。
高耶は得意げに笑って男の鼻先に人差し指を突きつけた。
「今日はオレの勝ちだな」

一時間前から来ていたと聞いて、直江の瞳が心臓に悪いほど優しく笑った。

「……あなたという人は。
本当に可愛い恋人を持ったものですね、俺も」
自分の方が少しだけ先に到着していたということなど、言う必要もない。
というより、そんなことはどうでもいい。
わざわざ早起きして、待ち合わせ場所に一時間以上も前から来ていてくれた相手を愛しいと思うだけで、胸が一杯になる。

抱きしめたい……


不穏な空気をいち早く察して、高耶は直江の間合いから逃げた。
「ほら、車で行くんだろ?早く出ようぜ!」

無邪気に笑って駆け出す彼を、一足遅れて男も追いかけた。



02/08/30


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