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N's D.S.diary

入所説明会 シミュレータ教習 実車第一日目 実車第二日目...


3/22 (金曜日)

今日は初めての実車だった。
操作自体は呆気ないもので、まるで玩具でも
扱っているような感じがしたのだが、走行となると
なかなか難しかった。
エンストせずに済んだのは決してやり方が巧かった
からではない。
・・・ひたすらクラッチを踏み続けていたからだ。

それから、今日の教官はやはり若い人だったが、
いい人だった。
___________________________________N

 さて、波乱のシミュレーターを終えて既に6日が経ち、ようやくの実車技能教習第一日目である。
 黒いカシミアのコートをするっと脱いで手早くまとめ、直江信綱はカウンターの左端に置かれている配車機へ近づいた。
 配車機というのはコンピュータの端末になっていて、左右にそれぞれ小さなボックス状の機械を繋いである。その右側の方はIDカードの照合機になっていて、そこへカードを挿入すると、自動的に予約の内容が読み込まれ、左の配車券発行機から券が出てくる仕組みになっている。
 直江はカードを右の機械へ入れた。
 ピッと音がして照合が始まり、一呼吸おいてビーッという音と共に発券機から白いレシートに似た券が吐き出される。
 同時に右の機械からカードが出てくるので両方とも回収して、直江は左へ廊下を歩いていった。
 突き当たりにガラスの自動ドアがあり、そこから駐車場へ出られるようになっているのである。また、その右側は待合コーナーになっていて自動販売機が並び、手前には喫煙者用の囲われたスペースも設けられている。
 ドアの右横に置いてある配置見取り図の前へ立って、直江は先ほどの配車券に目を落とした。
「ええと、第010号車、担当指導員は050 仰木高耶……」

配車券
      戦国ドライビングスクール       TEL 011 (334) 1751(代)      C0710−3 14年03月22日      直江 信綱       様     車種   MT車 010号車     指導員  050 仰木 高耶     時間   07時限 16:00から  技能料  入金 残り 配車 無断 予約        34  31  3   0  3  未受講学科 1-02 1-03 1-08                     06-158

 10号車はこの建物の北側に沿ったスペースに配置されている。
 このドアから出た場合、左を建物に沿って歩き、角を曲がったしばらく先だ。
 これなら正面玄関から出た方が近かったな、と思いながら、直江は外へ出て行った。

 さて、車の前に着いたのはいいのだが、どうすればいいのだろう。
 周りの生徒たちの動きは様々で、まず大抵の生徒は運転席のドアを開けて中へ屈みこみ、トランクを開けて荷物を入れるようだ。
 そして原簿だけを手に、教官を待っている。
 また、他の生徒の中には、その後で車の回りを一周しながらしゃがみこんでタイヤの点検をしているらしい者もいた。
 どうしたものか、同じようにした方がいいのだろうか、と悩んでいると、予鈴代わりになっている音楽が流れ、
『第7時限めの教習が始まります。教習生のみなさん、及び担当指導員は、準備をしてください』
というアナウンスが入った。
 ちょうど目の前にある教官室から、ぞろぞろと茶色の背広集団が出てくる。
 自分の担当はどの人だろう、とそちらの方を眺めていると、
「はい、10号車の方?」
 ふいに後ろから声を掛けられた。
 予想外の方向からかかった声に少し驚いてしまう。
 一呼吸おいてから、
「……はい。お願いします」
 向き直って原簿を差し出しながら、相手を見た。

 思わず目を見張る。

 原簿を開いて中を見ながら、
「ええと、直江さん?裸眼でいいんだよな」
 と確認を取ってくる彼は、先日のあの赤い髪の教官よりもまだ若そうだった。
 まだ24、5といったところ。
 漆黒の髪と瞳が印象的な、しなやかな感じの青年だった。
「よし。初めてだな?」
 ぱたんと原簿を閉じて、彼は問うてきた。
「そうです」
「じゃあまず荷物を入れよう。トランクを開けるからな。こっちへ来て」
 導かれるままに運転席の前までゆくと、教官はドアを開いて左腕を突っ込み、
「ここのレバーを引くと開くから」
 ぐい、と手前に引く動作をした。
「今はオレがやるけど、次回からは自分でな。荷物を積んで原簿だけ持った状態で教官を待っててくれ」
「わかりました」
 なるほど、さっき他の生徒がこうしていたのは習慣としてこうなっているからなのだ。
「じゃあ荷物入れて、助手席に座って」
「はい」

 トランクルームの中に置いてあったプラスチックの籠の中へコートを入れて、蓋をきっちり閉めたのを確認してから助手席へ回ってドアを開ける。
 頭をぶつけないように気をつけながら乗り込むのを確認して、教官も運転席側のドアを大きく開いた。
 左足を突っ込んで、シートをかかとでぐいっと後ろへ追いやり、広くなったところへ体を割り込ませる。
 慣れきった乱暴な仕草が、目を見張るほど綺麗だった。思わず惚れ惚れと見てしまう。
 クラッチを踏み込みながら、右手を下へ入れて手早くシート位置を調節し、教官はこちらへ向いた。
「で、まずどうするんだっけ?」
「ルームミラーを調節します」
 答えると、
「そうそう」
 ひょいと左手を伸ばしてミラーの角度を調節し、
「で?」
「シートベルトを締めます」
「うん。じゃあ出ようか」
 詳しい説明は発着点に入ってからするから、と言って、教官は流れるような動きでエンジンをかけ、発進、チェンジ、合流を行った。
 見とれているうちに大回りコースをほぼ一周して、発着点に入る。
 そこで、教官はまさにお手本のような停止をして、エンジンを切るところまで済ませた。
「じゃあ説明に入るぜ」
 再び直江の方へ向き直る。
「まず、エンジンをかけるよな。
 ブレーキとクラッチをしっかり踏み込んで、ギアをニュートラル、それからサイドブレーキを確認して、キーを捻る」
 一つ一つをゆっくりと進め、キーを捻ると車がギュイイ、と唸り、エンジンの稼動する感じが伝わり始める。
「で、ここを見て。ランプが一つだけ点いてるよな。これ何だっけ?」
ハンドルの向こう、パネルの中を指差して、教官が問う。
「ええと、サイドブレーキ……?」
「そうそう。発進時にはここで確認できるわけだ。戻し忘れのないように気をつけてな。
 さて、発進しようか」
 右手で軽くハンドルを握り、左手をチェンジレバーに乗せて、教官は一度前を見た。そして再び直江へ視線を戻して、
「指示器を右に出してギアをローへ入れる」
 右手の人差し指と中指で指示器のレバーを下へぽんと押し、左手でチェンジレバーを左・上の順に動かしてローギアへ入れる。
 カチ、カチ、という指示器の音が響いている。
「それから、サイドブレーキをしっかり確実に戻す。ブレーキとクラッチをしっかり踏んでいないと危ないぞ」
 左手でサイドブレーキを握り、親指で先端のボタンを押しながら全体を下へ下げる。
「さっきのランプが消えただろ?」
「あ、そうですね」
 確かに今、ランプは点いていない。
「ここまで済んだらアクセルだ。右足をアクセルペダルへ替えて、音が変わるまで踏み込む。そして左足をゆっくりと上げていって半クラ状態を探す。車がじりじり動き始めたらそれが半クラッチだから、そこをしばらくキープして、アクセルを踏んでいく」
 教官は言いながら半クラッチを作り、車はゆっくりと前進し始めた。
「速度に合わせてゆっくりとクラッチを戻していく。
 このときいきなり放したりしたら、突発するかエンストだからな?」
「はい」
「よし。それじゃ出て行くぞ」
 教官は合図を左に出してコースにのった。
 楽々とハンドルを操りながら、ちらりとこちらへ目を向け、
「しばらくぐるぐる回ってみよう。あとで交代したらこの大回りコースを回れるようになってもらうからな」
 簡単に言われて、直江は困ってしまった。
 いきなり走れるようになれというのか。
「は、はい……」
 力ない返事に教官は笑った。
「そんなに構えなくても、こんなの、ハンドル操作はゴーカート程度のつもりで十分だ。問題はまあ、チェンジだな。
 ―――こんなふうに」
 言いながら、教官は左足をぐっと踏み込み、左手でギアをセカンドへ上げた。
 慣れるまでは非常に苦労するギア操作を難なく済ませて、次に非常に滑らかにクラッチを上げてゆき、車はことりとも震えない。
「はあ……」
 プロなのだから当然といえば当然なのだが、あまりに滑らかなこの一連の操作が、流れるようで、直江は思わず目を見張っていた。
 その視線とため息で気配を察したらしく、教官が笑って口を開く。
「なに、直江さんオレの運転に見とれてんの?面白い人だな」
 目だけでこちらを見てくるのがなぜだか直江をどきりとさせた。
「すごいものだと思って……」
「何が」
「なぜって、あなたは見たところ私よりずっとお若いのに、ベテランの動きをなさるでしょう。ため息も出ようというものです」
 思ったままを言うと、なぜか教官は少し憮然とした顔になった。
「……どうせ、オレは童顔だよ。実際まだ二十代だけどさ」
 どうやら同じようなことを言われつづけているらしい。まずいことを言ったな、と思ったが、今さら遅い。
「すみません。年齢のことを言いたいわけではなくて……感心していたんです。見とれました」
 素直に続けると、本気で言っているのが伝わったのか、相手は額の皺を戻した。
「それはありがと。オレこれでも免許王だからな〜」
 少し得意そうに言うあたりが子どもっぽさを感じさせるのだということを、彼はわかっているのだろうか。
 それでもその横顔の笑顔が爽やかで、こちらまで楽しくなる。
「免許王って、幾つくらい持っておられるんですか?」
 純粋に興味をおぼえて聞いてみる。教習指導員というものは一体どの程度車に命をかけているのだろう。
「聞いて驚け」
 非常に楽しそうに目の前の若い教官は瞬きをした。
「全部だよ。大型から小型特殊まで。第一種免許は全部取ってる」
 ―――誇張でも何でもなく、驚いた。

「全部……」
「そ。趣味なんだよ。今は二種の方で挑戦中」
 教官は嬉しそうだ。一方直江は頭の中で壊れたラジオのように何度も繰り返していた。
 趣味。
 趣味なのか。
 やはり。
 そうか。
「……」

 大型特殊、大型、普通四輪、大型二輪、普通二輪、小型特殊。第一種免許はこの5つだ。(正確には原付免許もあるが、これは四輪と二輪の免許を受ければ自動的に運転可能とされるから、同じことだろう。)

 いくら趣味でも、大型特殊自動車を運転できる必要はないような気がするのだが……副業で何かそういうものを操るとでもいうのならともかく。
 ……いや、それでこそ趣味なのかもしれない。

「なに?聞こえないけど」
 ぶつぶつ呟いていると、教官が首を傾げた。
「いえ、何でもありません。
 それにしてもすごいですね……免許という免許をすべて制覇するつもりなんですか?」
「そうだな。せっかくだし。面白いから」
 ―――これから初めて普通四輪自動車の免許を取ろうという人間には、言えない台詞だ。
 とりあえず、
「頑張ってくださいね」
 と言ってみて、そのあべこべさに笑う。
「逆だよなぁ。オレが励まされてどうするんだろ」
 教官も同じことを思ったようだ。左手だけでハンドルを切りながら、右の親指で額をこつんと弾いた。
 苦笑いもまた、爽やかで綺麗だった。

 笑顔には自分だけでなく他人をも幸せにさせる効果があるというが、まさに今、そんな笑顔の持ち主に自分は出会っている。
 ……と、思った。

「さあ、そろそろ交代しようか」
 教官が言って発着点へ再び車をつけるまで、直江は眩しそうに隣の青年に見とれていたのだった―――。



―――直江信綱、本日の収穫はいい笑顔の持ち主の教官に出会ったこと。
 残り、31時限―――


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