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the cruise

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 カゲトラの潜入先は、前述のとおり、北翼の客室係である。
 この巨大な船の客室用デッキは東西南北の四翼に分かれていて、船主側が北翼、船尾側が南翼、中間の右側が東翼で左側が西翼という配置である。
 全11層を持つうちの第5デッキ以上が、普段ならば、乗客の使用する部分なのであるが、今回の特別クルーズではそのうちの第9デッキと第10デッキの客室のみが使用されている。
 いずれもスイート以上のクラスで、そのうち各翼に一室ずつロイヤルスイートが存在していた。ロイヤルは床面積80m2で、寝室、リビングとバスルーム以外に、テラス、ドレッサールーム、専用ジャグジーを備えている。さらに、キャビンだけでなくバスルームもアウトサイド(海向き)となっており、満天の星空を見上げながらのバスタイムという贅沢を味わえるようになっていた。
 船の一室としては時代錯誤といってもよいユーティリティだが、これが通用する世界もあるのである。
 今夜ここに集まった人間たちの中には、そういう地位にある者が数多いた。しかしその中でロイヤルを使うことができるのは四組だけである。
 ロイヤルにリストされているのは、この船のオーナーである人物と、クルーズの共催者たちであった。

 このクルーズはオーナーが発案者となっているが、実際には参加メンバーが始めから決まっていて、その中で回り持ちして共催者が立っているのである。つまり、参加者の大半がこのクルーズの意味をわかっていて、半ば会員制度のようになっているということである。

 そう、このクルーズの目的、それは、単なるクリスマスのナイトクルーズというだけではないのだった。

 この船、『Poseidon』は、一般のクルーズ時以外でこうしたプライベートクルーズを持つ場合、その全てが或るイベントのための隠れ蓑となっていた。
 そこに参加する人間たちは前述のように半ばそのイベントの会員のようなものであり、その中で毎回数人がオーナーの共催者として立つ形式になっている。共催者は固定されておらず、それぞれのイベントの開催時によって別の人間が名乗りを上げてプランを立ち上げることになっているのである。
 この船で行われる表向きのイベントは、当たり障りの無い―――規模の大きさ、豪華さだけが一般とは違うのであるが―――ナイトパーティである。立食形式で無礼講、一流オーケストラ級の生演奏の中でのダンスなどがそれである。
 そして、それだけならば、食材が途方もなく高価なものであったり、参加する人間がいずれも各界で名を知られた人物であるということを除いてだが、取り立てて珍しいこともない。問題でもない。

 しかし、ここに特捜のSAであるカゲトラが潜入しているのは、そのパーティの裏に、この船の中では公然の、違法品評会の存在があるからなのであった。

 絢爛豪華なパーティの進行とともに始まってゆく、すべての法を無視した、この場でだけは公然のオークション。
 この船の表の顔しか知らなければ誰も想像しないであろう空間が、ここに幻出するのである。
 今夜も。
 世界中の珍品―――芸術に限らず、あらゆるフィールドにおける希少価値の高い物品―――正規品、盗品の類を問われない―――だけでなく、ここでは動物や人間さえも、一つの芸術品として売買の対象になっているのであった。
 たとえばそれはアルビノであったり、体に通常とは違う部分を持つ者もいれば、ただたんに造作の美しさを買われて壇上に並べられる者もある。
 需要と供給、欲望と金の応酬がここでは当然のものとして成り立っているのである。
 壇上に立つ人間たちの中には自らの容姿や技を磨き上げ、高値をつけられることを誇りとする者もいるし、そういう者たちばかりを扱うオークションも存在するが、大半の人間は攫われたり売り飛ばされたりと自らの意思に反して売られてくる。
 親兄弟の借金の形にと無理やり連れてこられた例も後を絶たず、もはや警察では手に負えないとして特捜にお鉢が回ってきたのだった。

 カゲトラの仕事は、その実態を確かな物的証拠として記録し、本部に持ち帰ることである。
 逮捕状が無ければ正当な手続きを踏んだ検挙とはみなされず、任意同行の形になってしまうのだ。
 証拠を集めてから初めて特捜の正規の逮捕状が作成され、堂々と乗り込んで縄をかけることができるのである。

 特捜が扱うものの中では規模の小さい段階の仕事なので、捜査員としてここに潜入している人員はカゲトラともう一人だけである。
 その一人はクルーとして船橋に入り込んでいる。
 カゲトラが何か行動を起こした際にその妨げにならぬよう、船の動きを押さえるためだ。
 任務遂行のために動く人員はカゲトラ一人であった。

「全員揃いましたか」
 北翼のキャビンクルーたちがミーティングルームに集まると、部屋の正面に立った四十ばかりの大柄な男が全員の顔を見渡しながら話し始めた。
 先ほどのホテルマネジャーと同様に上下を固めた姿が、彼がチーフクラスであることを示しており、残りの男たちは皆、同じ黒のベストとスラックスという出で立ちである。そして、同じ場に立つ女性は黒の上着とスカートの上に白いエプロンをかけている。彼女らはキャビン・スチュワーデスと呼ばれ、客室の維持清掃係であった。
 客室二十に対して、客室係が十名。一人につき二室が直接の担当となっている。
 しかし一旦客が部屋へ入った後には、クルーの控え室のベルが鳴ったときに対応できる人間が対応するので、ランダムに変動することになる。全員が控え室に常駐しているわけではなく、御用聞きと見回りの意味も兼ねて廊下を巡視する者もあれば厨房との連絡に走る者もあり、場合によっては船橋との連絡やイベント会場へ回されることもあるのである。

 客室係とは、客からの細かな要求に対応する、サーバント的な役割である。彼らは全て男性で構成されていた。
 力仕事に近いものが大半であることも理由の一つだが、客と悶着があった際に女性の客室係では、体力的そして精神的に、対応が難しい場合があるからだ。

 一方、清掃係は全て女性であるが、彼女らが客室に入って作業をする場合には必ずその部屋の担当になっている男性の客室係がついて入る。
 そうして、キャビンクルーはそれぞれの立場を守り、滞りなく円滑な仕事に励むことができるのだ。

 現在カゲトラの演じているのは、北翼キャビンの上部デッキ、スイート二室の客室係である。
 ちなみに、ここへの紹介状は特捜が入手してきたものである。
 架空の履歴であるから、偽造したと言った方が正確ではあるが、それによるとカゲトラは他の客船で五年の経験を積んだベテランということになっている。
 尤も、今回の仕事までの半年間は病気療養で現場を離れていたために少し戸惑いが残るというフォローを与えられているので、多少不審な行動があっても怪しまれずには済むはずだ。
 ―――そもそもキャビンクルーとしての仕事内容は、実地へ出るまでに特捜内でしっかりと体に叩き込んできたので、問題はない。
 与えられた役割を演じきるのならば一筋の乱れも見せないのがSAであるから。


「マネジャーのお話にもあったとおり、海の王というこの船の名に恥じぬよう、最高のサービスに努めてください」
 北翼キャビンクルーのチーフは簡単に心得を述べると、次の言葉に移った。
 彼はカゲトラと目が合うと、軽く肯いて、
「皆に気をつけていただきたいことがあります。……北条君、前へ出なさい」
と彼を招いた。

カゲトラは―――『北条』は、小さく会釈のような肯きを返すと、きびきびとした動きで前へ向かった。




02/12/03


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