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cherry,cherry,cherry !

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 名前も知らないけれど高級車だということはすぐにわかるような車の助手席に納まって、高耶は不思議な気分を味わっていた。
 まさか自分がホスト界No.1と呼ばれる橘義明にエスコートされて夕食を取ることになるとは。
 世の有閑婦人をして、たとえ幾ら積んでもいいからその時間を共に過ごしたいとまで言わせるハイグレードなその男が、至極スマートなステアリングさばきを見せていて、自分はその隣で横顔を眺めている。
 こんな高価そうな車のナビシートになんか、一生縁がないだろうと思っていたのに、人生とはおかしなものだ。

 首を傾げていると、男が口を開いた。
「どうかしましたか?」
「いや、変な気分だなぁと思って。この空間」
 手滑りの良いシートベルトを弄びながら呟いた彼に、男がミラーの中で笑った。
「気軽にかまえてくださればいいんですよ。―――まあ端的に言えば、ふられた男の寂しい夕食を慰めてくださるわけです。あなたは」
 おどけた口調で言う姿に、
「……ふられた?寂しい?」
 ぷっと吹き出して、高耶は目元を拭った。
「あんたには一番似合わない言葉だと思うけどな。橘義明さん」
「事実でしょう?」
 くすくすと悪戯な笑みを見せる男は、本当に人の気持ちを動かすのがうまい。
 あんな冗談を言って、高耶の緊張を簡単にほぐしてくれた。
「No.1っていうの、肯けるよ」
「今は仕事じゃないんですってば」
 ムキになって繰り返す様子がまた、楽しかった。
 終始和やかなままに、車は目当ての場所へと滑り込んでいった。




「……場違いな気分」

 都内でも有数の上流ホテルのエントランスに着くと、橘は慣れた様子でキーを抜き、歩み寄ってきたホテルマンに渡した。渡された方は軽く会釈をしてから運転席へ乗り込み、エンジンをかける。
「行きましょう」
 橘は車が駐車場へと運ばれてゆくのを目で追っている高耶を、柔らかな笑みで促した。

 その最上階にあるレストランへ連れてゆかれた高耶が、足音を吸い込むほど分厚い絨毯の上を、ぴしりと筋の通った慇懃な仕草で先導する給仕について歩きながら、首をすくめて呟いた。
 普段縁のない場所に来て落ち着かなさを感じているらしい彼に、エスコート役は相手を安心させるような笑みを浮かべて首を振った。
「そんな堅苦しいところではありませんよ。誰も周りをとやかく見たりしません」
「……ノータイの人間なんかいないみたいに見えるけど?」

 それぞれに十分な間隔を取って据えられた各テーブルを窺えば、皆が礼装に近い出で立ちをしている。十分堅苦しいと思うけど、と内心で呟く彼だった。

「何も気にしないで。こういう場所ではね、服装よりも態度が大事なんですよ。リラックスしていれば何もおかしなことはありません。変に小さくなる方がよほど雰囲気を壊します」
 男は変わらぬ笑みを浮かべたまま、優しい声でそう諭した。

「そういうもんかなぁ」
 それでもまだ首を傾げている高耶に、相手は勇気づけるように肩を叩いた。
「あなたはちっとも見劣りしませんよ。自信を持って堂々と寛いでください」
「はあ」
 どこまでが本気でどこからが社交辞令なのか、男の言葉に判断をつけかねて、高耶は本日何度目になるかわからないため息をついた。


 窓際の席へ通されると、前述のとおり各テーブルが十分に空間を保って設置されているために、殆ど周りは気にならなかった。
「うわ、綺麗……」
 ちらりとガラスの向こうへ視線を走らせた高耶が、思わず声を上げる。

 まるで現実とは思えないような、きらきらした光の乱舞。
 はるか下方に群生するその綺麗な景色は、地上の星と呼んでもいい気がした。
 天上の星とは全く違うのだけれど、これも一つの星なのだ。
 人間という小さく弱い存在が、ちっぽけながらも必死に歩んできた証。その存在を天に向けて精一杯提示している。

 近くで見れば一つ一つはただのビルの明かりだったり、けばけばしいネオンだったりするけれど、こうしてそれらを遠く、天に近い場所から見ていると、人間は小さくて愚かだけどこんなにも精一杯に歩んできたのだなと、―――その小さな存在のさらに幼い若輩者ながらも―――しみじみ思うのだ。


 吸い込まれるように見入る青年に肯いて、橘が同じように顔を夜景へ向けた。
「でしょう?折角の夜景ですから、ふいにしたくなかったんですよ」

 しみじみと言ってもよいようなその声音で、橘が本気でそう呟いているのがわかり、高耶は不思議な気になる。

「―――その意見には賛成だけど、意外だな」
 顔を中の方へ戻して首を傾げた彼に、橘がこちらも戻した視線を、もの問いたげに相手に向けた。
「どうしてですか?」
「だって、こんな風にきっちりしてると思わなかった。予約をキャンセルするくらい痛くも痒くもないだろうし、って」

 高耶の言いたいことは、すぐに相手にも伝わったらしい。
 金銭的に普通とは違う感覚を持つであろう一流ホストが、『勿体無い』などという台詞を吐くのが不思議なのだ。どんな贅沢でも当然のように使い捨てることができるはずの環境にいるのに。

「小さなことに気を使うせせこましさが不思議ですか?」
 くすりと笑って問う橘に、高耶は少し困ったような顔をして肯いた。
「怒らないで聞いてくれよな。うん、一般人とは感覚が違うだろうって思ってた」

 限りなく『一般人』を超越している相手は、しかし感心したように唸るのみ。

「怒りませんよ。そうですか、なるほど、そういうイメージを持たれるわけですね……」
「No.1ホストなんて言われたら、普通の人間とは違うって思うんだよ」
 思っていたままに言うと、相手は首を傾げてから、きっぱりと宣言した。
「私は皇族でも華族でもありませんよ。単なる一般人です。その感覚を変えようと思ったことはありません」

 それを聞いて、高耶がにこりと笑った。

「そっか。でも、その方がオレは好きだな。ちょっとしたことでも大事にできる人間がいい」
「嬉しいですね」
 相手の笑顔に目を細めて、橘は肯く。
「オレは細かいことを気にしたいタイプなの。勿体無いことをしてたらいつかバチが当たる」
 高耶が自らのモットーを語ると、
「それに、色々なことをその時その時大事にできる方が、人生ずっと楽しいですからね」
 橘も息の合った合いの手を入れる。
「その通り。意見が合うな〜」
 高耶はそのあうんの呼吸に、気持ち良さそうに目を伏せたが、ふと訝るような眼差しになって顔を上げた。
「……って、これもリップサービス?」
「だから違いますって。最高の御もてなしと、お世辞とは別物です。今は気楽にお喋りを楽しんでいるんですよ?」
 その子どものような澄んだ疑いの眼差しに、橘が苦笑して否定する。

 相手には自分の『ホスト』という職業柄が大きな先入観になっているらしい。
 どこまでが仕事でどこからが本音なのか、量りかねているようだ。
 これは決して社交辞令のつもりではない。心で思ったまま、口にしているのに。
 通じていないのだろうか。

 少し寂しく思う橘だったが、
「そうか?だったら嬉しいな。……オレもすごく楽しいから」
「嬉しいことを言ってくれますね」
 すぐに素直に肯いて、にこりと笑った高耶に、彼も破顔した。

「だってほんとに楽しいんだぜ。意外だし、貴重だし、面白い」
「ますます嬉しいですよ。
 ……ところで、お名前を伺ってもかまいませんか」

 そして橘は、ようやくその言葉を紡ぎ出した。
 名前も聞かないでこんなに楽しく話に花を咲かせたことが、普段ではありえない状況で、一人笑う。
 しかし、その思いは相手も同様のようだった。

「あっ。そういやまだ名乗ってなかったか。話が弾んでたから気づかなかった」
 少し目を見張る様子が初々しくて可愛い。
 青年は、少し居住まいを正してから、あっさりと話しだした。



02/11/27


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