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やさしくあいして

1...




たとえば、細い雨の降り出した、雲に閉ざされた午後。

そんな日。

誰に会いたいですか―――?





「不覚を取ったものだ……」

額に長く白い指を滑らせて、付着した赤に彼は眉を顰めた。
ここしばらく体調管理を怠っていて、反射が遅れたのだ。
相手は大したこともない低級霊だったのだが。
念で斬りつけられて、咄嗟に左手で頭を庇った。
そのときに、頭上から斬り下ろされて、額と左目の下、そして左手の甲に傷を作ってしまった。
傷はそう深いものではないが、出血は怪我自体の程度を上回っている。

日本人形のような艶やかな黒髪をしゃらりと揺らすと、その美貌があらわになった。
切れ長の瞳は髪と同様の黒、肌は抜けるように白く、唇が赤い。
中性的な美貌の青年がそこにいた。

白い肌の上に細く流れ落ちる赤が、その美しさによりいっそう艶を刷く。

さてどうしたものか、と軽く首を傾げると、
武田の策士はその赤い唇にゆっくりと笑みを浮かべてゆき、何かを目指してまっすぐに歩き始めた。


季節外れの霧雨が降り始めた。






ピンポーン

「……あん?こんな天気に何だ?」
遅い昼食と決め込んでカップ麺に湯を注いでいた千秋修平は、滅多に鳴らないチャイムに片方の眉を吊り上げた。

ピンポーン

再び鳴らされた鐘に、彼は麺の蓋を閉じて上に割り箸を載せるとキッチンを出た。
「へいへい、そんなに鳴らさなくても出ますよーって」
玄関までおよそ五歩。
その間に扉の向こうの気配を読んだ彼は、フクザツな顔をしながら鍵を外した。
「……よぉ。どうした、突然」
大きく開いた扉に肩肘をついて凭れ、通路を開けてやりながら彼は相手を観察して少し目を見張った。
「こりゃあまた、派手な怪我を……」
武田の美貌の策士が、めずらしく流血して白い肌を汚している。
さらに雨に打たれて頭といわず肩といわず、しっとりと濡れてしまっていた。
「救急箱を貸してほしい」
言葉尻だけは常どおり倣岸不遜だったが、顔色もあまりよくない。 全体的に不健康な様子が窺える。
(まともにメシ食ってんのかねぇ)
内心首を傾げた千秋だった。

彼はとりあえず相手を中に入れると、バスルームから大きめのタオルを持ってきてその頭に投げかけてやった。
タオルの上から、子どもにするようにぐしゃぐしゃと髪をまさぐって、彼は相手が自分で拭こうと手を上げるのを確認すると手を離した。
キッチンの昼食を思い出して、リビングのテーブルに持ってきて置くと、また何かを思い出したように奥へ消える。
「おい、高坂。シャワー使うか?冷えてるだろ」
バスルームに消えていた彼はしばらくごそごそしていたが、やがてガラスの扉を開け放って高坂にそう声を掛けた。
「要らん」
いつものコートを脱いで髪を拭っていた高坂は素っ気無く首を振ったが、千秋はリビングに戻ってきて相手の手をつかんだ。
「ほら、こんな冷えてるくせに。さっさと体を温めてこい。風邪ひくぞ」
手を引いてずんずんとバスルームまで連れてゆき、中に放り込む。
「着替えはこの辺に置いとくやつ勝手に選べ」
曇りガラスの向こうの影に向かってそう声を掛けると、彼はリビングに戻った。

ミニ箪笥の中から救急箱を取り出してテーブルの上に置き、それから冷めて伸びかかっている麺には手を触れずに彼はキッチンに消えた。
冷蔵庫の中を漁る音と、鍋を火にかける音が続いた。
そして、意外に器用そうな包丁の音。

湯気をたてて戻ってきた高坂の前には、市販のポタージュスープに簡単なサラダを添えた食事が待っていた。






「まだ冷えてるだろ。食えよ。
いらねえとか言うなよ?俺様手づから作ってやったんだぜ」

きれいに血を洗い流した傷に簡単に軟膏を塗りこんでやって、千秋はスープをすすめた。
あまり広いとはいえないリビング兼ダイニングのカーペットの上にぺたんと正座した高坂は、円いテーブルの上に置かれた伸びかけのカップ麺と、自分の前の湯気をたてるスープ皿とをしばらく見比べて物言いたげだったが、向かいに胡坐をかいた相手がにっと笑うと、遠慮なくスプーンを握った。

黙ってゆっくり一さじずつスープを口に運ぶ姿は、まるで子どものようで、何だか可愛らしい。
伸びかかった麺を一気に流し込んでしまうと、千秋は相手の観察に勤しむことにした。

サラダをフォークで食べるのが苦手なのか、苦労している。
プチトマトを刺すことがどうしてもできないらしい。見かねて手を出そうとすると、逆に手が伸びてきた。
「借りるぞ」
カップ麺の容器の上に揃えて置いてあった割り箸が、是も否もないうちに相手の手に納まって、ようやくトマトは食べられることに成功した。
そこからは優雅な箸さばきでレタスやらキュウリやらをつまみ、先ほどまでのような子どもっぽさはどこかへ消えてしまった。
少し、残念。
「スープが冷めちまうぜ」
それなら、とスープに話をふってみると、相手は一瞬箸を止めてこちらを見てから、そうだなと呟いてスプーンに持ち替えた。
また、一さじずつ。ゆっくりと。
やっぱり子どもみたいだ。
ちょっと楽しくなって、相手の方に手を伸ばしたくなった。

「あ〜あ、それにしても、こんなとこに傷つくって。折角の顔なのに」
額に走る細い赤の線に指を持っていって言うと、素直にスプーンを口に運んでいた高坂が、ふと手を止めて首を傾げた。
「顔だけが取り柄、とでも言いたそうだな」
―――柳眉を顰めると、よりいっそう美しく見えるのは、たしか楊貴妃の話だったか。顰にならう、という故事……
一瞬そんなことを思った千秋だったが、すぐにお決まりのふざけモードに戻って相手をからかう。
「否定できんのかよ?」
にやにやと笑いながら言うと、
「否定というより、訂正させてもらおうか」
飄々としたのが商標の千秋に付き合う高坂は、ある意味で彼よりも上手をいく。
ふんぞりかえる仕草を取って、彼は堂々と言ってのけた。
「顔だけではない。存在すべてが私の取り柄だ」

……こいつは……
千秋が呆れたような顔をし、肩をすくめた。
一つため息をついてから、わざとらしく首を振りながら呟く。
「存在すべて?人のことさんざんかきまわしてくれる存在のくせして」
「だから、それが取り柄なのだろう」
ふふっといやな笑い方をして高坂は答えた。
さらに上手である。千秋にしてみれば、これはもう、黙らせるしかない。
「ほ〜そいつはまた、いやなことを言う」
「わかっていて手を伸ばしてくるくせに」
伸びてきた大きな手に顎を掴まれるまま、綺麗な睫毛を上下させる下には、澄んだ瞳がある。
それを覗き込むようにして、千秋はまたため息をついた。今度はポーズではなくて、本気で肩をすくめたい。
「しょうがねぇだろ。気に入ってんだから」
「ぐ……」
乱暴なキスに言葉を封じられ、問答はようやく打ち切られた。

しばらくしてそれが離れたとき、
「けが人相手に何をするか」
「こんなとこに来た方が悪ィんだよ。わかってんだろ。
俺は優しくなんかねーからな」
カーペットの上に引き倒され、言葉とは裏腹な優しい指が触れていった。


窓の外では、静かな雨のベールが下りている……


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