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the voice

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「このやまは今夜でカタをつける。いいな」
 カゲトラが喝を入れると、部下たちは一斉に目で肯いた。
「テキも色々と小細工を弄してくる。気を抜かずにかかれ。
 中の構造は割れたが、人間の技量については未知数だと思った方がいい。油断ほど力を殺ぐものはないということを覚えておくように」
 打てる手は全て打ち、ほとんど完全というところまで詰めていても、彼の表情は険しい。
 たとえ99%の勝ち札を手にしていても、残り1%に覆されてはお仕舞いである。
 この仕事に、失敗は許されない。
 だからこそ、どれほど有利に見える状況にあっても、彼は態度を変えなかった。
 逆に、状況が不利な場合でもそれは同じだ。その残り1%を我が物にして事件を無事に解決してきたことも数え知れない。
 そんな彼だから、部下も一心に後を追ってくる。
 今もそうだった。

 ジェネラウ
「将長」
 標的の事務所にて、都会の真ん中に建っているとは思えないような広大な敷地に芝を敷いたその庭に、カゲトラの姿があった。
 黒一色の仕事装束に身を包み、左耳には小型のインカム。部下との連絡を取り合うためのものである。そして、腰にはその親機を挟み込んでいる。これはまさにリーダーの持つものだった。部下たちの連絡の全てを、彼が仕切るのだ。本部との通信も無論である。親機を持つ者にはそれだけの権限と責任が課されているのだった。

 呼びかけに、彼はぴくりと眉を動かした。
 足音を芝に吸わせて音もなくするりと傍へ寄ってきた伝令に振り返る。
 彼自身の動きが起こした僅かな風に、カゲトラの漆黒の髪がゆっくりとなびいた。
 その長めの前髪の向こうには、賢しく澄んだ額と、鋭い光を有する双眸がある。
 彼の傍ら、一歩退いたところに膝をつき、全ての将がポジションについたことを伝令が報告する。
   ア  ミ
「包囲網かけ完了しました。あとは突入命令を待つのみです」
 優秀な将たちは、将長が燃えれば燃えるほど、すぐれた働きを見せてくれるようだ。
 無茶ともいえるほど強引なペースで進めた捜査だったが、彼らは俄然張り切って普段以上に迅速な展開を見せ、予定通りに全ての手を打ってしまった。
「よし、よくやった」
 カゲトラは唇の端で微かに笑って、インカムをオンにした。
「皆―――」
 その凛とした涼しげな声がそれぞれの将たちの耳に仕込まれたフォンから流れ出る。それらは受信専用だった。つまり、発信するのは将長だけでいいのである。将たちはただ、それを受けて従うだけだ。
「ここまでご苦労だった。詰めに入る。
 各々、筋はわかっていることと思う。ここまでくれば、あとはもう、Reg.に従うことだけだ―――強いて私が言うべきことは」
 Reg.とは、Regulationつまり『基本則』のことで、これは本当に根本的な、心構えなどの原則を記したものだった。
 つまり、それしか言うことがないということは、他の部分については口出しする必要性がないということであり、将長の将への信頼・満足度の高さを表していることを悟って、将たちは胸に熱いものが広がってゆくのを静かに噛み締めていた。
 その間合いを量るように短く沈黙をおいてから、カゲトラは再び口を開いた。

 はっ、と短く息を吸って、鋭い号令が放たれる。

「突入!」

 その瞬間、ぽつぽつと洩れていた建物の灯りが一瞬にして落ち、中からどよめきが起こった。

 ―――我に返って対策を取り始めるまでの、短い空白の時間。
 その僅かな間隙に各場所に待機していた将たちが一斉に中へ踏み込むのを、気配で感じながら、カゲトラは一人別行動を取っていた。するりと身を翻して目的の場所へ辿り着くと、彼はそこで動きを止めた。
 気配は完全に殺して、夜の風と一つになる。

 建物の中からは、短い怒声と格闘音、そしてあちこちで乱れ交じる非常灯の灯りが窺えた。
 そんなものを視界の隅で捉えながら、彼は待った。
 今回の標的、その頭を。

 将たちには話していないが、この相手は並みの包囲では捕らえることはできない。
 ナンバー2以下の者たちなら十分捕獲範囲内なのだが、頭だけが桁違いなのだ。
 将たちの張り巡らせた包囲網はかなりの優秀さを誇るものであったが、おそらくトップは抜けてくるだろう。
 それだけの相手なのである。
 そういう男であれば、将長であるカゲトラ自らが相手をするのが礼儀というものであろう。

 彼は、愛用の細刀の柄に手をかけた。
 チ……という微かな音とともに鍔口が鞘から離れる。
 細く覗いた刀身は闇に溶け込む漆黒。
 二年間ずっと懐に抱いてきた愛刀が掌にしっくりと馴染む感触に、うっとりと目を細め、彼は待った。
 その時を。


 やがて、柔らかな光を薄雲を透かして切れ切れに地上へ届けていた眉のような細い月が、雲に遮られて辺りを闇に落とした一瞬に、空気が僅かな振動を伝えた。

「―――」

 同時に、カゲトラは地を蹴っていた。
 神速を誇る足で跳躍し、一瞬のうちに相手の前を取る。

「―――どこへ行く?カゲトラが相手をしてやろうというのに」
 つ……と唇の両端が持ち上がり、どこか楽しげな、ゆえに不気味な声が相手の鼓膜を振動させる。
「カゲトラか……っ!」
 一瞬の空白の後に相手の全身から闘気が立ち昇るのを、楽しそうに見ていたその漆黒の双眸が、ふいに殺気を孕んできらりと光った。
「そうさ」
 短い肯定とともに、指なしの黒手袋に包まれた手がレイピアを抜き放つ。
 右手に細刀、そして左手に鞘を構えたその姿には、一分の隙もない。
 月の薄明かりにぎらりと光った黒刃に、けれど標的は嘲笑を浮かべた。
 その手に握られているのは同じ黒い鋼鉄の塊。ただし、それは飛び道具だった。
 一般的には、刃よりも遥かに優位の得物である。
 その余裕と相手の愚策への嘲弄を顔にあからさまに立ち昇らせて、男はチャ……とトリガーに音を立てさせた。
「薄い刃で銃弾に挑もうというか。人を食った将だとは聞いていたが、その策が命取りだったな」
 銃口は精確にカゲトラの心臓を向いていた。人差し指にほんの少し力をこめるだけで、勝敗は喫する。
 そう……普通ならば。
 当然勝者はこの男で、敗者は死ぬだけだ。
 けれどカゲトラは軽く肩をすくめるような仕草を返しただけだった。
「その台詞、そっくりそのまま返そう。過信はあらゆる勝機にとっての癌細胞だということをな」

 さあ、来い―――と、誘う声が耳に届いたか否か。




02/07/25


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