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the voice

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「どうしたんだよ……って、聞くのもわざとらしいか」

 目が覚めると、高耶は全身にいやな汗をかいていた。
 救護室などという気の利いたものはこの職場には存在しない。彼は、仮眠室の窮屈な固いベッドに横たえられていた。
 狭い部屋をさらに狭くしている、革の擦り切れた古ぼけたソファにかけていたらしい男が、目覚めた高耶に声をかけてきた。
「千秋……」
 ゆっくりと身を起こした高耶だが、夢見の悪かった眠りは、却って体に気だるさを残しているようだ。
 自分の体と思えないほど、動きが鈍かった。
「あいつが、心配か」
 ソファから立ち上がった同僚がゆっくりとベッドの方へ歩み寄りながら、呟くようにそう問うた。
「何がだよ」
 嘯いてベッドから降りる。
 一瞬よろめきかかった体を肩をつかんで支えた千秋が、声を少しだけ荒げた。
「俺様相手に、知らん顔なんてしねーでいい。あの男のことは俺も気になってるんだ」
 すぐ近くにある双眸は、普段の飄々としたこの男と比べれば信じられないほど、真剣で強い光を持って高耶の瞳に潜り込んできた。
 正視できなかった。
「……関係ねーよ。あいつはあいつ。オレにはオレの仕事があるんだから」
 そう言って割り切ったような横顔を見せる高耶に、千秋が眉を顰めた。
「意地張ってんじゃねぇ。嘘なんかつくな」
「違う……べつに、嘘なんかついてない。オレはたしかに、あいつのこと、すごく気になってる。
 ただ、それを仕事に持ち込むのはまずいってわかってるから」
 だから、知らないふりをする。オレにはオレの仕事があるんだから。
 無理をしているつもりはなかった。
 割り切らなければならない。
 あいつを心配するのは、プライベートのオレ。高耶だ。
 そして、オレは今、カゲトラだ。
 仕事に私情を持ち込むのは、プロとしての矜持が許さない。
 だから……切り替える。

 言葉を現実に。
 言霊だ。口に出すことで、それを自らにわからせるのだ。

「……そうかよ。わかった。そんなら俺ももう何も言わねえよ」
 千秋はしばらくしてから、諦めたようなため息と共にそんな言葉を吐き出した。
 その瞳は決して納得してはいなかったが、高耶とて一から十まで手出し口出ししてやらなければならない子どもというわけではないし、そのようなことができるものでもない。だから、本人が言うならそれを通させてやるしかない。
 思慮のない子どもではない。立派な大人なのだから。

 何でもいいがあんまり根詰めて体を壊すなよ、と肩越しに投げてきた千秋の、金髪のしっぽが、錆びかかった無機質なスチールの 扉の向こうに消えるのを、高耶は黙って見送った。
 あの少しだけ丸めた背中は、いつでも優しい。背を向けるのは拒絶でも捨てるのでもなく、自分の意思を尊重してくれたから。
 無鉄砲で思慮の浅い自分を心配して、時にはきつい言葉を掛けてもくれる。
 いつも、そうだ。
 あのときだって、結局は助けてくれた。
 オレのヘマで笑えない事態に陥って、偶然助太刀してくれた直江とたった二人で切り込むはずだったところへ、応援を連れて駆けつけてくれた。逮捕状取るのにブレーンを急かして睨まれちまったのも、気にしないで。
 お前の忠告を無視したオレだったのにな……
「千秋……いつも……ありがと―――」
 もう誰もいなくなった狭い仮眠室に、ぽつりと一言、そんな言葉が消えていった―――


・ ・ ・ ・ ・


「ナオエが消息を絶ってるって?」
「そうらしいな。仕事場にも別宅にも、姿が見えないんだと」
「さすがに今回はやべえからなぁ。身を隠したか」
「でなければ、」
―――既に消されたか。

 そんなひそひそ話が喫煙室で交わされるたび、高耶は疼く胸の痛みに耐えなければならなかった。

 千秋に告げたとおり、あれからも仕事は普通にこなしている。いや、むしろ普段以上に精力的に動き回って華々しい成果を上げていた。
 では、苦しい心を仕事にぶつけているのかといえば、そういうわけでもない。
 以前と変わらない淡白さで標的にも接している。尋常でない数のやまを追っていながらも、以前のような無鉄砲さはむしろ影を潜め、冷静で計算しつくされた網を張っていた。

 だが。

 それはカゲトラという殻をかぶっているだけのことだった。
 仕事の遂行だけを要素にしている都合のいい捜査機械。その仮面を全身に貼り付けて、内部を隠しているだけなのだ。
 ほんの少しでも気を緩めれば、ふとした際にその柔らかい、脆い内部は簡単に傷つけられてしまう。
 そして、そこは癒されることはない。誰にも触れさせないように鎧を張っているのだから当然だが、困ったことに、傷つけられることを拒むその壁は同時に癒しの手を受け入れることもできない体にしてしまっていた。
 断片的に鼓膜を貫通してゆく信憑性の疑わしい情報。
 それらはいとも簡単に鎧の隙間から入り込んできた。
 当然だ。
 高耶は直江の情報に飢えている。
 どんな切れ端でも、自動的にこの鎧は感知して自ら合わせ目を寛げてしまうのだ。その切れ切れの刃こそが最も深く自分を抉るということはわかっているのに。
 飛び込んできたひとつひとつの情報がそれぞれに、柔らかな肉に突き立っている。
 すっぱりと真一文字に裂けた鋭利な切り傷。醜く焼け爛れる摩擦痕。刺さったままの棘。抉られ続けてぐちゃぐちゃになっている化膿傷。
 鎧で身を守っているはずが、その内部は既に傷だらけだった。
 これを癒せるのはただ一人。

 ―――そして、その人間はここにはいない。




02/07/24


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